展示「国宝 松林図屏風」(東京国立博物館)その1:知識、経験が変われば見方も変わる。実物鑑賞変遷記
はじめに
昨年東京国立博物館で開催された<やまと絵>展を訪れた時に、博物館の広報を読んで正月2日から「国宝 松林図屏風」が展示されることを知りました。
毎年正月にこの松林図屏風が展示されることは、日本美術ファンならばよく知られているようなのですが、お恥ずかしいことに私はまったく知りませんでした。
そこで、年明け早々この国宝を見に出かけました。
私が《松林図屏風》の実物を見たのはいつごろか定かでないのですが、その光景だけは強く記憶に残っています、おそらく20年以上前でしょう。
一方、1月29日付の記事の中で2023年を振り返ったように、昨年は水墨画の鑑賞に焦点を当ててきました。
昨年鑑賞した順に、作者、作品名、時代を以下に示します。
以上でお分かりのように、日本の水墨画の名作、本場中国北宋の名画の実物を満遍なく見てきました(水墨山水の頂点の作品、范寛《渓山行旅図》北宋、郭煕《早春図》北宋 の実物を10年前に見たので、それらも加えてるとさらに範囲が広がります)。
今回の動機ですが、室町水墨画だけでなく長谷川等伯《松林図屏風》が加われば、私の水墨画鑑賞における二つの疑問のうちの一つ:
に対する手がかりを得ることができるのではないかと思ったのです。
《松林図屏風》に対する感想の変遷
表1に、教科書で《松林図屏風》に出会ってから今回の東京国立博物館の正月展示の鑑賞までの感想の変遷を示します。
若い頃(中学生なのか高校生のどちらか)の教科書に載った写真の出会いから、今回の東京国立博物館の正月展示まで、写真、実物それぞれ4つの段階に分けて私が抱いた感想の要点を表1にまとめました。
以下、各ステージの補足説明をします。
第一ステージ
70代半ばの私が中高生のころの美術教科書に日本美術が載っていたかどうか記憶があいまいです。当時の美術教科書は西洋美術一辺倒だったと記憶するので、もしかすると日本の歴史の教科書の中で紹介されていたかもしれません。
いずれにせよ、日本美術については当時私はまったく馴染みがないので、書かれていることをそのまま鵜のみにするしかありません。写真を見て「ああ、そのとおりだな」と。
第二ステージ
約20年前なのか10年前だったのか、これも記憶が定かではありませんが、何かの特別展で始めて実物の作品を目にしました。
さすがに西洋美術一辺倒の時代が終わったのか、世間では伊藤若冲や曽我蕭白などの奇想の画家達が注目され日本絵画の展覧会に人が集まる時代になりました。私自身も日本美術に目が向きだした頃です。
とはいえ、訪れる美術展といえばまだ西洋美術中心でした。そして多くの西洋美術愛好家が辿るように、近代西洋絵画の変貌の歴史に沿って、絵の見方や嗜好が変わり、最終的には現代アメリカにおける抽象絵画やポップ・アートにまで関心が広がりました。
ですから、日本美術に目が向きだしたと言っても、「ジャポニスム」の関連で浮世絵を丁寧に見るようになったという程度です。
以上のような状況で《松林図屏風》の実物を見た時の感想はしごく単純で「ああ、ずいぶん大きいな」という第一印象でした。これまで印刷写真だけを見ていたので大きいと感じるのは当たり前です。
次に感じたのは、荒々しい筆遣いや全体に広がる白い空間と黒々とした墨の面との配分がまるで現代抽象絵画だと思ったことです。
今から思えば「余白」の美とか、と「書」の美など日本(東洋)の美を先に感じてもよいのに、欧米の抽象絵画から発想するあたり、いかに西洋美術の価値観に当時染まっていたかを示しています。
第三ステージ
さて、このステージでは私はすでに「線スケッチ」の魅力にはまりスケッチを続けていた頃になります。
noteの記事で何度も紹介しているように、「線スケッチ」では、「線」の描写が命です。そのため線に作者の気持ちが表現できるように一定の幅のペンではなく先がフェルトや毛筆タイプのペンを使用します。
ですから輪郭線を肥痩のある、あるいはスピード感のある線で描くことができるのですが、それは水墨画あるいは江戸以前の日本絵画と同じだと言ってもよいのです。しかし大きく異なる点は描写には西洋美術の技法を使うことです。すなわち、透視図法や陰影による描写と彩色です。
あくまで私だけかもしれないのですが、真っ白い紙にペンを走らせていると、白い空間をどんどん線で埋めたくなります。白い部分があるとまだ完成していないという感覚に襲われます。それはよく言われる欧米人の「空間恐怖」という感覚そのものでしょう。
そのために、第2ステージでは《松林図屏風》を抽象絵画みたいだとポジティブに捉えていた私が、第三ステージでは一転、別人の如くマイナスに見えるようになってしまったのです。
