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<博物館に初もうで>東京国立博物館常設展(1)《松林図屏風》の印象がまた変わった

(長文になります)


はじめに

 昨年、2月23日に私は国宝《松林図屏風》に関する下記の記事を投稿しました。

 それは、《松林図屏風》の実作品を昨年の正月展示で久々に観た感想を述べたものです。
 その際、若い時に教科書で習って以来現在まで4つのステージに分けて《松林図屏風》の感想の変化を説明しました。

表1 長谷川等伯《松林図屏風》鑑賞 感想の変遷
展示「国宝 松林図屏風」(東京国立博物館)その1:
知識、経験が変われば見方も変わる。実物鑑賞変遷記より引用 https://note.com/wataei172/n/n5822667966ef

 第四ステージが、昨年正月の感想です。その際、サインペンによる松の模写を行い、長谷川等伯の気持ちも推し量ってみました。

 さて上記記事の最後に、私は日本美術の専門家や他の分野の著名人はどのように鑑賞しているのか知りたくなってきたとして、次回の記事で紹介することを約束したのです。

 ところが現在に至るまでその約束は果たしていません。正確に言うと作業は早々と終わり、記事の下書きも用意しました。しかし、投稿できなかったのです。

 その理由は以下の通りです。

 まず日本美術の専門家が学問的立場から作品の解説と鑑賞法を述べているのは当然のことながら、調べてみると驚くほど多様で広範囲の専門外の人々が《松林図屏風》についてユニークな意見を展開しているのです。
 大げさに言えば、《松林図屏風》を語らなければ、日本人にあらずという有様です。実際、一番好きな日本の絵は何かと日本の人々にアンケートを取ると大半の人々が《松林図屏風》を第一位に挙げるようです。

 一方、世界的名声を博しているのは葛飾北斎《神奈川沖浪裏》であり、《松林図屏風》は一部の専門家以外はほとんど知られていないと思われます。両者の海外での受け入れられ方は対照的です。「一体、このような内外の評価の差をどのように観たらよいのか? 《松林図屏風》に対する各界著名人の意見をまとめ記事にする前に、自分の見方をもっと深めるべきだ」と考え投稿を見送った次第です。

 以上の理由から、再度《松林図屏風》の実物を見る機会を待つことにし、本年1月3日と9日に東京国立博物館を訪問して改めて《松林図屏風》をつぶさに観察しました。

図1 会場風景(筆者撮影)

 その結果を以下に述べたいと思います。

2025年、改めて《松林図屏風》を見た感想

描きたかったのは空気と霧に違いない

図2 長谷川等伯《松林図屏風》左隻 国宝
出典:筆者撮影
図3 長谷川等伯《松林図屏風》右隻 国宝
出典:筆者撮影

 昨年久々に観た《松林図屏風》は思っていたよりも小さく感じたことを述べました。ところが、今回は逆に大きく感じたのです。

 同じものを見ているのに、このように変化するのは、人間の眼がカメラのような物理的、機械的なものではなく、その時の心の状態(脳の神経回路)に左右されるからでしょう。
 昨年一年近く、《松林図屏風》の画像を見続けた結果、今年は細部ではなく全体を見る気持ちの余裕があったからかもしれません。

 さて昨年は、松の模写を通じて、《松林図屏風》叢松周りおよび余白は「霧という実体である」ことを感じたことを述べました。

 しかし昨年の時点では、《松林図屏風》の題名が示す通り、等伯は「松林」を描いたもの、主題は松林だと思っていました。ところが今回全体を下から横から様々な角度と距離から眺めてみると、画家が描きたかったのは、松林を借りて、実は「空気」、「霧」そのものだったのではないかと思うのです。
 すなわち、観た瞬間次のような思いが頭をよぎりました。

 あっ、松林を描いたのではない。霧を、空気を描いたのだ。マッシブな空気が充満している感じ。温泉の湯煙の中で、むせかえる蒸気を感じるように。こんな描写は中国絵画にあっただろうか? 西洋絵画においてもあっただろうか?

 正面から見ると感じないのですが、左右から斜めに観ると、各叢松自身だけでなく、叢松の間の空間に霧が充満している様子が明確に感じられるように思います。

図4 《松林図屏風》左隻を左から右に向いて観る(筆者撮影)
図5 《松林図屏風》右隻を右から左に向いて観る(筆者撮影)

 今回《松林図屏風》を見たのは今年の1月3日と1月9日の二日だと冒頭で書きました。
 実は1月9日は国立西洋美術館で開催中の「モネ 睡蓮のとき」展を訪問することが主な目的で、終了後に東京国立博物館に寄って《松林図屏風》を再度見に来たのです。

 私の最近の一連の展覧会の訪問記事をお読みの方はお分かりになると思いますが、昨年夏に京セラ美術館で行われた「村上隆もののけ京都」展を見て以来、日本絵画の空「青空」「雲」「夜空」、すなわち空気)の描写に関心を持ち、日本絵画だけでなく、参考となる西洋絵画の空と雲の描写にも改めて注意を向けるようになりました(詳しいいきさつは下記を参照ください)。

