<エゴン・シーレ展>東京都美術館:シーレの線描とカール・モルの木版画、分離派展ポスターと風景画を楽しんだ。
はじめに
東京都美術館で開催されている「エゴンシーレ展ーウィーンが生んだ若き天才」に行ってきました。
エゴン・シーレについては、以前から女性の裸体デッサンの線描に惹かれていたので、展覧会が始まる前から気になっていました。最近読んだこの展覧会訪問記事の中で線描が素晴らしいとあったので行くことにしました。
それでは、さっそく感想に移ります。
感想まとめ
私は展覧会に行く場合、事前の下調べはほとんどせずに行きます。理由は、この記事の表紙画像の中で書いてあるように、「線スケッチ」の立場で鑑賞することが主な目的なので、特定の画家の名前ではなく線描に関して作品が充実しているかどうかがに関心があるからです。
「線描」といえばどうしても東洋の絵画が主体となります。近年は、江戸絵画や日本絵画に関する展覧会が目白押しなので、ジャポニスムに関する以外は西洋絵画の美術展に足を運ぶことがなく、この展覧会に行った方がよいのか迷いました。それを判断するために、今回は珍しく訪問記をいくつか読んでみました。
冒頭に書いたように、シーレの線描に感動したとの記事があり、行くことにしたのですが、一方クリムトをはじめとするウィーン分離派の画家たちの作品が多く、エゴン・シーレの作品が少なく残念だったとマイナス評価の感想記事も見つけました。
確かに、115点の作品のうち、エゴン・シーレの作品は50点ですから、ほぼ半分、厳密にいえば半分以下で、少ないと感じても不思議ではないでしょう。
タイトルの「エゴン・シーレ展 レオポルド美術館 ウィーンが生んだ若き天才」という内容をそのまま受け取るならば不満を感じる作品数だと思います。
しかし全体の構成を見ると、ほぼ全てコレクターのレオポルド夫妻が収集した作品からなること、作家はシーレ単独でなくオーストリア、特にウィーン分離派の画家の作品を加えて、シーレの生前のオーストリアの美術の動きが分かるようになっているので、少なくとも私にとって新しい作家の発見もあり、シーレの風景画の魅力を知るなど充実した展覧会であったと思います。
なお、主催の中に、朝日新聞社、フジテレビが入っているので、チケット販売の営業的観点からは、日本人にはなじみのないウィーン分離派の画家の名前を出すのではなく、有名な「エゴン・シーレ」を前面に出さざるを得なかったのでしょう。
もしこの展覧会の構成を企画したのが学芸員の人だとするとタイトルのロゴの中に小さく「レオポルド美術館」と入れたのがささやかな意思表示かもしれません。
さらに推測すると、エゴン・シーレの作品だけにしなかったのは、「レオポルド美術館」側の要請だったことも考えられます。あくまで私の主観的な意見ですが、欧米のコレクターは独自の審美眼や感性で画家と作風を選び収集しているので、美術館として公的な機関になっても、一般公開についてコレクターの意思がつらぬかれている気がします。
ですからレオポルド夫妻(レオポルド美術館)も公開に関してなんらかの方針を出している可能性があると思うのです。
前置きが長くなりました。以下に私の感想をまとめます(展示構成は全部で14章になっていますので、章毎に記します)。
上にまとめた感想をそれぞれ補足説明します。
第2章:カール・モルの木版画は、線スケッチの立場からは必見。
3点出展されていたうちの二つを示します。彩色はされていますが、黒の輪郭線および黒のべた塗りが主要な部分をしめているので、遠近法を除けば水墨画と同じ印象を受けます。線スケッチの風景画と同じ描き方になるので、大変参考になります。特に、中景、遠景の樹木の描写は、木版画としてはとても丁寧に枝を描写しているので、独特の雰囲気を出しています。ヨーロッパの石畳の描写も参考になります。
この作家の木版画の作品は大変多いので、別途調べてみたいと思います。以前、このシリーズで以前紹介したエミール・オルリックは、ウィーン分離派の仲間ですが、そのオルリックが同じ仲間のコロマン・モーザーの肖像木版画を制作しているのに気が付きました。(下記)
仲良く全員が写真に納まっているのをご覧ください。
今回、カール・モルが木版画を制作していることを知り、オルリックとお互いに影響しあったかもしれないと思いました。木版画関連でも調べてみる価値があると思います。
