言葉があるから、繋がれる。
全く知らない世界について書かれた本を読むのは面白い。
ページを繰るたびに、胸が高鳴る。
出てくる言葉のひとつひとつが、異世界への扉になってくれるから。
今回、私が読んだのは『演奏する喜び、考える喜び』(チャールズ・ローゼン キャサリン・テーマソン /笠羽映子 訳 みすず書房)。
世界的なピアニストであり、音楽理論家でもあったというチャールズ・ローゼン(すみません、門外漢な私は存じ上げませんでした)が、タイトルの通り、演奏する喜びと、音楽そのものについて考えることの喜びを対談形式で語った本である。
そこに出てくる言葉たちを、私は初めて知った。
たとえば、フレージング。パッセージ。ヴォルテール。
音楽に通じている人ならば、知っていてあたりまえなのかもしれないけれど、私にとってはみんな「はじめまして」。
だからこそ、私はその言葉たちのもつ「音」だけで想像を膨らませることができる。
フレージングは、なんだか春のそよ風みたい。優しくて、流れるような。
パッセージは、情熱的? あ、それはパッションか。
ヴォルテール、なんてのは、ダンディーな男爵さまの名前みたい。
妄想がつきるまで「言葉遊び」に耽ったあとで、ようやく文脈から意味を想像する。その過程がとても楽しい。(ギャップがあるから特に!)
もちろん、すべての本と友好関係が結べるわけではない。
読みながら、この本とは仲良くなれないんじゃないだろうか、と不安になることも多い。
それでも私が「未知なる世界の本」を求めてやまないのは、そこに導いてくれる言葉があるからだ。
普段の私の生活では、絶対に出会うことのない単語たち。
それが、なじみのある動詞を伴って現れる。
すると、化学反応が起こるみたいに、私の頭の中の暗闇に灯がともるのである。未知の世界を歩くための、地図とコンパスが与えられるのである。
『演奏する喜び、考える喜び』の中で、最も心が震わされた部分を抜粋してみる。
ほとんどすべての連作歌曲、シューベルト、シューマン、ベートーヴェンの連作歌曲は、連作風景画です。(中略)詩人や作家たちは現在のとてもはっきりした時間を選び、そこに過去の刻印、私的な感情の思い出、あるいは風景の中でつねに目立つ地質学的痕跡を付け加えます。ベートーヴェンとシューベルトはそうした二つの時間レヴェルを音楽で表現する手段を見つけた最初の作曲家たちです。シューベルトの《冬の旅》は思い出の詩で始まります。詩人は不幸な恋の苦い思い出を抱きつつ町を離れるのです。リズムは散策のリズム(現在)ですが、他方痛切な情動(過去)は弱拍に置かれたアクセントや不協和音によって特徴づけられています。過去と現在が同時に表現されているのです。
音楽の中に、詩が、絵画があるなんて、それまで私は一度だって考えたことがない。この文章を読んだとき、生まれて初めてクラシック音楽を近しいもののように感じることができた。
私は文学しか学んでこなかったけれど、チャールズ・ローゼン氏がそれを音楽の言葉を交えて語ってくれるから、二つの世界が繋がった。
ああ、音楽というのは文学に似ているんだ。そういうことなのかもしれないと、自分の中で新しい見方が生まれた。
文学を語る音楽の言葉を足掛かりに、私は音楽の世界にほんの少しだけど入っていける気がする。遠い遠い「異世界」だったものが、手を伸ばせば触れられる実世界になってゆく。
本当に、言葉があって良かった。
あらゆる世界を繋ぐ架け橋に、言葉はなれる。
そう実感できるから、私はこれからも未知のジャンルを読み漁る。