
標準語と共通語[占領下の抵抗(注xxxv)]
ここで標準語という言葉を用いたのは、標準語という言葉が飛び交った時代の事を想起しながら読んでほしいからです。
現在では標準語に代わって、共通語という言葉が多く使われている。
実際に日本全国で通じる言葉がある以上、それを共通語と呼ぶのは理解できる。
ただ
共通語を大辞林で引くと
②一国のどこででも、互いの思想や感情を伝え合うことのできる言語。わが国では東京語(特にその山の手言葉)がこれにあたる。全国共通語。
三省堂 2006-2008 Version 4.2.4 (R62)
とあった後に〔 〕つきで
〔共通語は標準語という用語を避けて用いるようになった語。標準語は全国に共通して用いられるとともに人為的に整備された規範性の強いものであり、共通語は自然に存在して全国に用いられるものとして区別する考え方による〕
三省堂 2006-2008 Version 4.2.4 (R62)
と書かれている。これには違和感を覚える。
現在使われている共通語が
人為的に整備された規範性
三省堂 2006-2008 Version 4.2.4 (R62)
によって作られた側面がある事は否定出来ない。
先の文言に沿うと、標準語を共通語と言い直す事は、そういった歴史的事実を隠蔽しかねないのではないかと危惧する。
それは共通語を
自然に存在して全国に用いられる
三省堂 2006-2008 Version 4.2.4 (R62)
当然のものとして、受け入れさせる装置として作用している可能性はないだろうか?
もし現在の共通語が標準語に比べ
人為的に整備された規範性
が弱まって感じられるのだとしたら、それは過去に強力な人為的な整備がなされた故であろう。
過去の事実について論じる場合は別として、標準語という理念的言葉を殊更に復活させる必要はないし、共通語という言葉を使う事は避けられないとしても、上記のような可能性を念頭に置いて使う必要があるだろうと思う。
追記(2024.2.17):
富岡多惠子との対談の中で、柄谷行人は母語と母国語を区別した上で
もう一つ大事なのは、母語と母国語の他に共通語があるということですね。大阪弁も多様であってね。各地から人が来ていたわけですからね。富岡さんも佐々木幹郎との対談で何度も言われてたけど、たとえば近松、西鶴は共通語で書いていたということ。しかし、あれがむしろ大阪弁でしょう。武智鐵ニが言うように、当時全国で通用したのは、問屋語である。それは江戸時代や経済・交通から見たら当たり前で、それが自然に形成された共通語なんですよ。
富岡多惠子との対談「漫才とナショナリズム」
その言葉をしゃべらないと、交易はできませんからね。武士の言葉というのも、参勤交代で江戸に出てきた武士が互いにまったく通じないので、謡曲や漢文をもとにして共通語を作ったわけですね。しかし、実際の経済になると、大阪の商人が中心だから、問屋語が全国の共通語になっていた。近松、西鶴もそれによっている。だから、今の大阪の人が、大阪弁を自慢するのはバカげている。あれは河内弁にすぎない。大体がふだんは母語でしゃべっていて、交通・コミュニケーションにおいては共通語でしゃべるというのは、これは世界中全部そうなんですよ。
富岡多惠子との対談「漫才とナショナリズム」
と語っている。
ここで述べられているような共通語についてであれば、先に述べた大辞林の〔 〕中の文言とも、とくに大きな齟齬はないだろう。
(柄谷行人は兵庫県尼崎市、富岡多惠子は大阪府大阪市出身)
引用文献: スーパー大辞林 3.0
編者:松村 明(まつむら あきら)
三省堂編修所 三省堂 2006-2008
Version 4.2.4 (R62)
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柄谷行人発言集 対話篇
発行日:2020年11月12日第一刷発行
著者: 柄谷行人
発行所: 株式会社読者人
引用した富岡多惠子との対談「漫才とナショナリズム」
のは1991年6月5日、初出:『すばる』1991年8月号

この記事は↓の論考に付した注です。本文中の(xxxv)より、ここへ繋がるようになっています。