4年経っても忘れられない言葉がある。
3年前の2月10日。受験当日。
開成高校というのは自分のなかで、ひそかな野望でした。
しかし何となく落ちているような気がしました。
普通に落ちていました。
母親から落ちたという知らせを聞いたとき、塾の先生にかけられた、ある言葉を思い出して呆然と立ち尽くしました。
青春は塾にあった
中2の2学期ごろから、自分は勉強が好きでした。とは言っても学校の勉強では物足りず、塾の勉強だけをやっていました。
学校では昼休みだけでなく朝の時間や10分休みも含め、暇さえあれば塾の問題集を開いていました。
ガリ勉に友達なんかいるのか?
そう思う方も多いでしょう。
当然、人間関係は疎かになりました。中2まで毎日のように遊んでいた友達とは今でも全く連絡を取っていません。
それでも勉強は続けました。楽しかったからです。
塾では同じ中学の人はいませんでしたが、クラス全員と友達でした。自分のレベルを理解してくれていた先生のことも信頼していました。
そんな塾が僕にとっては青春でした。
恥ずかしかった
ガリ勉だったため、勉強自体は割と得意でもありました。
学校では最も頭が良かったし、駿台模試でも5科で偏差値60くらいはありました。
当時の志望校は東京学芸大学付属高校(学大)。
と表向きには言っていましたが、どうしても高校のトップである開成を目指したいという気持ちも捨てきれませんでした。
しかし駿台で偏差値60というと「早慶レベルの高校なら受かるが、国立付属や開成の合格率は2割」くらいのレベル。
国立の学大ですら厳しいのに、「開成を目指してます!」なんて親にすら言うことができなかったのです。
一瞬で心の中を見抜かれた
中3の4月、塾に新しい先生が入ってきました。60代くらいのおじいちゃん先生でした。
しかしわざわざ福岡から東京に引き抜かれてきたらしく、ものすごい貫禄がありました。
その先生が来てから一カ月ほどたった5月。
自分はまだ頻繁に会話するほどの信頼関係を築けてはいませんでした。
にも関わらず、授業後にその先生に呼ばれたのです。
そうしていきなり
お前には野望があるだろう?
と聞かれました。
開成を目指していながらも周りに公言できていなかった自分は、完全にそれそのものでした。
今の自分を言い当てられたと感じ、少しうろたえた自分に対して先生は
ここで言わなくていい。
と付け加えたのでした。
ただ、その野望を持ち続けなさい。
最後に言われたこの言葉に力強く背中を押された感覚は、今でも鮮明に覚えています。
落ちてしまったんだ。と
そのときにその言葉がフラッシュバックされて、でも受験ではそれ以上何もできなかった自分に無力感を覚えました。
それ以来、苦しい時や周囲の人と対立したときは自然とこの言葉を思い出すようになったのでした。
お前には野望がある。
誰にも言わなくていい。
ただ、その野望は持ち続けておきなさい。
今でも自分自身を鼓舞してくれる言葉です。
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