▍「マネジメントされるスキル」が組織を変える。
部下に責任やロールを付与すると、やれパワハラだの激務だの、責任放棄だの言われる世の中になってきました。「会社は従業員を守るべき」という、会社や組織と「私」を切り離して考える人も増えました。
そんな社会で「組織」を円滑に動かすには、小手先の「マネジメントスキル」では到底太刀打ちできません。
これを読むみなさんは、経営者でない限りはマネジメントをされる側かと思います。これを書く私も、多くの部下を持ちながらも私自身は上司に助けられる日々の中で、マネジメントする側の視点で上司と接することで、物事が円滑に進む経験を沢山してきました。
そんな「マネジメントされる側のスキル」について、
組織を良い方向に導く潤滑油としての観点でお話しできればと思います。
▍つけ上がった「弱者」が組織を滅ぼす
少々強い言葉を使います。
「弱者」とは、すなわち「責任を背負っていない者」を指します。
この世の権力者は、会社であれ政治であれ、掌握する組織においての不義理・失敗の責任を負っています(実態はどうかわかりませんが、健全な組織においてはそうなっているはずです。)
意外かもしれませんが、「弱者」たちこそ、組織や事業に対して何でも言えるのです。立場があり、責任がある人たちは、その言動一つひとつに責任が伴います。
仮にひと目見て改善できそうな問題があったとして、
「こうすればいいじゃないか。」と提案をするのは簡単ですが、
実はその意思決定をするまでに、「この問題を解消することで生まれる新たな問題はないか」「問題を許容することで効率化している他の作業はないか」「その行為が誰かの悪感情に寄与しないか」など、立場のある者は様々なことを考えます。
「もし問題が生じた場合」に責任があるからです。
一方、「弱者」たちはどうでしょう。
そこに責任を負っているわけではありません。
「後輩」「部下」「新入り」などの「弱者」という立場の影に隠れて、無責任なことであっても悪意なく言えてしまうのです。
失敗しても責任を問われるわけでもなく、
事業の利益が出ないからといって給料が大して変動するわけでもなく、
部下から陰口を叩かれることもない弱者は、
こうして徐々に「上司は無能だ」「上が硬いから問題が生じる」と、責任を負っていない世界に対して、空虚な優位性を見出しては偉そうにしているのです。(皆さんの身の回りにも数名はいるのではないでしょうか。)
これが「つけ上がった弱者」が生まれるメカニズムであり、
「働き方改革」や「なんでもハラスメント時代」がこれを助長しています。
そして終いには「給与が低い」「会社が環境を用意していない」と、
本文冒頭で書いたように、組織と自己を分離して会社に対する不満を垂れるわけです。
厳しいことを言うと、「つけ上がった弱者」が組織を滅ぼすのです。
▍「マネジメントスキル」という空虚な自己啓発
上述したようなモンスター部下や、昨今叫ばれるゆとり世代のやる気のない社員に対して、マネージャーたちは「苦労」という言葉では形容しがたい難しさを抱えていることでしょう。
その悩みに漬け込んで肥大化しているのが、
世の中にはびこる方法論としての「マネジメントスキル」の弊害です。
"部下の話を傾聴しましょう。傾聴こそがすべてです”
”褒めることで伸ばしましょう。否定的なFBは厳禁です”
”部下のWILLに合った仕事にアサインしましょう”
そんな クソの役にも立たない 空虚な「テクニック」が、
謎の野良コンサルタントたちによって叫ばれています。
衝突を恐れて傾聴し続けた結果「文句言い放題」の部下が誕生し、褒めるポイントを見つけるためにハードルを下げては部下の能力が上がらず、キャリアの専門性も業務の解像度も低い状態の部下の"WILL"に合わせて、適性があるのかかもわからない仕事を与えては成果が出ずに失敗しているのです。
「マネジメントスキル」というのは存在はしていると思います。
ただそれは形のあるパッケージではなく、部下との関係性や無限にある変数の中で形作られる「最適解(でありそうなもの)」でしかありません。
にも関わらず汎用性の高いテクニックとして扱われることで、「マネジメントスキル」がただの実態のない自己啓発に成り下がっていると思います。
▍部下こそ、マネジメントを学ぶべし
こういった状況を防ぐには、もちろん上司がマネジメントの本質を理解し、学び続け、部下との関係の中で本気で向き合うことが重要です。