実は、日本絵画のある特徴にどうしても”許せない”、いやもう少しマイルドに言います;”気に入らない”点があったのです。
それは何かというと、あの絵巻物からはじまる、”霧”や”雲”です。絵巻物では場面転換という役割があるのでまだ納得しますが、後代の桃山期では金雲やすやり霞を連発して中遠景をまったく描かなくなります。洛中洛外図屏風に至っては、画面の半分を覆い隠すかのように雲だらけになってしまいます。
別の記事で幾度も書いていますが、絵の初心者がつまづく二つの主な原因があります。それは透視図法による遠近表現と、中遠景の樹木の描写です。
後者の観点で、日本の絵を見ると、近景の草花、樹木は克明に描いているのに、中遠景はことごとく雲や霧で覆い隠してしまい、画家は中遠景の描写を避けている(逃げている)ようにしか見えないのです。
その点、西欧の画家達は雲で覆い隠す技を持たない(思いつかない)ので、中遠景も克明に描かざるを得ないのです。私の目からすると、可哀そうにと思ってしまいますが、一方逃げずに真正面から取り組んでいるようにみえるというわけです。もちろん、「線スケッチ」では中遠景を逃げずに描写しています。
”別人のように”と上述しましたが、この頃は私自身は”日本の絵画大好き人間”になっていて、当然ながら《松林図屏風》の凄さも理解し感動もするのですが、この絵の大面積を占める白い紙(余白)が、霧立ち込める空間に見えるのか、西欧美術の目で単なる未完成の空白と見えるかという、日本の絵画の根本の問題に突き当たることになってしまったのです。
第四ステージ
さて、いよいよ今回の2回目の実物との対面です。対面してすぐに思ったのは、「あれ! 以前より小さく見える」でした。第ニステージの感想と真逆です。
この原因については思い当たる節があります。おそらく2023年に見た、北宋の水墨山水画が巨大だったこと、また周文および雪舟の室町水墨画屏風が《松林図屏風》よりもかなり大きかったためだと思います。
さて、日本の絵画が好きになってから私の絵の鑑賞法が少し変わりました。それは空間描写方法と輪郭の線描の描写をつぶさに見るようになったことです。
さらに必要に応じて模写(毛筆ではなくサインペンで)をすることで、作者の気持ちを推測するようになったことです。
当日は、ガラスに顔を近づけて等伯の線描をつぶさに見て、その筆さばきの荒さと大胆さを確認したのですが、今回一部を模写をしてみましたのでその結果を紹介します。
《松林図屏風》を模写して見た
図3に結果を示します。
図3は《松林図屏風》右隻の真ん中の手前の松をサインペンで描いたものです。試行1では濃墨と薄墨の二種のサインペンを用いて、墨の濃淡をどのように使い分けているかを見たものです。分かりにくいと思いますが、後ろの松も描いています。試行2では、手前の松の、枝の幹に対する付き方、葉の線描の勢い、向き、出方などを見たものです。
以上からどのようなことが読み取れるのか以下にまとめます。
今回の模写はサインペンのみで行っており、薄墨で塗ればもう少し原作に近づけると思いますが、それでも長谷川等伯の気持ちに近づけたと思います。
この屏風は当初の姿ではなく誰かが絵を切り貼りして再編集し、屏風に仕立て直したことが知られています。そして紙の状態などから当初は下絵として描かれたのではないかと推定されています。
模写して感じるのは、筆(藁?)さばきの思い切りの良さ、スピード感、枝の位置にお構いなく葉の位置を決めていることで、それは素描の感覚に似ています。
もちろん、この大きさに描く前には、より多くスケッチをした可能性があります。それは丁度明治以降の日本画の場合の素描や下絵の線描が本画よりも生き生きとしているのと同じように感じるのです。
以上から「下絵」説に私も賛同するものです。
最後に
松という題材は中国の水墨山水画にはあまり主役として描かれていないと思うのですが、《松林図屏風》は左隻の右上に雪山が描いてある以上、やはり「水墨山水画」と言ってよいと思います。
昨年は、その水墨山水の鑑賞法について焦点を当ててきたのですが、問題は西欧の芸術観ではなく、中国本来の絵画観(「気」や「道」など)を現代人の我々はどのようにしてその鑑賞の中に入れることができるかです。
私の場合は、分からないものは分からないとして今のところ開き直りの鑑賞法を続けているのですが、この名作《松林図屏風》を専門の人々や他の分野の著名人はどのように鑑賞しているのか知りたくなってきました。
次回、その2では人々のこの絵の鑑賞法について探ってみたいと思います。
その2に続く。
(おしまい)
前回の記事は下記をご覧ください。
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