 そこで今回のモネ展です。

 モネ展については別途記事にしますが、《松林図屏風》に関連して、一点だけ作品を紹介したいと思います。それは、図6に示す自宅近くのセーヌ河畔の風景を描いた油彩作品です。

図6 クロード・モネ《ジヴェルニー近くのセーヌ河支流、日の出》 油彩
出典:展覧会公式サイトより https://www.ntv.co.jp/monet2024/gallery/

 モネは同じ場所を時刻を変えて何枚も連作したことはよく知られています。図6は連作の中の一枚、朝日が昇る直前川霧が辺りを充満する様子を描いています。

 私は、この絵を見た途端に《松林図屏風》の霧と同質のものを感じました。両者の手法は全く違うにもかかわらず・・・。

 すなわち《松林図屏風》では、白い紙と墨、すなわち余白だらけの紙の平面の中に、叢松の濃墨薄墨の塊がリズミカルに配置されているだけで、どこにも墨の盛り上がりはありません。当然ですが墨は紙の中に染みわたっているからです。残りはただのの白です。
 一方、図6のモネの油彩では、絵具はカンバス上に盛り上がって塗られており、しかも充満する霧を表す白い部分は、カンバスの余白ではなく「白色」絵具が画面全体に余すことなく塗られているのです。すなわち、「余白」というものはありません。
 この様子は、図6に示すディスプレイ上の画像印刷物では決して感じることはできず、実物を見てはじめて感じることが出来るものです。

 このように、まさに”水と油”のような正反対の描き方にも関わらず、同質のものを感じたのはなぜでしょうか。

 その理由は、モネ展でみたもう一つの連作作品にあります。それは、ロンドンのチャリング・クロス橋を描いた4作品です(図7)。

図7 「モネ 睡蓮のとき」展で展示された「ロンドン、チャリング・クロス橋」連作作品
出典:wikipedia, public domain

  これまで、私はモネの連作は、同じ場所の光の変化を捉えようとするものだと思っていました。ところが「モネ 睡蓮のとき」展では、光ではなく霧に霞む、4点ものチャリング・クロス橋と1点のウォータールー橋の絵が展示されていたのです。
 これらは連作の一部で、チャリング・クロス橋に至っては、油彩だけでも30点以上、パステル画5作あります(ウィキペディアによる)。

 明らかにモネは橋を描きたかったのではなく、チャリング・クロス橋を借りてロンドンの霧を描きたかったに違いありません。

 それにしても、同じ場所を霧だけに三十数点も描くとは何という”画家魂”でしょうか。西洋絵画でこのように霧(空気)を描こうとした画家はターナーしか思い当たりません。

 ここに私が《松林図屏風》を見た時に同質だと感じた理由があります。

 すなわち、モネチャリング・クロス橋を借りて霧(空気)を描いたように、長谷川等伯は松林を借りて霧(空気)を描こうとしたのだと。

 もちろん、モネ近代西洋絵画、しかも新たな絵画を始めた近代の西洋画家であり、モネから遡ること約300年前の東洋の孤島の一絵師である長谷川等伯モネ同じ絵画観を持っていたとは思えません。

 しかし、ここからはまったく私のこのみになるのですが、能登から出てきて狩野派と対抗する長谷川派を起こすまでになった軌跡作品の変遷とともにみると、長谷川等伯が強烈な画家魂を持っていたにちがいないと思わざるを得ないのです。

 そこで今回の感想の結論としては

 長谷川等伯は松林を借りて霧(空気)を描きたかったのだ、それはモネが連作を通じて霧を描こうとした共通の画家魂がなせるわざではなかったか

 としたいと思います。

《松林図屏風》はやはり日本の「水墨」だった

 さて、冒頭で昨年私は《松林図屏風》についての各界の人々のコメントを調べたことを述べました。
 《松林図屏風》についてのコメントの中で共通なのは、この絵の持つ日本の独自性です。もともと2年前に水墨画を本腰を入れて鑑賞し始めたのは、日本の水墨画中国の水墨画に比べて何が違うのかさっぱり分からなかったこと、さらに言えば日本の絵画の独自性が何かを知りたかったことが動機です。

 昨年の記事の最後に私は次のように述べました。

 松という題材は中国水墨山水画にはあまり主役として描かれていないと思うのですが、《松林図屏風》左隻の右上に雪山が描いてある以上、やはり「水墨山水画」と言ってよいと思います。

展示「国宝 松林図屏風」(東京国立博物館)その1:
知識、経験が変われば見方も変わる。実物鑑賞変遷記
 https://note.com/wataei172/n/n5822667966ef

 その後、長谷川等伯の同じく国宝の《楓図》を見て、下記の記事の中で
「西欧人、中国人の目になって《松林図》、《桜図》、《楓図》、《松に秋草図》を見て」
という「」を設け、西欧人中国人(明時代)に成り代わって《松林図屏風》を評価するとどうなるのか試みてみました。

