4.ほんとうの味方のつくりかた
「センス入門」が記憶に新しい、松浦弥太郎さんの本。
いまだに、ちょっと服屋さんで買い物しようかなというときに、この言葉が頭に浮かぶ。
「そうそう、いきなり値札に手をかけるんじゃないぞ。」「まずは自分自身、そのものとの出会いを大切にしないとな。」
ちょっとした感覚かもしれないし、結局高かったら買わないんだから時間の無駄でしょって気持ちで今まで自分もいたので、わからなくもないが、それでもこういうちょっとした積み重ね、自分ルールをもっておくって大事なのかもしれない。
これは、本の中身とは話がズレるけれど、目についた動植物についてちょっと調べてみるみたいな、わからないことをそのままにしない、みたいなルールも同じで、そういうことができる自分だったらいいなと思うし、そういうことを続けてきている人は、やっぱり深みのある人だなと感じる。
さて、今回読んだ「ほんとうの味方のつくりかた」
手に取ったときは、人間関係について松浦弥太郎さんの考え方が書かれている本なんだろうなと思った。味方って言葉から連想しながら「友達は決して多くなくていいよ、目的を共有する仲間が必要ですよ」といった、森岡さんのような話が載っているのかなと。
そして全くというわけではないけれど、違った。それはもう開始早々に違った。
そう、人間関係ではなく、「内側の味方」について中心に書かれている本だった。
松浦弥太郎さんは、自身の「内側の味方」を九人の友達として挙げている。
ここで、時間をかけて考えさせられるわけである。
「じゃあ、あなたの内側の味方ってなんですか?その優先順位ってどうなっていますか」と。
これを考えずして、この本を読む意味がないよな、本を置いて立ち止まる。多分これまでだったらそのまま先を読み進めて、まあ松浦さんと似てるなとか、考えることを面倒くさがって、それっぽいことだけを追いかけていたんだと思う。
自分自身の味方も、その優先順位もここで書く必要はないのだけれど、それでもやっぱり、この本は読むのにというか、読んだことから考えるのに、とても時間がかかった。
例えば、自分自身の「内側の味方」には、「とりあえず、やってみる」があると思う。それは日々の授業にしても、ちょっとしたアクティビティにしても、日常生活にしても、まあとりあえずやってみるか、どうせどうにかなるだろう、みたいなやつだ。これが自分の味方でいる意味は、結構大きい。
今回2年間、大学院修学休業制度を利用して、2年間給料は入らないし、地元から離れた生活を送るけれど、それでもまあどうにかなるだろう(もちろん、それはどうにかしてくれる人がいるからでもあるのだけれど)という、とりあえず気になったらやってみよう。これによって、今までたくさんの経験もつながりも得ることができた。
自分にとっての「内側の味方」や、その優先順位は、これから生きていく中で、どんどん変わってくるものだ。「とりあえず、やってみる」ことよりも、「やったことを丁寧に振り返って、それを意味付けること」のほうを大事にしたくなるときが来るかもしれない。
時折、立ち止まって、自分の今の「内側の味方」を確認しながら暮らしていきたい。