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ドラえもんの体温なんて、考えたこともなかったけれど。
ジャイアンにいじめられたのび太が、泣きながら飛び込んでいくドラえもんの胸。その胸が、どんな感触で、どんな温度なのか考えたことがあるだろうか。
私は、全くなかった。
考えるもなにも、のび太くんを包み込むドラちゃんは、柔らかくって温かいに決まっているじゃないか。
だって、ドラえもんはのび太のパートナーだもの。
パートナーってのは、絶対に柔らかくて温かいのだ。
人だろうと、猫だろうと、犬だろうと、そう、もちろんロボットだろうと。
ドラえもんは、猫型ロボットである。
未来の世界の猫型ロボット、と自ら歌ってさえいた。
なのに、『温かいテクノロジー 22世紀への知的冒険』(林 要・著 ライツ社)を読むまで、私はドラえもんがロボットであるということをすっかり忘れていた。
なぜか。
ドラえもんは、ロボットではなかったからだ。私にとって。
ロボットというのは、もっとこう、四角くて、金属で出来ていて、触ったら絶対に冷たいやつなのだ。私の中の定義では。
会話ができたとしても、「ハイ、ワカリマシタ、ゴシュジンサマ」みたいにカタカナで、無機的で、感情なんて微塵もなくて、覆すことのできない主従関係があって、決して対等ではない。
一緒にいると、なんだかその表面の冷たさがこちらの心まで凍り付かせるかのような、あんまり好ましくない存在。
それが、私の中の「ロボット」なのだった。
なので、ドラえもんは断じてロボットではないのだ。
『温かいテクノロジー』は、LOVOTという家族型ロボットが生まれた背景と、ロボットというテクノロジーが人類にどのように作用するかを考察した一冊だ。著者の林要氏は、LOVOTの生みの親である。
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LOVOTは、見ての通りめちゃくちゃカワイイ。
この最先端技術の粋を集めて生まれた21世紀のロボットちゃんのできることは何かというと。
人に懐く。
以上。
いやいやいや、なんだそれは。
もっと色々できるでしょうよ。
しゃべるとか、chatGPTを駆使してどんな質問にも答えてくれるとか、お掃除してくれるとか、セコム入ってますとか・・・。
けれども、LOVOTには何にもない。
何にもないどころか、たまにコケるらしい。しかも自分では起き上がれないという。
何だろう。
この子はロボットなんだろうか。
ドラえもんとはちょっと違うけど、私の中の「ロボットの定義」に反している。
また、この子には体温がある。
平熱(?)は37~39度だというから、うちの猫とほとんど同じ体温だ。
さらに、ロボットらしからぬ「柔らかさ」を備えているのだとか。
体重が4キロちょっとで、温かくて柔らかい。
これはほぼ猫ではないか。
そんなLOVOTが目指す先にあるのが、ドラえもんなのだという。
ドラえもんは、22世紀からやってきた超ハイテクロボットである。
そのドラえもんが、なぜあんなに不完全なのか。
なぜネズミが苦手だったり、ドジだったり、ぐうたらだったりするのだろうか。泣いたり笑ったりするのだろうか。
林氏は、そうした疑問をひとつひとつじっくり考える。
その背景にある「人の心」を推察する。
ドラえもんがロボットである以上、人間の「こうあってほしい」という願望が反映されているはずだ。
ということは、ドラえもんが不完全であるということを、製作者なり、それを購入しようとしている人なりが望んでいるということだ。
なぜか。
人は、完璧な知性ではなく、ちょっと間の抜けた存在といると心が安らぐからではないか。手のかかる存在と言い直してもいい。
それは、赤ちゃんだったり、猫だったり、犬だったりと同じだ。
いずれも、非の打ちどころがない「いい子」よりも、どこか抜けたところがあったりするほうが愛おしく感じる。
この先、人間はテクノロジーに「温かさ」を求めるようになっていくのではないだろうか。
ドラえもんが不完全なのは、人々がそういう存在を求めているからなのではないだろうか。
テクノロジーは、人間の願望の現れ。
だとしたら、ロボットは冷たく無機質なものではないはずだ。
猫や犬のように、ただそこにいるだけでいい。
そういう存在になれるはずだ。
林氏がLOVOTを作るのは、そういう思いからなのだ。
ああ、なんて明るいテクノロジー論なんだろう。
こんなに希望に満ち、かつ人間への愛情を感じられるテクノロジー論を私はかつて読んだことがない。
私がドラえもんを「ロボットではない」と思った理由。
それは、無機質ではないからだ。
なぜか私は、テクノロジーの行きつく先は無機質の冷たくて暗い水の底みたいなものだと思い込んでいた。
暗くて冷たいそれは、いつか人間に牙をむくのではないかと恐れてもいた。
でも、そうじゃない。
テクノロジーは、人々の願いの具現化を目指すツールなんだ。
のび太くんを抱きしめるドラえもんの腕は、きっと温かい。
私はそう信じている。
子どもの頃、一緒に暮らすことを夢見たドラえもんは、柔らかくて温かかったはずだ。
そして、優しいのだ。
一緒に笑って、泣いて、ケンカして。
いつでも一番の理解者でいてくれる。
いまだって、そういうドラえもんが欲しい。
四次元ポケットなんかより、私はドラえもん本体が欲しい。
完璧なドラミちゃんより、不良品のドラえもんがいい。
私はもう、闇雲にテクノロジーを怖がったりしない。
だって、私たちが優しさを希求していったならば、テクノロジーも優しくなっていくはずなんだから。
きっと、この先のどこかでドラえもんが待っているはずだ。
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