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息子の「ぽよ」の始まりの日、の話。【虎吉の交流部屋プチ企画】

こちらの企画に参加させて頂きます。
お題:「口癖」


我が家の小4息子は「星のカービィ」が大好きで、喋る時には大体、語尾に「ぽよ」をつけている。

……のだが。実は一年ほど前、当時小3だった息子の口ぐせ(?)は「きゅぴー」だった。
それまで(たぶん)ごく普通の喋り方をしていた息子は、ドラえもんで「きゅぴー」と鳴くツチノコが出てくる回を録画で見た数日後から、突然「きゅぴー!」と鳴き声を上げ始めたのである。

会話の途中や語尾に付ける形ではなく、恐らくは甘えたいと思った時、返事をするのが面倒な時、雑にまとめると非言語コミュニケーションを取りたい時、だろうか。とにかく私から見ると脈絡なく「きゅぴー!」と発するようになった息子は、徐々にその使用範囲を日常会話内へと広げていった。

「お昼ご飯、ラーメンと肉まん、どっちがいい?」
「きゅぴきゅぴ!」
「どっちかな……ラーメン?」
「きゅーぴー!」
「肉まん?」
「きゅぴきゅぴ!」
「……肉まんで良いの?」
「きゅぴ!」
「分かった、肉まんね」

と、こんな感じである。
正直、「きゅぴ」のイントネーションだけで息子と意思疎通するのは難しかった。が、飼い猫のオセロの「にゃー」から言いたいことを理解する難易度と比較すれば、息子の方が表情や語調のバリエーションがあるので、まぁまぁ付き合えなくもない。「はい・いいえ」で答えられるように、質問の方のレベル感を落とす必要はあるが。

そもそも、我が身を振り返れば、私も小学校に上がる前の一時期、犬や猫の鳴き真似をすることで母に甘えようとしていた記憶があった。1,2度は上手くいって甘えさせてもらえたが、それ以降の記憶はないので、どこかのタイミングで拒絶されたか、別件で叱られた等のきっかけで私の方が諦めたのだと思う。
となれば息子の「きゅぴー」も当時の私と同じような、ある種の赤ちゃん返りのようなものだろう、と私は考えた。私目線だと幼稚園時代からほとんど中身が変わっていないように見える息子にとって、学校にいる間中「小学校3年生らしく振る舞う」のは結構な負荷がかかっていてもおかしくない。せめて家にいる間は頭を使わずに親に甘えたい、日本語で喋ることを放棄したい……と、そう感じたとしても無理からぬことだし、何にしても今の時期だけ、一過性のものだろう。ならばまぁ、実害がある訳でもないのだし、放っておこう。

そんな訳で私は息子を、そのままきゅぴきゅぴ言わせておいた。複雑な内容を話すときなど、日本語で返事をして欲しい時には「きゅぴーじゃなくて日本語で話して」と言えば息子も切り替えてくれたので、特に不都合はなかった。
一方で、夫の方は突然始まった「きゅぴー!」に面食らったようで、「せっかく最近男の子らしくなってきたのになぁ」とボヤきつつ渋い顔をしていた。が、私が容認している様子に諦めた……のかもしれない。時々「何だ、きゅぴちゃん!」などとからかうような呼びかけをする程度で、それ以上強く息子に止めさせようとすることはなく、息子は息子で夫にからかわれても意に介さず、「きゅぴー」は2,3か月継続した。

そして、ある日。風呂上りに体を拭きながら、息子はこう話してきた。

「ぼくさ、きゅぴーって言ってるじゃん?」
「そうだね」
「あれ、実はドラえもんのツチノコなんだよ。可愛いなぁと思って」
「うん、そうだろうと思ってた」
「でも最近、飽きてきちゃって」
「へぇ、そうなんだ」

冷静な相槌を打ったが、内心びっくりである。2,3か月もの間、毎日きゅぴきゅぴ言い続けてきたのだから「飽きた」というのは分かるが、でも息子はその日も絶好調にきゅぴきゅぴ言っていた。飽きたなら言う頻度を落とすなり、自然と辞めれば良いのではないだろうか。

「でさ、ぼくカービィ好きじゃん?可愛いし」
「そうだね」
「だから、口ぐせを『ぽよ』に変えようと思うんだよ。どう思う?」
「どうって……好きにしたら?」
「迷ってるんだよ。ワドルディの『わにゃ』も可愛いし」
「ワドルディって喋るんだ……?」
「うん。アニメで言ってた」

なるほど。イメージキャラクター変更に先んじての世論調査であるらしい。
息子がどこに向かおうとしているのかサッパリ分からないが、「きゅぴ」が「ぽよ」になろうが「わにゃ」になろうが、私からすれば正直めちゃくちゃどうでも良いし、大差ないようにしか思えない。
ただまぁ、主に私に対する甘えの音声として「きゅぴー」を使っていた息子としては、変更後の鳴き声も「ママに受け入れてもらえるもの」である必要があるのだろう。私の意見をヒアリングしておきたいというのは理に適っている気がするし、若干9歳にして根回しの必要性を理解しているのは、なかなか偉いようにも思う。

「そうだなぁ……『わにゃ』でも『ぽよ』でも、どっちでも可愛いと思うよ。ママも、カービィもワドルディも両方可愛いと思うし。あとは(息子)が言いやすい方とかで良いんじゃない?」
「急に変えられるかなぁ。心配だよー」
「別に、『きゅぴ』と『わにゃ』と『ぽよ』が混ざってても構わないんじゃないかな。言いにくかったら戻しても良いだろうし、そもそも口ぐせがなきゃいけないってもんでもないと思うけど」
「うーん。ぽよ……わにゃ……」

しばらく真剣な面持ちで、「ぽよ」と「わにゃ」を交互に呟いたあと、息子は笑顔で宣言した。

「じゃあ、ぼくはやっぱりカービィが好きだから、しばらく『ぽよ』にしてみるぽよ!」

我が家に「ぽよ少年」が爆誕した瞬間である。

それからざっくり一年弱が過ぎようとしている今、『ぽよ』はまだ健在だ。基本的には語尾に付ける言葉として、もしくは鳴き声として、場合によっては相槌として、時には鼻歌の歌詞としても利用される「ぽよ」が、息子の口に登らなくなる日は一体いつ来るのだろうか。

「ただいまぽよー!!」
「おかえり。手は洗った?」
「まだぽよー!!」

これが息子の赤ちゃん返り的な何か――単なる甘えの一種なのか、それともアダルトチルドレン的な「愛されていると実感するための、マスコット的に振舞うという戦略」なのか、私には判別できない。深刻に考えるべき事柄なのか、そうでないのか、全く見当もつかないのである。
だが、どうあれ私にできることは、今日もぽよぽよ言っている息子を、そのままぽよぽよ言わせておくことだろう。

その内、「静まれ、俺の右腕…!!」と、邪王炎殺黒龍波を放つようになるかもしれないのだし、そう考えれば「ぽよ」ぐらい、どうという事もないのは確かだ。
とりあえず当面はどこまでも平和な「ぽよ」時代を、私の方も満喫させてもらっておこうと思っている。


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