【毒親育ち】「愛」という言葉が嫌いだった、という話。【#家族について語ろう】
ある所に、一人の少女がいる。
彼女は生まれてこの方、プリンを食べたことがない。
その代わり、母親に「これは世界で一番美味しいプリンだよ」と言われながら、毎日茶碗蒸しを食べさせられている。
彼女は茶わん蒸しが好きではないので、本当は食べたくないのだが、それは許されない。
「プリン」を食べるのは子供として当然であり、世界で一番美味しいプリンを残そうとするのは罰当たりなので、何が何でも毎日茶碗蒸しを食べ続けねばならないのだ。
幼い頃は泣いて嫌がっていた少女は、大きくなるにつれて「プリンって美味しいね」と微笑みながら茶碗蒸しを食べられるようになる。だが、彼女は本音では茶わん蒸しが嫌いなままなので、「自分はプリンが嫌いだ」と思い、「大人になったらプリンなど食べずに生きていこう」と心に決めている。
そんな彼女は、家以外の場所でプリンを食べようとはしない。プリンなど家だけでたくさんだし、正直見たくもないからだ。外で母親以外の人間に普通のプリンを薦められ、目の前に差し出されても、彼女は決してプリンを口にはせず、全力で拒否して逃げる。
母は常日頃「自分ほどおいしいプリンを食べさせられる人間は、この世界のどこにもいない」と言っているが、世界一美味しいプリンでさえあの味ならば、どんなプリンも食べない方が良いに決まっている。プリンを食べろと自分に言わない人間こそが、一緒にいて楽で安全な人間だ、と彼女は思う。
「プリンとは甘いものである」と書いてある本を読んでも、「このプリンは甘いよ」と言ってくる人がいても、彼女にとっては全て、茶碗蒸し大好き人間による偏った感想か、茶碗蒸し推進派によるセールストークにしか聞こえない。
茶碗蒸しにも仄かな甘みは存在するので、それを誇張しているのだろう。プリンが甘い食べ物だなんて、ファンタジーにもほどがある。彼女はそう断じ、甘いプリンの実在を信じない。
彼女は成長し、やがて恋をするようになるが、プリンを食べろと自分に言わない人間としか交際しない。どんなに好みで優しい男性であっても、彼女にプリンを薦めてくるならば、その時点で彼女にとっては有害な人物だからだ。プリンを食べさせてくる人間など、母親以外にいてたまるか。もうこれ以上は勘弁してくれ、と彼女はそう思っている。
彼女は、プリンを食べろと自分に言わない人間ばかりを慎重に選んで異性との交際を重ね、やがて「彼は一生、何があっても、私にプリンを食べろとは言わないだろう」と信頼できた一人と結婚する。
さらに年月が過ぎたある日、彼女は自分が今までプリンだと思ってきたものが茶碗蒸しだったこと、本物のプリンとは一切の誇張なく甘い食べ物だったということを教えられ、「本物のプリン」を初めて食べる。
そして知る。自分が今まで避け続けてきたプリン――茶碗蒸しでないプリンならば、自分は好きであるということを。それをプリンと知らないまま、たまに一口味わった記憶を持っていることを。そして、過去の自分にプリンを薦めた人々は、その「本当に甘いプリン」を薦めて来ていたのだ、ということを。
例え話が長くなったが、この「プリンと茶わん蒸し」は、私の「愛」と「支配」に対する長年の誤解である。(茶碗蒸しが好きな方、ごめんなさい。)
私は「愛」という言葉がずっと嫌いだった。
「世界で一番愛している」と言われながら、絶対服従を要求されて育った私にとって、長年「愛されること」は「絶対服従すること」だった。
愛とは自由や自立と対立する概念であり、愛を受け取れば受け取るほど、相手の意思にそぐわない言動が行えなくなる、と認識していたのだ。
私の育った環境において「愛している」という言葉は、「だから自分の言う事を無条件に全て聞け、口答えするな、否定的な考えを持つな」という意味で使われていた。
だから私はずっと、そんな言葉が飛び交う恋愛小説・漫画・映画などは反吐が出る、誰かを好きだと思う気持ちは別の次元の話のはずだ――と、そんな風に思っていた。
「好き」なら分かる。「恋」も分かる。だが、それらの純粋さや尊さに比べて「愛」は重苦しく、相手を縛り付ける言葉であると、そう感じていた。
母に愛されることは、許容するしかない。
だが母と同じような存在が、支配者が増えるのは、勘弁してほしい。
母以外の他人になど、愛されてたまるか。
当時からそうハッキリと言語化できていたわけではなかったが、私の感じていた「愛」という言葉に対する嫌悪や、交際相手から干渉される事への過剰な反発は、そういった理由によるものだったと思う。
「夜だし家まで送るよ」と申し出てくる異性は、私の安全を心配してくれているのは分かるし、私に好意を持ってくれているかもしれないが、同時に私が一人で外を歩く自由を奪おうとしているに違いない。母でもないのに、そんなことをされたくない。
「ワタリはスカートやロングヘアも似合うんじゃない?」と言ってくる異性は、私の外見を高く評価してくれているかもしれないが、同時に私が好きな服を着て、好きな髪型にする自由を奪おうとしているに違いない。母でもないのに、そんなことをされたくない。