 以下その部分を抜粋します。

<西欧人の感想>
《松林図屏風》
●この絵の主題は何だろう。ただまばらに松が散らばっているだけだ。まったくこの絵から何も伝わらない。画家は一体何を伝えたいのだ。画家の世界観、思想が全く見えない。
●このだだっ広い白い紙の部分は何だ。筆が入っていないではないか。未完成のまま放置しているのか。もっと筆を入れて完成させなければ。
●松の葉は乱暴な筆致ではあるがリアルに描いている。しかしその枝葉と幹、根を入れた松全体は単なるシルエットにしか見えない。まったく立体感を感じない。松林や一応山も描いているようだが奥行き感がない。空間が描かれていないのだ。絵画とはとうてい思えない。

国宝障壁画展示《楓図》《桜図》(智積院・宝物館):
茫々60年、あれは夢・幻だったのか?国宝の前のお昼寝
https://note.com/wataei172/n/nf14b79a6e11d

<中国人(明代)の感想>
《松林図屏風》
で描いてあり、松の他に山が薄く描かれれにしても大雑把な印象。描写に緻密さ、厳格さがない。全体に密度がなくゆるい。
水墨山水士大夫が眺めるものであり描かれるものすべてに意味がある。すなわち描き方に約束がある。しかしこの絵にはその片鱗すら見いだせない。水墨山水の決まり事にしたがっていないので水墨山水画とは云えない。

国宝障壁画展示《楓図》《桜図》(智積院・宝物館):
茫々60年、あれは夢・幻だったのか?国宝の前のお昼寝
https://note.com/wataei172/n/nf14b79a6e11d

 以上《松林図屏風》に対する評価は、西洋人、中国人(明時代の)ともに散々な結果ですが、逆に言えば、それほど独自性があるとも言えるわけです。

 以上を頭に入れて、今回作品を詳しく検証してみました。

■左隻の山の形状

 図8に左隻の右上の山の拡大図を示します。中国の水墨山水で一般的な峩々たる山岳とは違い、あきらかに日本の山に特徴的ななだらかな稜線を持つ形状です。
 もっと云えば、私には富士山の形状にも見えてくるのは考えすぎでしょうか? しかも中国の山水画では山岳の存在感が半端ないのに、この絵ではややもすれば気が付かない程度、大変控えめに描かれています。

 もし、中国の山水画と同じところがあるとすれば、それは次に議論するように、近景(松)が下部に、遠い山が上部に描かれる、すなわち上下の描写で遠近を表す表現方法だけです。

図8 左隻の山の拡大図

■松林の中の松の位置関係、松林と山との位置関係

 濃墨手前の松の根っこの位置と、薄墨の松の根っこおよび頂点の位置を図8(左隻)および図9(右隻)を示します。
 図中では、松の根の変化赤い線で、松の木の頭頂位置の変化緑の線で示しました。赤い破線は、霧に隠れて分からない松の根の想定位置です。
 明らかに、左隻の松山の頂点に向かって上昇しているように見えます。一方右隻は、濃墨の松の根っこだけを見ると、一見平らな地面に生えているように見えますが、薄墨の松の頂点と根っこの位置を見ると、左に向かってなだらかに上昇しているものと判断できます。

図8 左隻の松の根の位置の変化:赤線(実線)は、手前の農墨の松も根の位置を示す。赤線(破線)は、薄墨の松の根の位置を示す。緑線(実線)は、薄墨の松の頂点の位置を示す(写真は筆者撮影)。
図9 右隻の松の根の位置の変化:赤線(実線)は、手前の農墨の松も根の位置を示す。赤線(破線)は、薄墨の松の根の位置を示す。緑線(実線)は、薄墨の松の頂点の位置を示す(写真は筆者撮影)。

 以上の左隻、右隻の図を併せると図10のようになります。

図10 左隻と右隻を併せて正面から見た様子

 こうしてみると、眼前の松濃墨で表され、その背後の松は周囲の霧によって薄れながら、左右から中央の山に向かって上昇していく風景画です。そして画面全体に充満する霧(空気)画家は描こうとしたのだと実感できます。
 少なくとも現存する室町水墨画にはこのような作品はありません。それでは大和絵かというと、特徴となる装飾性華やかな彩色片鱗すらありません。やはりこの絵は水墨画と言わざるを得ません。
 それでは、どう見たらよいのでしょうか?
 確かに、多くの専門家が云う様に、運筆そのものは、中国の画家の牧谿の影響はあるかもしれませんが、もはや霧(空気)をメインテーマに持ってくるのは、日本独自の水墨画というよりも、長谷川等伯という画家自身の水墨画と云えないでしょうか? 私には近代西洋絵画の画家モネの姿と重なるのですが。

さいごに

 以上私にとって長谷川等伯《松林図屏風》三回目の実物鑑賞結果を記事にしました。
 描かれている部分何も描かれていない領域をどう感じとるかで、人によりその内容は大いに異なってくると思います。

 現時点では、中国の水墨山水でもない、西洋風景画でもない、突然変異のように現れた、独自の絵画とみなしたほうが良いのかもしれません。
 ただ、今回紹介したモネの油彩のように今後西洋絵画の空気の描写にも目を向けて鑑賞を継続したいと思います。

((2)に続く)

 前回の記事は下記をご覧ください。



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