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嫌われる勇気 原因論と目的論
前から気になっていた
「嫌われる勇気」を読みました
僕は学生の頃全く勉強をしませんでした
中学時代は通知表はオール3
担任には「行ける高校がないぞ」と言われ
高校のテストでは120人中110位
あたりをウロウロしていました
「頭が悪い」がいつしかコンプレックスになり
何かにつけて「俺アホやからさ、、、」と保険をかけるようになりました
そして、ほんとにいろんな縁に恵まれて
僕は整形靴マイスター(ドイツの国家資格)
を目指すため渡独しマイスター学校に通うようになりました
いままで3つのマイスターになるためのテストをドイツ語で受けて全て平均以上の成績で合格することができました
それでも「俺アホやのにいい点取れた。奇跡や。」とどうしても自分を認められなかったんです
嫌われる勇気には
原因論と目的論という二つの考え方が出てきます
原因論とは過去の原因が今の自分に
影響を与えてるという考え方で僕は完全に原因論で物事を考えていました
「学生時代アホやってんから大人なってもアホやろ」そう考えてました
でも、この本を読んで目的論を知りふっと肩の重荷がおりました
目的論とは目的のために原因を作る
という考え方で
僕の場合「アホでいる」ために「高校の時の成績(トラウマ)」に意味を与えていたんです
「アホでいたい」なんてアホな考えやな
と思われるかもしれませんが
アホのほうがプレッシャーって少ないじゃないですかミスしても仕方ないなって
でも、どうしても自分を認めてやれない自分が嫌だったんです
むちゃくちゃです自分で自分のことアホと決めつけておいてそれが嫌だなんて
そして気づきました
「高校の時の成績(トラウマ)」を僕は「アホでいる」ために利用していた
ただ、逆にアホからの脱却としても利用したんです
過去のトラウマを利用して頑張れた
アホやったからこそ頭がよくなりたかった
だからこそドイツ語のテストにも合格できたんです
奇跡ではなかったんです
そう考えると少しですが自分を認めるようになれました
自分に与えられたものをどう使うかは自分次第です
僕のように過去のトラウマを
使って不幸になることもできるし逆に幸せになることもできるということです
オール3は何もできないじゃなくて
何でもできるということです