「今何してる?」「どこにいる?」と私の居場所や行動を聞きだそうとする異性は、私に興味を持っているかもしれないが、同時に私が好きなように行動する自由を奪おうとしているに違いない。母でもないのに、そんなことをされたくない。
――と、そんな思考で、私はずっと、自分に干渉してこない相手としか交際しないようにしていた。
「心配だから」「愛しているから」というのは、母もずっと使ってきた言葉だ。そんな枕詞のついた、母でもない他人からの干渉などというものは、全て拒絶せねばならない。そうしなければ、私は大人になることでようやく得た自由を失い、何一つ身動きが取れなくなる。そう信じていた。
一方で、自分に干渉してこない相手と恋愛関係になっても、満たされないことも分かってはいた。
愛されたい。しかし支配はされたくない。
ごく普通のこの感覚はあったが、「愛=支配」と認識していた私は、支配を拒絶しつつも、支配してこない相手から、愛されているとは認識できなかった。
愛したいけれど、好きだから支配はしたくない。
愛されたいけれど、好きになって欲しいだけで、支配はされたくない。
――というのは、当時の私の概念では、恐ろしく矛盾することだった。
支配したくないならば愛を伝える権利はなく、支配されたくないならば愛されたいと望む権利はない。私の知る世界は長年、そういうルールだったからだ。
愛は、ただでさえ難しい。
正しい愛がどういうものかを知っている人間であっても、正しく相手を愛することが出来るとは限らない。その上、その愛がきちんと相手に伝わるかは未知数で、更に、私のように受け取る側が愛の定義を間違えていれば、どう転がっても正しく伝わる可能性はなくなってしまう。
そして勿論私の方も、正しく誰かを愛することが出来ていたか、と言われれば、間違いなくできていなかった。
少なくとも10代の頃は全力で茶碗蒸しを製造しては拒否されて癇癪を起こしていたように思うし、徐々に「しょっぱくない茶碗蒸し」「具材を抜いて、出汁も抜いて、砂糖を入れた茶碗蒸し」あたりにすることで、相手がぎりぎりプリンだと認識できる範囲に収めるスキルは得たのだと思うが、そもそもが茶碗蒸しスタートである。プリンを作るという概念は、本当に最近まで、私の中に存在しなかった。
そう考えると、毒親育ちの人間がクリティカルな間違いをせずに、正しく自分を愛してくれる相手を見つけ、またその人を正しく愛することは、非常に難しいのではないかと思う。
私ほど意固地にならず、素直さがあったり学習能力が高かったりしたら、もしかしたら可能なのかもしれないけれど。
母の支配は、形としては非常に愛に似ていた。過干渉も過保護も、一見すると普通の愛に見えた。そこに私の拒否権が無かったこと、私の感情や意思が一切価値を認められなかったことが、母の「支配」と普通の「愛」の、唯一にして絶望的な違いだ。
愛とは何かを正しく知らなければ――言語化される必要はないが、概念として知っていなければ、求めることも与えることも、与えられたものに気付く事さえも、出来ない。
自分で自分を愛することでさえ、不可能だ。知っている愛の定義に「批判・否定すること」が入っていれば、自己受容さえままならない。
普通の人よりも多く愛を必要とするはずの、愛着障害を持っている人に限って、愛とは何かを知らず、正しく求めることも得ることも、得ている愛を認識することも出来ない――というのは非常に皮肉だと思う。だがそれこそが、毒の世代連鎖を引き起こす要因でもある。
十分に愛されて育った人でさえ苦しむ「愛」というテーマに、愛されずに育った人間が挑み、間違えずに乗り越えることが出来たならば、それは凄まじく尊く得難い事だと私は思う。
何度も何度も、恐らく気付いていない所でも間違え続けて今に至る私は、最近ようやく「愛」の色や形を知り始めたように思うけれど、遅すぎたな、という感想がどうしても出る。
ただまぁ、人生100年の時代において、アラフォーという私の年齢はまだ折り返しにも達していないのだから、これからでも間に合うと信じるべきだろう。
少なくとも今の私は「愛」という言葉を嫌いではなく、尊く温かいものだと認識できている。普通の人にとっては当然だろうけれど、これは私にとって、紛れもなく僥倖だ。
そして私は、その概念を得られた今の自分を、幸福だと感じられている。
プリンと茶わん蒸しの区別がつかず、取り違えて認識していた頃よりも、今の私はずっと息がしやすい。
愛は、支配ではない。
愛は、自由を阻むものではない。
愛は、尊厳を奪うものではない。
生まれながらにそれを知っている人は幸運だ。私よりも。
一方で母のように、それを知らないまま一生を終えてしまいそうな人よりは、私だって、幸運なのだ。
この幸運を、息子へと渡せるように。
息子が茶碗蒸しとプリンの違いをちゃんと覚えた状態で大人になってくれるように――そして私が自分自身を正しく愛せるように、出来る限りの事をしていきたい、と思う。