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親子って、家族って…

【エッセイ】家族というトラウマ。


私には仲の良い兄がいます。日常的に一緒に何処かへ出掛けるなど、そういう感じではないのですが互いを尊重し合ってるみたいな仲です。

きょうだいの仲が悪い人からしたらあまり考えられないかもしれません。私は父親との間に心の傷があるので例えば父親とふたりで旅行などは考えられません。世の中のお父さんや仲が良い親子を否定しているわけでは決してありません。世の中にはさまざまなお父さんがいるということです。

父親に限らず、母親、兄弟、姉妹、その他の家族、親族と呼べる人との間で心の傷を抱えている人も多くいます。以前に私と同じような心の傷を抱えている女性の記事をネットで読みました。その女性は自分の兄から性的虐待を受けていたとのこと。私は父親からでした。なのでその女性からしたら「兄」=「クソ野郎」
であり私が自分の兄と仲良しなことはきっと考えられないことでしょう。

性的虐待、性被害はとてもショッキングな出来事で例えば見ず知らずの変態野郎でも恐ろしいですが、それが自分の家族や親族、知っている人間から受けるなんて、その恐怖、悲しみ、憎しみ、恨み、怒り、嫌悪感、復讐心など簡単に言語化することのできない感情、言葉で表すことのできない苦しみがより一層激しいものになります。

親子って、家族ってなんでしょう?


        🍀


私は心の傷がたくさんありますが意外と能天気に生きています。もちろん全てを許せたわけではないし許せても許せなくても、そもそも許そうと思わなくても全てがオッケーで心の傷を抱えながらも人は懸命に生きています。

控えめに言ってクソ野郎だった父親も、
苦労が絶えなかった母親も、もう随分前にこの世を去っています。

自分の心の傷と向き合って癒していく過程で激しい怒りや悲しみ、恨み、父親に対する復讐心などの破壊的なエネルギー(感情) を文章、言葉、言葉になっていない叫び、涙、表情、体の動きに変換して闇の儀式としてひとりで表現することによって感情の解放をしてきました。我が家にある仏壇に向かってド汚く罵ったことも何度もありました。そうでもしないと自分が自分の破壊的な感情を抱えきれずに壊れてしまいそうだったからです。

肉体 (エゴ) を持っていたときの父親だったなら必死に自己弁護したり、しらばっくれたり、涙を流して許しを求めてきたり、或いは逆ギレしたり、脅してきたり逃げ惑っていたことでしょう。

ですが光 (魂・エネルギー) の存在となった父親は仏壇に向かって暴言を吐く私の全てをがっちり受け止めて「本当にすまなかった、お父さんの事を許してくれとは思わない。ただ、あなたの事を全力で見守ってサポートする」どっしりと構えたエネルギーでなんとなくこのようなメッセージを私に伝えてきました。

こういう話を深刻にするのではなく普通にというか、ニュートラルにというか、
こういう事があったんですけど大丈夫ですよみたいな、そんな感じでできたらと思い書いてみました。

いわゆる「重いテーマ」を話すほうも聞くほうもニュートラルな視点を持ってみる。なかなか難しいことですが。だからと言って聞く人はあなたやあなたの体験した出来事に興味はないですよみたいな態度ではなく、話す人も自分を恥じたり自虐的になるのではなくニュートラルに語ってみる。これもなかなか難しいことですが。

私自身「自分は被害者である」という観念を少しずつ手放してきました。だから自分の事をかわいそうとは思ってるけど思っていません。だんだん思わなくなってきました。

ある程度の癒しが進んでいないとなかなか口に出せるものではありません。私は既に両親が他界しているからこそ話せるし、あとこういう話しは自分のことを詳しく知らない人にだからこそ話しやすいのかもしれません。

私が性的虐待を受けたのは小学4年生位の頃だったのですが、父親以外の家族や親戚、周りの大人たち、学年が上がって中学生、高校生と時が進んでいくなかで私の友人、付き合ってきた恋人、社会人になってからは職場の人間はもちろん、こう見えて結婚していた時代があったのですが元夫、誰にもこの事だけは言えませんでした。

noteを始める前に他のところでブログを書いていたのですが、そちらは現在開店休業状態。noteを始めたばかりの時期に家族のことや性的虐待のことについて記事を書いてきましたが、ふと過去記事の整理をしたくなり、「なんかこれはもういいかな…」と思い、そのほとんどを削除してきました。

ですがネットで見た女性の記事を読んで私も久しぶりにまた書いてみたいなと思ったのです。やはり同じような経験をしていると、その心の痛みや苦しみが手に取るようにわかります。

いつも文章やノリが軽いスタイルなので改めて「真剣モード」で性的虐待による心の傷を抱えている方へのメッセージや深掘りした内容などを書けたらいいなと思案中です。

        🍀


ちなみに

「心の傷を癒せた人」
「たくさん許せた人」

イコール

えらい・すごい・優れてる・正しい
清らか・良い性格・寛容・聡明・勝者
悟ってる・特別な人間・天国行き etc

「心の傷を癒せていない人」
「許せない事がたくさんある人」

イコール

ダメ・劣ってる・間違ってる・おかしい
汚れてる・悪い性格・狭量・愚か・
敗者・悟ってない・一般人・地獄行き etc

ではありません。

*心の傷の有無、許せない事の有無と
自分自身 (人間として) の価値はイコールではありません。

あくまで私が経験してきた出来事のなかで感じたこと、心の傷を癒していく過程で得た気付き、こういう捉え方をしてみたら心の傷が癒えていきましたみたいな
“ 紹介 ” や “ 提案 ” みたいなものであって絶対にこうしろ、こう思え、これ以外の考え方感じ方は無い、間違ってるぞ、という趣旨のエッセイではありませんので
ご安心ください。

勉強、テスト、漢字の書き順など学校で習ってきたことには正誤や明確な答えがありますが人の生き方、在り方、観念、感情、心のこと、心の傷を癒す方法や答えに合ってる間違ってるはありません。本当に人それぞれです。いろんな流派があるし、人によって経験してきたこと、育ってきた環境、生きてきた時代、感じ方、考え方、癒し方、自分に合うもの合わないもの、人の数だけ答えがある。

正解はあるけどありません。
自分の答えは自分のなかにあります。



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