標準語と共通語[占領下の抵抗(注xxxv)]
ここで標準語という言葉を用いたのは、標準語という言葉が飛び交った時代の事を想起しながら読んでほしいからです。
現在では標準語に代わって、共通語という言葉が多く使われている。
実際に日本全国で通じる言葉がある以上、それを共通語と呼ぶのは理解できる。
ただ
共通語を大辞林で引くと
とあった後に〔 〕つきで
と書かれている。これには違和感を覚える。
現在使われている共通語が
によって作られた側面がある事は否定出来ない。
先の文言に沿うと、標準語を共通語と言い直す事は、そういった歴史的事実を隠蔽しかねないのではないかと危惧する。
それは共通語を
当然のものとして、受け入れさせる装置として作用している可能性はないだろうか?
もし現在の共通語が標準語に比べ
が弱まって感じられるのだとしたら、それは過去に強力な人為的な整備がなされた故であろう。
過去の事実について論じる場合は別として、標準語という理念的言葉を殊更に復活させる必要はないし、共通語という言葉を使う事は避けられないとしても、上記のような可能性を念頭に置いて使う必要があるだろうと思う。
追記(2024.2.17):
富岡多惠子との対談の中で、柄谷行人は母語と母国語を区別した上で
と語っている。
ここで述べられているような共通語についてであれば、先に述べた大辞林の〔 〕中の文言とも、とくに大きな齟齬はないだろう。
(柄谷行人は兵庫県尼崎市、富岡多惠子は大阪府大阪市出身)
引用文献: スーパー大辞林 3.0
編者:松村 明(まつむら あきら)
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柄谷行人発言集 対話篇
発行日:2020年11月12日第一刷発行
著者: 柄谷行人
発行所: 株式会社読者人
引用した富岡多惠子との対談「漫才とナショナリズム」
のは1991年6月5日、初出:『すばる』1991年8月号
この記事は↓の論考に付した注です。本文中の(xxxv)より、ここへ繋がるようになっています。