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坂口安吾『夜長姫と耳男』(1952)を久しぶりに読んだがやっぱり傑作だ

いくつか、昔読んだ作品を読み返してみようと最近思っている。短編小説はそんな試みを始めるのにピッタリだ。

『夜長姫と耳男』は1952年の坂口安吾の作品。『桜の森の満開の下』や『堕落論』『白痴』が有名な坂口安吾だが、『夜長姫と耳男』もこれらの作品に劣らない傑作だ。人によっては、最高傑作、いや日本の短編小説の最高峰のひとつ、とまで言ったりもするとても魅力的な作品である。

※ 坂口安吾作品に今さらネタばれも何も無いような気もするが、以下、ネタばれを含む。

ちゃんとしたあらすじを読みたい人は、人類の叡智の書ウィキペディアあたりを参照してほしい。というか、短いし青空文庫でただで読めるから、呼んだことない人はとりあえず読んでみるのが一番だと思う。

物語はこうだ。

■ 適当なあらすじ

職人が、ある長者に呼ばれる。令嬢の持仏を作って欲しいというオーダーだ。呼ばれた職人のひとりが飛騨の「耳男」。耳がウサギのように大きくて、顔が馬に似ている。

開幕から、耳男は夜長姫(13)に「馬にそッくりだ」と言われ、平常心を失って部屋を飛び出すなど、不穏な展開だ。耳男は、復讐心めいたものからか、仏像ではなく姫が気に入らないであろう怖ろしい馬の顔の化け物を作ってやろう、と心に決める。

長者の発注は、弥勒菩薩。制作期間は3年間。姫の16歳の正月が期限だ。正式なオーダーとともに挨拶が終わり、酒宴がはじまるや否や、耳男は機織りの娘、江奈子とよくわからない理由でもめて、いきなり片耳をそぎ落とされる。ちなみにこの娘は、長者が姫の服を作らせるために金にあかせて買ってきた奴隷めいた存在なので、最終的にはいい仏像を作った職人に褒美として与えるという現代だと炎上待ったなしのヒドイ設定になっている。

数日して、耳男は長者というか姫に呼び出される。なんでも、招いてわざわざ来てもらったにも関わらず、機織りがノータイムで職人の耳を切ったとなると、色々申し訳が立たないので、女を死罪にすることにしたのだと。ついては、耳を切られた当人であるから、耳男が斧で女の首を落とせと言う。これはキツイ。というか、なんかこの家は様子がおかしい。

耳男は、そんなことは「虫ケラに耳をかまれただけ」で腹も立っていないなどと、かっこいいことを言いながら断って、エナコのいましめを解いた。しかし、それがマズかった。スダレの奥から明るい笑顔で出てきた姫がエナコに言う。耳男はどうやら虫ケラに耳をかまれても気にしないらしいから、もう片方の耳も落とせと。そして、自らの懐剣をエナコに与えた。

まさかそんな。耳男はそう思った。そのまさかである。エナコは、またしても秒で残った耳を切り落とす。その刹那、耳男がみたのは、目を輝かせ、頬をほんのりと赤くさせた笑顔の夜長姫であった。ヤバい匂いがプンプンする。

そんなこんなで、耳男は何らかの怪物の像の制作にまい進する。彼も色々とモチベーションがよくわからないところがあるが、偉大なアーティストというのはそういうものなのだろう。そういえば、西洋には、自ら耳を切り落とした画家もいたぐらいだ。ともかく耳男は制作に励んだ。

制作中、彼を悩ませたのは、脳裏に焼き付いた夜長姫の笑顔だ。耳男は抗うように奇行に走る。水をかぶる、何かを燃やすは序の口。最終的に彼がたどりついたのは、あわれな蛇を捕まえてきて生き血を飲み、その死体を小屋中につるす、という方法だ。この怨念というか呪いをもって化け物の像にパワーを与えるのだという。耳男もたぶん頭のねじが何本か足りてない。

「血を吸え。そして、ヒメの十六の正月にイノチが宿って生きものになれ。人を殺して生き血を吸う鬼となれ」

坂口 安吾. 夜長姫と耳男 (pp.54-55). 青空文庫. Kindle 版.

