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9.何とかならない時代の幸福論

図書館に行っては気になる本を端から借りて読んでいる。
借りる前に、ひとまず気になる本を手提げに入れる。ある程度本が選べたら、そこから精選して数冊にしてということを1時間くらいかけながらやっている。全部借りて読んでしまうには、きっと時間がないので、今回選ばなかった本も、またいつか出会えたらいいなということで。それも一つの図書館ではなく3つ、4つの図書館を1ヶ月程度の期間を空けて回るので、毎回引っかかる本が違っていて、そこもまた面白い。

今回は選んだ本を見返してみると、幸せとかウェルビーイングとか幸福の本が多くて「もしかしたら、今の自分は幸せな状態じゃないのかもしれない」という感覚がよぎったのだけれど、おそらく幸せな状態じゃないというよりも、そもそも人の生きる上での幸せってどういうことなんだろうということを、ぼんやりと考えていきたい時間だったのかもしれない。

今回の本は、「NHK Eテレ「SWITCHインタビュー 達人達」とその未放送分、またコロナ後、新たに設定された対談を収録した一冊」だそうだ。

ブレイディさんのイギリスでの生活や、これまでのイギリスの歴史や文化、イギリス社会の話と、鴻上さんの日本社会の捉え方、現代の日本の課題やそこと結び付く演劇に関する話がテンポ良く交わされていくので、あっという間に読めてしまった。

所々に学校教育に関わる校則の話とか、教育とは〜という話が出てきて、そういうことが出てくる。もちろん「こういう教員ばかりではなく、きちんと批判の声も上がっていて〜」と言った書かれ方で、その両面についても述べられているのだけれど、そうは言っても「やっぱり学校っていうのは大きくはそういうふうに捉えられているし、教員っていうのもそういうふうに捉えられているよな」と感じる部分ではある。

この本で一番学びになったし納得させられた部分は、「世間」と「社会」というところだ。台風の中、ホームレスを避難所に受け入れなかった例を挙げながら

鴻上:僕がずっと言っていることですが、「世間」と「社会」で考えれば、そのホームレスを断った人は世間に生きている。自分と利害関係がある人達のことを世間と呼んで、自分と全く利害関係のない人達が社会になるんですけど、避難所に集まった人達は、区役所の人にとって世間で、ホームレスは社会、ということになるんです。結局、区の役所の人の場合は世間を選んで、社会は無視したんです。

P.52

自分に利害関係のある人を「世間」とし、そうでない人を「社会」とする考え方。
さらに他のページでは、こんなふうにも書かれている。

鴻上:日本の場合は何が問題かというと、”世間認定”されてる人達のなかでは相互扶助が行われ、信頼感が生まれるんだけど、相手を”社会認定”した瞬間に、コミュニケーションどころか、何の関心もなくなってしまうところです。

P.157

日本の中ではと大きく括られているものの、自分自身が誰かと関わるときにも同じことが起こっていたのではないだろうかと感じる。それもあえてこの人は私にとっての「世間」だからとか、あなたは「社会」なのでなど判断することはなく、区別を無意識的にしてしまっていたのではないだろうか。

もちろん、誰がどんな顔を持っているかわからない昨今の中で、誰しもを「世間」として関わり続けるということは、とても難しいものがある。

ただ自分が所属している小さなコミュニティの中でさえ「世間」と「社会」が作り出し(され)てしまったりとか、学級という小さな箱の中でも「世間」と「社会」が生まれてしまったりとか、そういうことにも結びついていくような問題だと感じている。

イギリス社会と日本社会を比較していきながら、だから日本はダメだよね、ちょっとこの先の未来も暗いよねとなってしまうのではなく、なんとかならない時代だからこそ、こうして生きていけば幸福であるいった目先のそれっぽい答えには飛びつくのではなく、自分自身が幸福と思えることってどんなことなのか、それは世間だけではなく社会にとってもよい効果がありそうなのか。
自分の頭で考えながら過ごしていく必要があるように強く感じられた。


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