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親から学んだ3本の分かれ道

4月から社会人になったが、正直めちゃくちゃ辞めたいと思う時が数えきれないほどある。

30人ほどの子どもと関わる仕事をしているけれど、一番最初に気がついたことは子どもがあまり好きではないということだった。

同じ仕事をしている人のインスタのストーリーに「100円ショップにいってこいのぼりを見たら、子どもたちの顔が浮かんできて嬉しくなって買っちゃった!」と書いてあってめちゃくちゃすげえなと感じた。やりたい仕事だったんだろうな。

僕も確かに100円ショップにその日行ったけれど、こいのぼりを見たら、もうすぐGWだな、休めるな、としか考えられなかった。むしろ子どものことなんて考えたくな…、、もうアウトかな?

なんの仕事してるかなんて、もうわかるだろうからあえて言わないけれど。




小さな頃、両親が仕事をしているのを見てすげー嫌そうに働いてるなと感じていた。なんとなくあんな風になりたくないなとも。

お父さんは家具屋で、毎日遅くまで残業して、小さかった弟は“たまにくるおじさん”としか認識していなかった。そして朝が来るのが嫌だと言いながら身支度をして会社へ向かっていたから、やりたくないんだろうなと思っていた。

結局、その会社をリストラされて、僕の家が財政難に陥るのはずっと先の話で。


お母さんは介護福祉士の国家資格を持っていて、昔は老人ホームを自分でやっていたくらいには、すごい人だった。

子どもが産まれた時に一旦は辞めたが、僕が中学生になる頃にまた働き始めた。昔とは違い、夜勤が主になって、キツいキツいと言いながら働いていた。塾に通わせてもらっていた僕は、申し訳ない気持ちになったのを覚えている。


2人とも、とても苦しそうに働いていた。だから僕は自分のやりたい仕事をやるなんて、叶わない幻想だと思っていた。


そのことをストレートではなくとも、遠回しにお母さんに伝えたのは高校生の時だ。

「お母さんは、やりたい仕事とかなかったの?」

「うーん、別になかったね。」

「おじいちゃんとかおばあちゃんのお世話、やりたいわけじゃなかったんだ。やっぱやりたいこと見つけてそれを仕事にするって難しいんだね。」

「うーん、でも、私、この仕事向いてるからさ、これでいいと思ってるよ。」

言葉が悪いのは高校生の僕だから許して欲しい。

でも、お母さんは“やりたい仕事”は見つからなかったけれど、“向いてる仕事“を見つけたと言っていた。

事実、お母さんが出勤した日は、利用者さんがみんな喜んでいたらしい。とにかく人を見ている人だったので、すごく向いてる仕事だと息子から見ても思う。


お父さんはどうだろう。

僕が大学生の頃、家具屋をリストラされて1ヶ月、失業保険をもらいながらバイトをしていたお父さんは初めて僕に本音を打ち明けた。

「リストラされたから、転職しようとしても何も思い浮かばないんだ。やりたいことなんてないし、多分俺には向いてることもないんだ。だから、お前は何かを見つけるんだぞ。」

来年50歳になる父親の言葉は、初めて飲んだ度数の高いお酒のように、ずしんと胸に何かがくるような、そんな感覚がした。

その後、お父さんは数々の仕事の面接を受けた。面接で最近のニュースで気になったことを聞かれることくらいわかっているのに、新聞を読まないので、「阪神の二軍の一二三という選手が投手から野手転向した。」という話で乗り切ったと晩御飯の席で自慢気に語っていた。 それ乗り切れてるの?

時には僕と同じバイト先に入ろうかなんて縁起でもない冗談を挟むくらいには陽気な人だった。強がっていたのかもしれないけれど、それでも笑顔を絶やさない。僕の尊敬する人だ。


そんなお父さんの新しい仕事が決まったのは唐突だった。

しかも、葬儀屋と聞いたときには驚いた。家具屋の経験なんて何も活かせないと言っても過言ではない。

「なんで葬儀屋?」

「昔からの知り合いが始めるらしくて、どうしても一緒にやってほしいって誘われてさ。俺の力が必要だって。」


お父さんはいま、大阪に単身赴任をして、懸命に働いている。心なしか家具屋の時より楽しそうだ。

お父さんはわかっていると思う。決して“やりたい仕事”でも“向いてる仕事”でもないことくらいは。

でも、“求められた仕事”を優先したのだ。必要とされる場所なら、人は輝ける。




もういうけどさ。僕が今やっている教員という仕事は、正直、やりたいことではなかった。

たまたま大学がそういう大学で、そのまま試験を受けて、たまたま受かったからやっている。

本当は、テレビスターになりたかった。それか、小説家になりたかった。

だから本当に教員って、やりたい仕事なのか?と自問する時もある。


ふと、両親を思い出す。


多分、教えることは向いている。勉強も理論立ててやってきたし、口だけは達者だから。

そして、たまたまとはいえ試験に受かっているからきっと求められていると思う。本当はもっと努力していても受からない人もいる。その人たちに失礼のないようにしたい。合格という必要とされている資格があるならば。

だからきっと今はこれでいいんだよね。

いつかやりたいこと、したいけどね。



やりたくて、それが向いていて、さらに求められている仕事なんて、果たしてあるのかどうか。

人生の岐路に立った時にその3択を迫られる。

そしてどれか一つはクリアしていないと、途中で諦めたくなることもなんとなくわかる。

何を優先するか、どう輝くか。

いや、選択肢があるだけ幸せなのかもしれない。

まだ若いな。俺も。



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