【『死』とは何か】死が悪なのに、なぜ不死はダメなのか?
この企画では数回にわたって、「『死』とは何か」という本の内容を要約しつつ、自分の考えや経験をまとめています(今回は自分の考えがメインになります)。
下書きはこちら(インスタにも同じ画像を載せておきます)
はじめに
私たちは直観的に「死=悪いこと」と認識していると思います。「死にたいか?」と聞かれたら、ほとんどの方が「いいえ」と答えるでしょう。
しかし「死なない人生を望むか?」と聞かれたら、これもまた「いいえ」と答える方が多いのではないでしょうか?
これらは一見すると矛盾していると感じるかもしれませんが、自分は矛盾ではないと考えています。
今回はその理由について書いていきます。
※過去の記事で、「なぜ死ぬことが悪なのか?」というテーマについても書いてきました。
結論
先に結論を書くと
不死というものは「人生」ということばの定義から外れているため、死ぬことも死なないことも悪であったとしても矛盾ではない。
というのが自分の考えです。
人生と反比例のグラフは似ている
以前の記事でこんなことを書きました。
私たちは無意識的に「寿命は長ければ長いほど良い」という考えを持っています。例えば1歳で命を落としてしまった子に対しては、誰でも憐みの気持ちを持つはずです。
しかしわざわざ生まれてくることのない(=寿命ゼロの)"無"に対してわざわざ悲しむ人はいないと思います。
これは反比例のグラフと似ていて、x=0(寿命ゼロ)という地点が定義されていないからなのではないでしょうか?
これと同じことがここでも言えると思います。
寿命がゼロの地点が定義されないのと同様に寿命が無限(死なない)なことは人生と定義されないのです。
死ぬことと不死であることでは前提が異なる
感覚的すぎたので、より論理的に説明していきます。
「死=悪であること」と「不死=悪であること」では前提が異なるのです。
死が悪である理由は生きていることに比べると相対的に悪いからです。
ほとんどの人にとって人生とは仲間がいて生きがいがあって、楽しいものだと思います。
一方で不死が悪な理由はやりたいこと(生きがい)をやり切ってしまうからだと思います。
想像してみてください。
あなたが地球最後に残った一人です。
やりたいことは全てやりました。
これ以上生きていても楽しいことはありません。
そうなると、生きていることよりも死んでいることの方が良いこととなってしまうのではないでしょうか?
死は人にとって、都合よくできている
とは言え実際にやりたいことを全てやりきれる人は、ほとんどいないと思います。
私たちは死にたくないために「今日は死なないだろう」という考え方をしている
と書きました。
今日は死なないとなると「やりたいことは明日でいいや」という考えになります。
しかし人が生きているのは「今日」であって永遠に「明日」は来ないため、やりたいことも永遠に先延ばしされます。
結果、死ぬ直前になって後悔するのです。
そしてこの「死ぬ」という事実が「やりたいことをやり切れなかった」ということに対する言い訳として成り立つのです。
最後に
この記事で紹介させていただいた本がこちらです。
生きることに飽きたという方、何かに没頭して考えたいという方はぜひ読んでみてください。
#自分にとって大切なこと
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