たった一行に、億千万のひかり。
先日、久しぶりに雑誌を買った。
たぶん、20年ぶりくらいだろう。
最後に買った雑誌は、ビジュアル系バンドの専門誌で、大好きな人が表紙を飾っていた。
今回買った「BRUTUS」1008号の表紙も、一瞥で心をかっさらわれた。
真っ白な余白だらけの中に、線画のスヌーピーとチャーリーブラウン。
そこに、言葉がぽつん。
うっわぁ。なんてすごい殺し文句なんだ。
文学ヲタクな私は一瞬で恋に落ちてしまった。
160人の、言葉にまつわるお仕事をしている人たち。
彼らが大切にしている言葉を、まるっと一冊使って紹介している。
名言だったり、俳句だったり、詩だったり、歌詞だったり。
どういう時に出会って、どんなふうに自分を奮いたたせてくれたのか。
160人ぶんの言葉との馴れ初めは、どれも全く似ていなくて、でも、どこか自分にも当てはまるようで・・・。
言葉は「水みたいなもの」なのかもしれない、なんて思ったりする。
決まった形を持たないもの。
受け止める人によって、無限に形を変える不思議なもの。
特に面白かったのは、返歌。
誰かが残したひとつの短歌に、4人がそれぞれ返歌を書く。
たとえば、
に対し、4人の歌人が答える。
与えられた短歌は同じなのに、4人の解釈が全く違う。
一つの短歌に、4つも別の世界がある。
たったの57577、31文字なのに!
うわあああ。すごい。なんて、なんて素敵なんだろう!!!
言葉って、無限の光みたい。
もし、もっともっとたくさんの人で返歌をしてみたならば、どれだけの世界が新しく広がるのだろう。
そんなことを考えるだけで、ワクワクしてしまう。
誰かと短歌を送りあってみたくて、うずうずしてしまう。
ああ、国語の試験よ、クソくらえ!
なにが「正しいものはどれか」だ!!
言葉に正しいも間違ってるもない。
読んだ人がどう感じようと、そこに正誤なんてない。
感じたままでいい。それを皆で共有したらいい。
私が最後に買った雑誌の表紙を飾っていた人のことを少し書きたい。
その人は「明日、目が覚めませんように」と歌う人だった。
当時、そこそこ人気があったV系バンドで、彼らの歌はどれも「明日なんていらない」のだった。
どんなに明るい曲でも、歌詞はいつでも絶望していた。
消えたくて、逃げたくて、自分なんて大嫌いで、もう毎日がイヤ。
そんなことが、つらつら書き連ねてあるのだ。
私は、そんな彼らが大好きだった。
だって、彼の書く詞は私の気持ちを代弁してくれていたから。
10代の、これからなんにでもなれたはずの時期に、私はすでに絶望していて、天使よりも死神の到来を待ち望んでいた。(中二病まっさかり)
つまり、V系好き女にありがちな病み方をしていたのである。
当時の私は、真夜中が大好きだった。
家の中はもちろん、窓の外に広がる世界全体がしーんと静まり返って、時々遠くから風に乗って犬の遠吠えが聞こえるだけ。
それはまるで、千キロの彼方から届く声のようで、耳を澄ましているだけでモンゴルかどこかの大平原にいるような気分になった。
このまま眠りについて、明日、目が覚めなかったならば、私はずーっと、この真夜中の旅人でいられるのかもしれない。
そんなことを毎晩思っていた。
「明日、目が覚めませんように」
という詩は、自殺をほのめかす言葉だったのかもしれない。
当時の私に、若くして死ぬことへの憧れが全くなかったわけでもない。
けれど、あの頃の私が毎日口ずさんでいた
「明日、目が覚めませんように」
には、この素晴らしい真夜中を永遠にしてほしい、という願いがあったのだ。
学校生活はクソだけど、真夜中はサイコーで、生きてるってのも悪くないんじゃね?
そんな、前向きな言葉でもあったのだ。私には。
言葉は、力学だ。
作用する方向は人によって違う。
最近、言葉の周辺がどうもきな臭い。
ほんのささいな言葉尻を捉えて、ねちねち攻撃している場面をよく目にする。
この言葉は不適切だ、不快だ、傲慢だ・・・。
たぶん、今なら「明日、目が覚めませんように」なんて言葉も排除されてしかるべきなのかもしれない。
でも、ちょっと待ってほしい。
受け止める人のことを考えてほしい。
傷つく人がいるのと同様に、その言葉に励まされている人だっているはずなのだ。
多くの人が「良い」と言ったらそれは絶対に善なのだろうか?
少数派は声をあげることすら許されないのだろうか?
多様性を認める社会。
本当にそれを目指しているのなら、言葉にだって多様性を認めるべきだ。
社会の大部分が「不適切」だと思う言葉にだって、別の意味が隠されていることもある。
受け止め方は人それぞれ。人の数だけ、言葉の色がある。
私が魅力に気付いていない素敵な言葉がきっとある。
私はもっとそれを知りたい。もっと語り合いたい。
「この言葉をあなたはどう受け止めましたか?」
「私はこう考えました。あなたはどうですか?」
そうやって、言葉に何十、何千、何万と、新しい色を加えていきたい。
たった一行。
それがこんなにも違って、美しいのだもの。
言葉のある世界は広大で、私はまだまだ知らないことだらけだ。