見出し画像

徒然雨~2~

今日は買い物に出かけた。雨と曇りばかりだった平日を抜けて、やっとやってきた気持ちのいい秋晴れ。朝九時前に自転車を漕いでいるとやや肌寒い。でも真夏から一転した湿気の全くない爽やかな、そして少し香ばしい匂いのする空気を全体に浴びられて気持ちがいい。こんな澄み渡った気候がいつまでも続けばいいのに、きっと気づいた時には寒くて鋭い空気に変わっているのだろう。その前に、この快い日々を満喫したい。

それが今回の買い物、「秋服探し」のモチベ―ジョンだった。春先に買ったオフィスカジュアル服を着回せてしまうせいで、秋服の持ち合わせが嫌に少ないのだ。行楽シーズン真っ盛り、せっかくなら気に入った服を着てたくさんお出かけしたい。たとえ着れるタイミングがごく限られているのだとしても。

結果から言うと、今回の買い物は豊作だった。上下一枚ずつカジュアルなものが欲しいと考えていたが、好みで木間氏がしやすそうなトップス・ボトムスがちゃんと一つづつ買えた。服を買うときはかなり優柔不断になるので、目的どおりの買い物ができるのはかなり稀だ。それだけでもほくほくするのに、なんと憧れていたワンピースを割引価格で買えたし、ずっと買い替えようと思っていたポーチも気に入るものをお迎えできた。こんなに満たされた買い物は年に数度とない。この気分だけで酒が飲める(酒より甘味派なので実際は飲まない)。

余談だが、ポケモンセンターに立ち寄ったらちょうどクリスマス商品が売られていた。メインビジュアルと限定のピカチュウのぬいぐるみがとんでもなく可愛くてお持ち帰りしたくなったが、理性と今すでに家に住んでいるぬいぐるみ達を思い出して後腐れなく諦めた。ただメインビジュアルが本当に好みだったので、クリアファイルぐらいは買ってしまうかもしれない。気になってくださった読者の方、是非以下リンクからご覧ください。

https://www.pokemoncenter-online.com/?p_cd=4521329422121

前節約についてのnoteを書いたが、こういう時金に糸目をつけなくなったなあと思う。憧れのワンピースに定価では手を出さなかった辺り、実のところある程度の予算上限はあるのだが、「同じようなデザインでもっと安いのあるかもだし」と悩むことが激減した。「躊躇う理由が金なら買え、思い切る理由が金なら買うな」という言葉を以前SNSで見かけたが、かなり的を射ていると思う。「高いなあ」と思いつつ「欲しい」という気持ちを優先した買い物で後悔したことはほとんどなくて、それを自分も心の底から分かるようになってきたみたい。一目惚れしたものと色・形がしっくりくる度合いが並ぶものに出会うのは本当に難しい、と悟ってきたのもある。

余裕のない人が攻撃的になるのと同じメカニズムで、我慢を重ねると欲望に忠実な人への妬みが生じる。「なんでやらなきゃいけないことを優先できないの?」「なんでもっと節約しようとしないの?」と。自分の心を抑え込みすぎるのは、他人を大事にできない事態に直結する。自分を甘やかしていきたい理由が、ここにもある。

「思い切る理由が金なら買うな」も納得で、安さを理由に天秤を傾けてよかったと感じたことは少ない気がする。ちょうど今日のお昼ご飯がそうだった。ちゃんと美味しいお店ではあったんだけど、ちょっとだけ期待と違ったなあというところがちらほらあった。天秤にかけていたもう一、二店舗を思い返して、「次買い物に来たらあそこに行こう」と密かに考えた。ご飯のおいしさが幸福度に直結しているタイプなので、おいしいお店のことはずっと覚えている。近いうちに今まで行って美味しかったお店のnoteも書きたい。結構長いシリーズにできる。食欲の秋だしね。

行きたいお店は調べれば調べるほど出てくるし、一度行って幸せになれたお店にはまた行きたいと思う。この世の中美味しいものは尽きないほどあるので、積極的に外食はしていきたい。今後家庭を持つかは分からないけれど、そうなったら自分の思うままにお店を選ぶことは激減するのだと思う。今のうちに目一杯はっちゃけていきたい。可能な限り美味しいものを食べきってこの世から去りたいなあと思っている。

お気に入りの服を増やすのと並行して、なあなあで持っていた服の処分もしている。高校大学から持っていた服が多く、長く置いていて、かつ着れなくなったわけじゃない服を処分するのはやや心が痛むけど、身の回りをお気に入りで満たしていきたい欲求が勝っている。インテリアも簡素なので、好きな本雑誌を本棚の上に立てかけておくとか、そういうこともしたい。立てかける用の道具、絶賛探し中。

自分が好きだと思うものは自分の人格そのもので、服や自室、ご飯をお気に入りで満たすことは、人格を維持することと同等だと思っている。何かを好きだと感じることにもエネルギーが必要で、長く離れてしまうと、それの何が、なぜ好きだったのかを忘れてしまう。それは私を構成している欠片が失われるということで、その多くが失われたらきっと私は人生を楽しめなくなる。それを防ぐセーフティネットが「お気に入りで満たす」行為だ。少なくとも日々視界に入っていれば、最低限の「好き」という気持ちは守られるだろうし、守られているうちはいかに仕事がきつくて辛くたって、自室や休日にふっと心を休めることができる。そして私は私のままでいられるのだ。


この記事が参加している募集

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?