そうして3年の歳月を経て完成したなんらかの化け物の像を夜長姫は大そう気に入った。ついでに蛇の儀式もかなり気に入った。耳男もさすがにこいつはクレイジーだと気づいた。長者も側近も、もうどうしようもないのだ。件のエナコは、耳男の耳を切り落としたあと、自らも喉をついて死んでいたのだが、その血に染まった着物を仕立て直したものが、今耳男が身に着けているものだという。これには父親の長者も引いた。もう無茶苦茶だ。

そう、本当に怖ろしいものは化け物の像などではない、姫の笑顔だったのだ。耳男は、今生の思い出にと、この笑顔を刻み残したいと申し出、次の仕事に取り掛かることになった。

そのころ、疫病が流行った。姫の思い付きで耳男が作った呪いの像が門前に飾られた。多くの村人が死んだが、屋敷の人間は誰も死ななかった。これが評判となり、耳男は名人ともてはやされるようになり、何より、得体の知れない姫こそが神の化身ではないか、という評判が立った。想像だが、長者も親としてさぞうれしかったことだろう。娘がただのサイコ野郎で終わらなくて良かったと思ったはずだ。

しかし、疫病は再び訪れた。こんどは、化け物像を祭った祠の前で死んだ者もいると姫は大喜びだ。ついには、耳男に蛇を捕まえさせて生き血を飲み、高楼の天井から蛇の死体をつるすという呪いの儀式までやり始めた。

かがやく笑顔で姫は言う。

「みんな死んでほしいわ」

主人公の耳男も、ついにこの物語がヤバいサイコホラーだと気づいた。このままでは、姫が村の人間を皆殺しにしてしまうどころか、チャチな人間世界がもたない。耳男は大きい青空の下、天井からぶらさがる何十もの蛇の死体が風に揺れる高楼で、病で倒れる村人を見つけては可憐にはしゃぐ姫の胸に、キリを打ちこんだ。

■ でも『夜長姫~』はとても美しい物語だ

このように、内容だけを見るととんでもないお話だ。しかし、この物語はとてつもなく美しい。その秘密は、作中で繰り返される姫の無邪気な残酷さと輝いた笑顔、そして何よりラストシーンの素晴らしいセリフにある。

耳男に刺されたあと、ニッコリとささやいた夜長姫のこのセリフがすべてを語ってくれるだろう。あれこれ語るのは野暮なようにも思うし、何より、それは評論家でも何でもない自分の能力を超えている。

「好きなものは咒(のろ)うか殺すか争うかしなければならないのよ。お前のミロクがダメなのもそのせいだし、お前のバケモノがすばらしいのもそのためなのよ。いつも天井に蛇を吊して、いま私を殺したように立派な仕事をして……」

坂口 安吾. 夜長姫と耳男 (p.103). 青空文庫. Kindle 版.

夜長姫は、色々と非人間的な感じではあるが邪悪ではない。やってることは無茶苦茶だが、不思議と愛を感じる。一般人とは全く異なるスケールで生きている存在なのだろう。それゆえ不気味だがどこか美しい。

意味不明な理不尽サイコホラーだったはずのものが、「好きなものは呪うか殺すか争うか」だ、という一言で、すべてつじつまがあったかのように読者を納得させる作品になってしまう。これは並み大抵のことではない。もしかするとむしろ逆で、このセリフ、このシーンを際立たせ成立させるためだけに、物語のすべてがあったのかもしれない。

よくよく考えてみると、「好きなものは呪うか殺すか争うか」という言葉も変といえば変だ。それでいて、深みのある名言のように人の思考や感情を立ち止まらせる力を持っている。いわば言葉の組み合わせ方をハックしたような名台詞だ。こんなものは、そうそう思いつくものではないし、それを納得させるだけのストーリーやエピソードをちゃんと組み合わせないと効果を発揮しないだろう。

とにかく、坂口安吾作品は、久しぶりに読み返してみてもやっぱりスゴイとしか言いようがなかった。物語が何か大事なことを教えてくれるとか、実用的なノウハウをくれるとか、そういうことではなく、ただただ作品のクオリティの高さに驚く。そういった体験を是非味わっていただきたい。

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