第3章:ウィーン分離派の展覧会の一連のポスターの絵柄とロゴに注目。分離派時代のエゴン・シーレの花および菊の油彩の作品も面白い
左の長い題名の油彩は背景こそ銀箔、金箔が貼られたように描いてクリムト調ですが、植物本体はエゴン・シーレの独特な描写そのものです。花だけでなく、右の菊の絵でわかるように、葉の形が尖った部分を持つある種の癖があり一目見てシーレの作品だということが分かります。
このように植物の形を一目見てあの作家だとわかるのは、ジョージア・オキーフか葛飾北斎ぐらいしか今のところ思い出せません。
独特の癖がありますが、人を引き付ける力があります。
第4章:クリムト、シーレ他の風景画が展示。個人的には、中遠景の樹木の描き方に注目した。樹木だらけで描くのが難しい風景が多い。
クリムト、シーレ以外に、エルンスト・ストール、レオポルト・ブラウエンシュタイナー、カール・モル、アルビン・エッガー=リンツの風景画が展示されていたのですが、感想で書いた肝心の中遠景の樹木を描写した作品のフリー画像が見つからないので、クリムトとカール・モルの風景画だけを示します。
今回はクリムトの作品自体が少ないのであえて冒頭の感想まとめには入れませんでしたが、いつの頃か、おそらく20年近く前だと思いますが、テレビで見たクリムトの風景画に驚いた記憶があります。ジャポニスムの影響による装飾的、官能的女性人物作品群しか知らなかったのですが、クリムトの風景画は建物、樹木や花、湖水を独特の表現で描き、華やかな色遣いはないのですが、えも言われぬ魅力があり、それ以来気にかけていました。
ここで示した作品はむしろ印象派の作風に近いのでクリムトの風景画としては異なるテイストですが、クリムトの別の一面を示していることは読み取れると思います。
第5章:コロマン・モーザーの様々な作品。中でも、「レザン(ル・シャモセール)」は新版画風、「雲の習作」は日本画風に感じる
この第5章はコロマン・モーザーの作品が取り上げられています。「万能の芸術家」という副題がついていますが、確かに油彩一つとっても、いろんな試みをしていることが読み取れます。
最初の山の絵、「レザン」は、どこか平板的、装飾的で新版画の吉田博の山岳木版画を思い起させます。
一方、「栗の花」「キンセンカ」の絵も、戸外の植物だけをクローズアップして描くのは西洋的ではなく、日本の絵を思い起させます。
さらに、上に示す「雲」と「山脈」に至っては、筆のタッチさえなければ、日本画(例えば東山魁夷)のようです。
第7章:「ほおずきの実のある自画像」は、油彩の筆のタッチが魅力。線描の観点では日本画のように仕上げても魅力が出るはず。
今回の展覧会の目玉の一つとなる作品だけあって、小ぶりながらインパクトのある作品です。下書きの線描まで想像させる描写です。油彩ではなく浮世絵版画の役者絵のように木版画にしても魅力のある作品になりそうです。
今回、エゴン・シーレの人物画の油彩や水彩を作品に近づいてよく肌の塗り方をよく見たのですが、実に多彩な色を使っていることに気が付きました。白、赤や緑などかなり強い色彩を使っていても不自然ではないのです。
特に青緑のアクセントとしての使い方は線スケッチにも応用できそうな気がしました。
第8章:女性像がテーマ。水準は高いが、表現主義の作風のため分かりにくい。手の表情が印象的。
これらの作品は、直接「線スケッチ」に関連しません。以下気づいたことです。
なぜか<手のポーズ>に目が行きます。
本展覧会では自画像だけでなくポートレート写真が何枚も展示されています。これらの写真ではいずれも綿密に計算されたポーズをとっています。まず目の表情に注目が行きますが、手のポーズも独特です。
上の絵もやはり綿密に計算してそのポーズを決めているのではないかと思います。
第9章:エゴン・シーレの風景画に驚き。線描、構図、デフォルメは街歩きスケッチに参考になる。中でも枯れ木の絵に衝撃を受けた
これまでシーレの町の風景は、見たことが無かったのでかなり驚きました。個々の家屋の輪郭は適度にゆがんで味わい深く、奥行きについては、西洋の透視図法を使わず、日本の江戸以前の絵画と同じ俯瞰法で上から家屋を重ね合わせて表しています。彩色も、町の部分は茶と白を基調とし、時おり黄色や赤を交えてアクセントにする一方、手前下の川と空の最上部は黒ベタに塗るなど特異な表現で、一度見たら忘れられません。
