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記事一覧
【ぶんぶくちゃいな】蘇る毛沢東時代の悪夢 「次は何を奪われるのか?」
8月終わり、中国のニュースプリに「ソウ鍋売鉄」(「ソウ」は石偏に「匝」)という4文字を引用した記事が出現したとき、筆者はしばらくその文字を眺めてそのままスワイプした。
「ソウ鍋売鉄」(「ソウ」は石偏に「匝」)というのは、「鍋を叩き潰して鉄として売る」という意味だ。ここでいう「鍋」とは日本で一般的になっているアルミやステンレスのそれではなく、文字通りの中華鍋のことである。中国ならどこの家庭にもある
【ぶんぶくちゃいな】立場の秋、りんごの冬 香港メディア界の試練
今年の秋、香港では重苦しい裁判が続く。
8月29日、その始まりを示すかのように、香港区域法院はネットメディア「立場新聞」(すでに運営停止)の運営母体だったBest Pencil Hong Kong Limited(以下、ベストペンシル)と、元編集長の鍾沛権・被告とその後任を務めた林紹桐・被告の2人に対し、「刑事罪条例」に基づく「扇動刊行物公開あるいは複製共謀」容疑において有罪の判決を下した。
240831 【ダイヤモンド・オンライン寄稿】パリ五輪で中国人観客が自国選手に大ブーイング「醜いいじめ」はなぜ起きたのか?
今週からパリ・パラリンピックも始まりましたが、先に閉幕したオリンピックで注目を集めた話題を取り上げました。
16年前の北京オリンピックでは卓球の試合会場で中国人観客が自国選手の応援に夢中になりすぎて、世界中の卓球ファンの顰蹙を買ったという出来事がありました。筆者もその時初めて知ったのですが、卓球というのは本来静かな中でピンポン玉が響く音を聞きながら対戦するのが不文律なのだそうです。卓球は国技とは
240822 【ダイヤモンド・オンライン寄稿】月収205万円!投資銀行の30歳エリート女性が自殺に追い込まれた、中国金融業界の恐ろしい現状
コロナ以降、経済が急速に悪化している中国で、将来の不安や夢が破れたことへの絶望の声はちらほらと聞こえてきていたのですが、中国国有トップ投資銀行で起きたこの事件は、海千山千の人たちが雲集しているはずの金融業界で激しい感情の波を引き起こしました。
「明日は我が身」……そんな書き込みもあちこちで目にしました。2010年代以降、2000年代に急成長したテック企業よりもさらに大きな飛躍を遂げた中国金融業界
【ぶんぶくちゃいな】崩れ去る価値観、なにが香港を支えていくのか
6月に香港を訪れ、その際に気づいた香港の変化、それもあまり好ましくない変化について「香港の『劣化』とそこに生きる人たち」でまとめた。
考えてみると、2019年のデモから今年でまるまる5年。この夏は「香港国家安全維持法」(以下、国家安全法)の施行からさらに4年が過ぎた。この2つの出来事をきっかけにまず選挙や議会制度、そして社会団体やメディアなど、目に見える社会事象の変化が起きた。さらにその後、そん
240718 【ダイヤモンド・オンライン寄稿】中国はもはや「反日」ではなく「仇日」、蘇州日本人襲撃事件の裏にあった意識とは
出してから超特急で掲載していただきました(笑)。
蘇州の日本人親子殺害事件。その後、続報がないのでちょっと記憶に薄れつつある内容ではありますが、そんな今だからこそもっと俯瞰して見えるものがあるといえます。
この事件が日本で報道されたのが事件発生翌日早朝で、その直後から中国のメディアの動向を、SNSも含めてずっと見ていました。まずはSNSで日本の報道を引用した報告がなされ、ほぼその直後に日系メデ
【ぶんぶくちゃいな】香港最新見聞:香港の「劣化」とそこに生きる人たち
ちょっとバタバタが続いている中でスキを見つけて、香港に行ってきた。昨年もちょうどこの時期にあるメディアの現地取材のお手伝いで香港入りしていたので、約1年ぶりの現地入りとなった。
行ってみての正直な感想は、「香港が劣化している」ということ。この「劣化」というのはそこで暮らす人たち自身が望んだものではなく、とにかく全体が「いろんなことに手が回らなくなっている」という印象を受けた。
まず、今回は近頃
240617 ポリタスTV配信「香港大規模デモから5年 そこに至る過程と香港の現在」
今年の6月9日は奇しくも5年前と同じ日曜日。5年前のこの日、香港では「逃亡犯条例」の改定を巡って100万人を超える市民が反対の声を上げてデモ行進しました。そう、香港の運命を大きく変えるきっかけになった2019年デモの「幕開け」ともいえる大行動が起きた日でした。
5年後のこの日、広島のブックカフェ「ハチドリ舎」で、津田大介さん、そして元朝日新聞記者の宮崎園子さんと香港の話をしました。
宮崎さんと
【ぶんぶくちゃいな】大規模デモから5年、変わり行く香港の政治システム
今年6月4日は1989年の天安門事件発生から35周年にあたった。
その翌年の1990年から毎年この日、事件の犠牲者追悼と血なまぐさい鎮圧に抗議する集会が香港で開かれてきた。長年のうちに出席者の数も毎年かなり増減しつつも、20年、25年、30年などの節目には必ず目立ってその数が増え、人々が決して「忘れていない」ことを示してきた。そして毎年の出席者数の増減は市民の香港及び中国政府に対する不満のありよ