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メンタルを病んでしまった要因

こんにちは。わさびちゃむです。

今回は適応障害・休職に至るほどメンタルを病んでしまった理由について、考えながら書いていこうと思います。


①仕事

これは前回のnoteでも書いた通りです。

営業職が合わず、過度にプレッシャーを溜め込んでいってしまい、
自分で自分を苦しめていってしまいました。

②家庭のこと

仕事だけではなく、プライベートの面でもいくつかストレスの要因がありました。

そのうちの一つが両親のことです。
私の両親の関係は幼い頃からあまりよくありませんでした。
毎日のように怒鳴り合いの喧嘩をするとか、そこまで最悪な状況ではなかったものの、
・たびたび喧嘩をしては母が拗ねて、父が渋々謝りに行く
・父は母のことを良く思っておらず、母がいないところで私に母の愚痴を言う
・母が少しわがまま気質で、父の意見はあまり通らない
・母は束縛しがちなところもあり、父は母の機嫌を伺いながら生活していた(自分の好きなこと・やりたいこともおそらくできていなかった)

こうみると母がおかしいように見えますが、もちろん父にも全く非がないわけではありません。(子供の私から見た限りではありますが)
父も母も親としては尊敬しているし大好きです。2人が両親でよかったと思っています。けれど、父と母のあいだの関係性があまりうまくいっていなかったのです。

そんな両親の関係性が変わったのは今年の3月。
父が家を出ていってしまい、別居状態になりました。
そして、弁護士を通して母へ離婚の申し出をしました。

私の大学卒業を待って父が家を出ていこうとしていることは、実は事前に私には知らされていました。
なので、父が家を出ていったこと自体はそこまでショックではありませんでした。(もちろん寂しくはありますが…)

このことがきっかけで、母の方はショックを受け、うつ病になってしまいました。
子供に迷惑はかけまいと思っているのか、私たちの前では元気に振る舞い、家事などもしてくれています。

しかし、やはり精神的にストレスは抱えているようで、7月のある日、子供達にこうお願いをしてきました。
「父と縁を切ってほしい」
「これからも父と連絡を取りたいと言うなら一緒には暮らせない」

母の気持ちとしては、もう父のことが憎いという感情しかなく、子供達が父と連絡をとっているかもしれないという状況が耐え難い、こんな気持ちで一緒に暮らしていてもメンタルが回復する気がしない、とのことでした。

母の言っていることもよく分かりますし、私には父が家を出ることを事前に知っていたのに母には内緒にしてしまったという負い目もあったので、母のお願いを聞いてあげたいとは思いました。
でも、それと同時に、父ともう縁を切るということは考えられませんでした。

こうして父をとって家を出るか、母をとって父と縁を切るか、という選択に迫られることになりました。

そして、ちょうどこの時期、仕事の方も辛くなりだしていました。
仕事の問題と家庭の問題、仕事でもプライベートでも悩みがある状態で、板挟みのようになってしまいました。

そうした状況になってしまったことも、私の精神をすり減らしてしまったのだと思います。

結局、この家庭問題は、母には「父とはもう連絡を取らない」と言って今まで通り一緒に生活し、母には悪いけれど、隠れて裏で父とは連絡を取ることにして、今は一旦落ち着いています。

③NPOボランティアの活動

プライベート面での問題がもう一つ。それがNPO法人でのボランティア活動です。

大学3年生の頃から、とあるNPO法人のボランティアメンバーとして活動し続けていました。
主な活動内容としては、このNPO法人のSNSアカウントの運用・投稿作成をしていました。

NPO法人のやっている事業は私自身の興味があることでしたし、SNS運用もはじめは楽しくやれていました。

しかし、大学4年生の夏、人手不足がきっかけで、私がSNSチームのリーダーをすることになりました。

メンバーとして投稿の内容を考えたり、画像を作ったりするのは楽しかったのですが、そこにプラスで、毎月の投稿の方針を考えたり、ミーティングの資料を作ったり、他のメンバーの作業進捗を確認したり…というリーダー業務が入ってきたことで、明らかに負担が大きくなりました。

次第に「楽しい」というよりは「ちゃんとやらなきゃ」という義務感で作業している感覚になってきて、リーダーじゃなくてメンバーに戻りたいなと思いましたが、なかなか言い出せず、そのまま社会人になってしまいました。