上の油彩に対して、鉛筆画も展示されていました。迷いのない動きでリズムがあります。特に気になったのは空間の空き方です。未完成という見方もできますが、インターネットで調べると類似の作品があり、計算されて描いているように思います。
丁度日本の絵の「余白」のように。
引っ越し前の荷造りの様子を描いたものだそうです。大きなデフォルメもなく素直な描写で、遠近法も透視図法を使っているので、私が描いている線スケッチと同じ感じなので見る方もしっくり来ます。
左の絵は、今回展示されたエゴン・シーレの作品の中で一番強い印象を受けた作品です。全体にモノクロームの色調なので水墨画風の上に、枯れた木の枝が細かく震えながら画面全体にのたうちまわっている様はまるで、現代の書を見るようです。
似た作品を描いていないかと探したところ、右に示す「秋の太陽と木々」と題する作品を見つけました。この木の枝も細かく震えるような独特の枝ぶりを表しています。
この震え方はどこかで見たと思って思い出してみると、現代書家の石川九楊氏の書でした。(下記webページで作品をご覧ください)
第13章:期待を裏切らない裸体画。線描だけでなく今回は肌の彩色の多彩さに注目
実は、裸体画については、作品同士が似ているので、正確に記憶することができず、wikimedia commonsから見つけた上に示した画像が果たして展示されていた作品かどいうか自信がありません。
しかし、私がこれまで記憶していた裸体像と違って、後ろ姿のももから膝の後ろ、ふくらはぎの描写は見たことがなかったのでここに示すことに示した。
すらりと伸びた脚の部分をほとんど修正することなく一気に描いた思われる線が気持ちよいです。
裸像の線の魅力はもちろん、彩色もシーレの特別な感覚を感じます。特に、肌の色には赤、青緑、茶などを織り交ぜて独特の雰囲気を作りあげています。そのままは真似しにくい色使いです。
なお、シーレの裸体画を見るたびに、なぜシーレらしい絵だと感じるのか不思議に思います。数えきれない古今の画家が女性の裸体を描いていますが、シーレほどにはその画家らしいと感じることはないのです。
女性の身体の筋肉のふくらみは普遍ですから、ふくらみ始めからしぼむ位置は変わらないはずです。ですから、シーレはごくわずかですが、ふくらみの程度を誇張して描いているのではないかと思います。
第14章:新妻の肖像画と大きな作品「横たわる女」が印象に残った。第49回ウィーン分離派展のポスターが興味を惹いた。背景の黒べた塗りに注目。
共に油彩ですが、線描が目立つ作品で、ついつい線の表情と行方を追ってしまいます。
表現主義の分かりにくい作品から晩年にこのような線描が明瞭な作品に移った理由はわかりませんが、私にとってはありがたい変化です。
右の「横たわる女」はかなり大きな作品で、真ん前で全体を見ていると、背景の金色を思わせる明るい茶色と大きく広がった着物の複雑な輪郭線と人物の輪郭線が目の前に広がって、まるで日本の障壁画のように見えてきました。
実は第3章の「ウィーン分離派の結成」では、6枚のポスターが展示されており、この記事でも紹介したかったのですが、フリーの画像を探せなかったので見送りました。
異なる作家が制作しているのですが、不思議と統一感があり、特にそのロゴは共通性を感じました。
ここに示したのは、エゴン・シーレが絶頂期の、自身が作成したポスターですが、やはりロゴは類似の幅広で漆黒の同じ文字を使っています。他の作家と違うのは、この漆黒の文字に合わせるべく上の最後の晩餐のような光景の背後を漆黒のべた塗りにしていることです。
黒べた塗りについては、このシリーズでは何度も言及しました。最近ではヴァロットンの展覧会でも黒べたについて紹介しました。
私としては、どうしても日本の絵画の黒べたを思いだすので、シーレのこのポスターも日本の影響だといいたくなるのですが、おそらくそれは違うでしょう。
終わりに
タイトルだけ見るとエゴン・シーレ一色の内容ではないかと思いますが、実際はウィーン分離派の画家たちの作品も多く展示され、当時のウィーンの美術情景が分かる立体的な構成の展示になっています。
新しい画家を知ることができて期待以上の内容でした。
(おしまい)
前回の記事は下記をご覧ください。