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『短くて恐ろしいフィルの時代』に言葉の力を見た。

独裁者と呼ばれる人物はみな、言葉を発するのがお好きなようだ。
ヒトラーはもとより、レーニンもムッソリーニも演説が上手かったという。


小学生のころ、なんとなく苦手な女の子がいた。
悪口を言われたり、意地悪をされたりしたわけではない。
ただなんとなく、一緒にいると落ち着かないのである。
ある時、クラスメートの一人が
「あの子、いっつも人の真似ばかりするよね」
といった。文房具なり、髪型なり、必ず誰かと同じにしようとする、と。
それから、私にはその子の「真似ぐせ」ばかりが気になるようになった。
「あ、今日の靴下、この間Yちゃんが履いていたのと同じだ…」
「あの消しゴム、Мと同じやつ」
「げ、あの鉛筆私と同じじゃん、なんで真似するんだろ!」

 あの子は真似ばかりする。
そう言葉にされただけで、「なんとなく苦手」だったはずのその子のことが「真似ばっかりするので嫌い」になっていた。

独裁者たちが演説を好むのも、こうした効果を狙っているからだ。
「なんとなく」に、理由を与えること。
そうすれば、民衆が自分から意思を持って動き始めるから。

短くて恐ろしいフィルの時代』の主人公フィルも、演説が大好きだ。

物語は、フィルの住む「外ホーナー国」(以下・外)と「内ホーナー国」(以下・内)の国境で始まる。
外と内は非常に対照的だ。
外が途方もなく広い国土を持つのに対し、内はものすごく狭い
外の国民は大きく肥って色つやがよいのに、内の国民は痩せてひ弱で背が低い。性格も考え方も全く違う。
なので、お互いがお互いのことを面白く思っていない。
ある日、内の国土がさらに狭くなってしまった。もとより国民一人しか滞在することができないほど狭かったのに! 内の国民たちは、外との国境に設けられた「一時滞在ゾーン」からはみ出し、領土侵犯をせざるを得なくなった。
そこに現れたのがフィルだ。
彼は「いかに内の国民が外の国益を害するか」弁を弄してまくしたてるのである。もともと内国民を良く思っていなかった他の外国民たちは、あっという間にかぶれてしまい、フィルはどんどん出世してゆく。

彼はずるい。
彼の演説は、正論のオブラートに包まれてはいるが、悪意に満ち満ちている。それもそのはず、彼は個人的に内の人間を憎んでいるからだ。
若いころ、内の女性に片思いをしていたのだが全く相手にされなかったのだ。
その女性を憎らしく思う理由ならごまんとあるフィル。彼はそれを言語化して、「なんとなく」面白くない程度だった他の外国民たちの中にも「嫌悪」を植え付けたのだ。

一度発せられた言葉は、簡単には消えない。
見たり聴いたりする人間が多ければ多いほど、言葉は積もり雪崩のようにどんどん力を増していく。断定的だったり、力強かったりする言葉は、人の心を揺さぶる。正しいことのように聞こえてしまう。それぞれの中で言葉は育ち、変化しながら増殖する。気が付いたときにはもう、その言葉は人々の思想、思考の柱になってしまっているのだ。

言葉は、心を通い合わせるために発明されたはずだ。
それぞれが見つけた、世界の中の素晴らしいモノ。素敵だなと思う気持ちを誰かと分かち合うために言葉が生まれたんだと信じたい。

しかし、いくらフィルの口車が巧みだからと言って、他の外国民たちはもちろん、国王までもがあっさりと洗脳されてしまったのはなぜだろう。

フィルが長広舌なのに対し、彼らはあまりしゃべらない。
国王はおしゃべりだが、過去を懐かしむばかりだ。
フィルが「〇〇だ」といえば「○○だ」と言い、「××だ」と言えば「××だ」という。彼らの言葉は、フィルのオウム返しなのだ。
彼らは、言葉を放棄してしまっているかのようだ。

今、世の中は言葉に溢れている。
どれが正しい情報なのか、正直わからない。
だからこそ私は、自分の言葉を持ちたい。自分の言葉で考えて、世界を表現できるようになりたい。私は言葉を誰かに預けたりしたくない。
いつどこで、フィルのような存在が現れようとも、揺るがない自分でいるために。


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カタクリタマコ
最後までお付き合いいただきありがとうございます。 新しい本との出会いのきっかけになれればいいな。

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