社会人になって自由に使える時間は減ったのに、やらなきゃいけない作業の量は変わらない、平日の夜や土日でなんとかタスクを終わらせるという生活になりました。

NPOに参加した初めの頃はやりたくて楽しくて活動していたはずなのに、今はやらなきゃという義務感でいやいや活動をしている状態になり、「土日でもっと好きなことしたいのに、なんでこんなことやっているんだろう」という気持ちになっていきました。

そうしてどんどんNPOの活動が辛くなり、
投稿を作るのが前は楽しかったはずなのに今は億劫…
ミーティング資料を作らなきゃなのに苦しさで頭が働かない…
という状況になったのが、これも7月ごろ。仕事の悩みと家庭の悩みが出始めた時期にNPOのことでもつらくなってしまっていました。

今は、思い切って8月にリーダーもSNSチーム自体も辞めさせてもらい、NPOでの悩みはすべて解決しました。

この経験を経て、やりたいことで時間や労力を割くのはいいけれど、やりたくないことは無理にすべきではないなとの教訓を得ました。
自分の気持ちには正直になったほうがいいですね…

ずっと全速力だった

こんな感じで、私がメンタルを病んでしまったのは、仕事、家庭のこと、NPOの3つが主な原因です。

要素で見たらこの3つが原因なのですが、もっと長い目で自分の人生を振り返ったときに、「ずっと無理をしていたな」という風に感じます。これもメンタルに良くなかったはずです。

どういうことかというと、大学3年生あたりから今までずっと肩の力を抜けずに休まずに走り続けてしまった感があるのです。

大学3年生のときは就活とゼミが始まり、バイトも続けていて、NPOも参加しだして…と忙しく過ごしていたし、就活が終わると遊ぶお金を稼ぐためにバイトを掛け持ちするようになり、卒論という次のタスクが現れました。卒論提出後、学生最後の春休みは引き続きバイトとNPOの活動があり、卒業旅行も行き…でなんだかんだ忙しく、あまり休めずそのまま社会人として週5労働が始まり…

こんな具合で、今思うと、予定やらタスクやらを詰め込んで、ずっと何かに追われて過ごしていました。

このことが直接的にストレスになったわけではないですし、充実した学生生活を送れてよかったとも思っています。けれども、自分の心の体力を少しずつすり減らしていっていたのではないかと感じています。

バイタリティがある人はずっと何かをし続ける生活でもなんてことないのかもしれません。でも普通の人は無理です。いくらやりたいことだからと言っても、ちゃんと休息を意識的にとらないとどこかで倒れてしまいます。
そして倒れてしまったのが私です。

こうしてみると、今回3か月ほど休職できたのは、今までの心の疲れをとって、体力回復をする時間になって良かったのかなと思えています。

結論

ずっと大して休まずに心のHPがすり減っていたところに、仕事・家庭・NPOの3つの大きな悩みがドーンとのしかかってしまった

これが私がメンタルを病んでしまった原因であると言えます。

こうして俯瞰的に自分の気持ちを考えられるようになったのは、メンタルがある程度落ち着いてきた証拠なのかななんて思います。

今回適応障害になったことで、人間の心は意外に容易く壊れてしまうものなのだということが分かりました。

まだ、寛解していないし服薬も続けなければなりませんが、これからはもっと自分の本音だったり心の声に耳を傾けるようにして、心と体の健康第一で健やかに過ごしていけるようにしたいです。

おまけ

実は、明日から復職することになりました。
元の部署に、営業ではなく内勤の職種として復帰することになりました。

部署の人はみんないい人だし、きっと「なんだこいつ」みたいな視線を向ける人なんて一人もいないとわかっているし、普通に挨拶すれば大丈夫だとわかっているけれど、とっても不安です。

休職してしまって周りに迷惑をかけてしまった、その分を取り戻す気持ちで働けばいいとわかっているけれど…
不安そうな顔で行くと心配されてしまうから、元気に行けばいいとわかっているけれど…
やっぱり緊張します。

約3か月、家でだらだらとニート生活をしていたところから、ちゃんと社会復帰できるのか…
違う職種になるけれどちゃんと仕事を覚えていけるだろうか…
部署の人と休職前のように馴染んでいけるだろうか…

考えれば考えるほど不安は尽きません。

でも、明日行ければ、明後日も行ける。
今週行ければ、来週からも出社できる。
そうやって小さな一歩を踏み出せればいい。
うまく仕事ができるかは分からないけれど、とりあえずは毎日出社することを目標でいい。
そう考えて、何とか勇気を振り絞ろうと思います。頑張ります!

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