「心が旅したがっているんだ」
「心が旅したがっているんだ」
私の中に、2~3年前からくり返されていた言葉。
時に、少年の声で。
時に、少女の声で。
何かのキャッチコピーだっただろうか?
その言葉が繰り返されるたび、私の中の何かが、焦るような、ソワソワするような、いたたまれないような感覚になる。
現実世界での旅行なら、夫と二人で、月に1~2回は行っている。
プライベートで、お仕事で、霊的なお仕事で。
北海道中を。
元々夫とは、かなり前の前世でも、夫は身体を持って、私は魂だけで一緒に旅をしていた時代がある。
その頃も、今も、とても楽しいし、幸せな旅だ。
でも、私の中の何かが削られていく。
生きる力が削られていくように感じる。
枯渇していく。
仕事では、一定の成果を上げ、成功とまではいかなくても、うまくいっているというのに。
自分が幽霊になったように感じる。
「心が旅したがっているんだ」
本当は、その答えを知っていたかもしれない。
「私の中への旅」
今の仕事を始める前に、自分の内側にある森の木を1本ずつ観察するように、一つ一つと向き合って、あふれ出るように書いた文章群、「私の中の森」
その最後に、「森の外へ旅に出る」と書いた気がしたが、でも、ずっと、私はその旅に出る事が出来なかった。
9年間、何度も書こうと試みたが、文章が全く浮かばない。
書いても、納得がいかない。
私の内側に、旅をする言葉が無い。
仕事で精いっぱいだったり、夫や久恵先生、娘達、親との関係、それらで充実していたり、翻弄されたりしていても、自分を見つめるために自分の心の内側に深く潜るような、あの感覚は、私の中に湧き起らなかった。
「幸せだから?」
そう考えたが、でも、私の枯渇感は消えない。
「心が旅したがっているんだ」
途方に暮れている間に、私の枯渇感は少しずつ、何かが降り積もるように、重くなっていく。
それは、羽のように軽い軽いものなのに、ふわりとふりつもって、気付けば私の心はずっしりと重く、心が死にそうになっている。
「ああ、そうか。私は、私の心は、旅をしたがっているんだ」
そう気付いたのは、今月。
きっかけは、娘たちがくれた。
実はとても辛いことがあったが、それが、私の中へ下りていくきっかけを作ってくれた。
その頃に、夢もよく見た。
「心が旅したがっているんだ」
「心が旅したがっているんだ」
心が旅をしない事によって、「私」は死にかけていたんだと思う。
「私」を失いかけていたんだと。
「私」はそういう人だ。
心の内側をざりざりと削りながら、自分の内側を見つめたい人なんだ。
やっと最近、自覚した。
暗いところを潜るように、当てのない荒野を一人行くように、強い風に吹かれるように、踏みしめた大地を一足分ずつ、言葉で埋めていくように。
私の中へ旅に出よう。
(2023年5月30日 記)