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『人間がいなくなった後の自然』
子どもの目に、そこは「楽園」に映った。
見渡す限りの、大草原だ。
春のはじまり。
草という草、木という木が、冬の眠りから覚めて、一斉に大きな伸びをする。そこにある草も木も、みな背が低いので、幼い感じがする。
それまで彼らを覆っていた雪のなごりだろうか、画面に映るすべてのものが、瑞々しい。そして、銀色に輝いている。まるで、自ら発光しているかのように。
銀色のヴェールを纏って、中央に巨大なヘラジカが2匹、姿を現す。
一匹が後ろ足で立ち上がったかと思うと、突然、角を交わらせ、あたり一面に乾いた音を響かせる。
「今年も春は巡り、ヘラジカたちは繁殖期を迎えるのです」
ナレーションの声は、明るくはなかった。
なんだか、変だ。
私には、この風景に見覚えがあった。
これは、ディズニー映画に出てくるやつだ。
木々を掻き分けて、白馬に乗った王子様が歌いながら現れるのだ。
もしくは、プリンセスが動物たちと踊ったりしているところ。
こういう場面には、楽し気な声が相応しいはずだ。
もしくは、アップテンポのクラシック。
こんなにも素敵な場所に、暗い声は似合わない。
なので、私はとっても明るい声で言った。
「わあ、なんてキレイなところなんだろう! いつか絶対に行ってみたいね!」
その発言に、一緒にテレビを見ていた母の顔はこわばった。そして、静かにチャンネルを変えた。
「人前でそんなことを口にしないでね。絶対に」
その場所が、原発事故後のチョルノービリ(チェルノブイリ)だと知ったのは、大人になってからだ。
子どもの私に、母が教えてくれたのは
「人間のせいで、人が住めなくなった場所」だということだけだった。
東日本大震災が起こってから、初めて『チェルノブイリの祈り』(スベトラーナ・アレクシエービッチ/著 松本妙子/訳 岩波現代文庫)を読んだ。
読みながら、何度もあの日見た映像を思い出した。
そのたびに、「人間がいなくなった」世界を美しいと思った自分が、恥ずかしくなった。
私は無知すぎる。
そこで、改めて勉強しなおすべく読んだのが
『人間がいなくなった後の自然』(カル・フリン/著 木高恵子/訳 草思社)である。
![](https://assets.st-note.com/img/1691395827660-l87nNse4fF.png)
掘りつくされた鉱山の跡地、放棄された農地、島民がいなくなった島、紛争地帯の緩衝地帯、そして放射能に汚染された村・・・。
世界中の「人間がいなくなった後の自然」を訪れ、その場所の「ありのまま」を伝えてくれる本だ。
「人間のせいで、自然はこんなにも壊れてしまいました。私たちは、悔い改めなければいけません」みたいな、脅し文句は一切ない。
その土地の過去と、現在だけを淡々と綴っている。
だから、読んでいる私は、何の偏見も持たずにその場所に向き合うことができるのだ。
自分の目で見て(実際は想像力だけど)、自分で感じて、自分で考える。
そうやって体験した「人間のいなくなった後の自然」は、私の視野がいかに狭かったかを教えてくれた。
鉱山跡地は、人間が立ち入らなくなったことで、自然保護区以上の豊かな生態系を育んでいた。(そして、その豊かさを維持するためにホンモノの自然保護区になった)
農業放棄地は、森へと姿を変え、二酸化炭素を大量に吸収していた。
チョルノービリは、野生動物の楽園になっていた。
もちろん、人間がいなくなって良いことばかりではない。
廃墟と化した街は、麻薬中毒者や犯罪者の集まる場所になった。
猛毒の混じった工場排水のせいで、あらゆる生き物が死に絶えた川もある。
ただ、それらを「良い」とか「悪い」とか、そういう簡単な価値観でくくっていいのだろうか。
良し悪しを決めるのは、一体誰なんだろう。
この本を手に取ったとき、私は覚悟していた。
おそらく、描かれているのは悲劇である、と。
でも、そこにあったのは悲劇だけではなかった。
人間がいなくなった後、自然は、ちゃんと新しい物語を始めていた。
「これからは私たちが住むわね」
とでも言わんばかりに、彼らの生活が始まるのだ。
そう、はじまり、なんだ。おわりではなく。
ああ。私はすっかり人間本位になっていたのだ。
人間の立場でしか「人間のいなくなった後の自然」を見ていなかった。
なんて、なんて狭量だったんだろう。
新しい本を読むたび、私は自分の生き方を省みる。
物の見方が偏っていないか。極端に走っていないか。別の考え方を受け入れることができるか。
本は、そういうことをチェックする「人生の先生」みたいな存在だ。
今回も、また教わった。
「物の見方はひとつではない。もっとたくさん物事を知りなさい」。
少年老い易く学成り難し。
ああー、本当に人生って短すぎるなあ。
読みたい本に対して時間が足りなすぎる。一日が48時間になる魔法があればいいのにな。
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