ただ「マネジメント」というものは、一朝一夕でできるようになるものではなく、あらゆるスキルの中でも変数が多い難しいスキルだと思います。
これらを、スピード感の求められるベンチャーや利益率の低い労働集約型の事業組織でクリアするのは相当な難易度といえるでしょう。
だからこそ、組織を円滑にするには、部下側も「マネジメント」についてある程度の共通認識を持ち、全員で協力して組織を運営していく必要があるのです。
「弱者」の立場から、責任ある上司の視点を学ぶことで、文句言い放題の無責任なモンスター社員への進化を防ぐ事ができます。
繰り返しますが、自己を会社・組織の外側に置く認識を改め、
組織とは自己であるという覚悟と理解をもって、組織の利益が自分の利益になるという構造を作る必要があるのです。
そのために、マネジメントされる側として、上司は自分に対してどのようなマネジメントを試みて、どのような評価をしていて、どう成長してほしいのかを理解した動きを取ることが重要です。これによって上司が事業に集中してパワーを注ぐことができると、事業・組織が良い方向に向かいます。なぜならば、上司は優秀が故に上司になっているからです。
優秀な人には、事業改善をお願いしましょう。
部下の文句のガス抜きでも、膨大な数の1on1でもなく、
事業をより良い方向に持っていく部分に集中させましょう。
▍「上司」は世話役ではない
上述のとおり、多くの組織において「上司」は部下の不満を緩衝材として受け止めては解決したり、文句をいう社員がいれば納得してもらえるように説得したり、人間関係に問題があれば配置変更や業務整理でそれらを解消したり、多くの時間を「ピープルマネジメント」に費やしています。
それも、多くはネガティブな意味でのマネジメントです。
果たして本当にそれは上司の仕事として適切でしょうか。
私はそうは思いません。
もちろんその側面は少なからず存在すると思いますが、
上司は世話役ではありません。
正確には「主たる仕事は部下の世話役ではない」ということです。
ある程度裁量権の与えられた実力主義の世界では、
とても優秀なプレイヤーがマネージャーに抜擢され、若くして数名のチームを任されることはよくあると思います。
そんな彼らの1~2年後を見てみると、
夕方の時間はすべて部下との1on1でうまり、MTGの議題はもっぱら「メンバー状況に関する報告」で、事業数字のモニタリングはできても細かい分析はできず、ましてや新たなプロジェクトを立てて運用する時間もない、という状況に陥っているように思います。
▍仕事ができる人間に「仕事」をさせよう
上司はなぜ上司なのでしょうか。
実力主義の評価制度が引かれている前提であれば、
それは簡単に言うと「仕事ができるから」でしょう。
仕事ができるとは、つまり事業におけるアウトカムを生み出せるということです。
もちろん場合によってはピープルマネジメントに強みがあるがゆえに抜擢されているケースもあると思いますが、多くの場合は「組織としての成果を最大化するために必要なポジション」に対して、能力がある人をアサインすることで事業を伸ばす意図があるはずです。
ピープルマネジメントに疲弊してプレイヤーができる環境に向かってEXITしていく社員は後を絶ちません。
残念なことに、私の所属する組織でも、
上記のような状況に陥ったリーダーが「やはり自分は営業で事業に貢献したい」と、より顧客に近い仕事を選んで転職していくケースが多々あります。
中堅マネージャーが育ちきらずに出ていってしまうのは、組織にとって大きなダメージでしょう。
可能な限り上司が事業に集中できる状態=マネジメントし易い状態を作る必要があり、それをクリアすることで自分にも利益や、より大きな仕事として返ってくるのです。
これだけ会社と個人が切り離されているこの働き方改革の時代で、
このようなことを顔と名前を出して上司の側から発信することはなかなか憚られるような気がします。
だからこそ、まずはみなさん自身が部下の側から、上司を事業改善に集中させるような立ち回りを意識してみてください。
日本をここまで成長させてきた画一的な教育や、多くを望まない社会の歯車としての個人を育てる社会システムは、その成果が物語るように非常に組織として効率の良いやり方であったと思います。
もちろん人権を無視するブラック企業は滅びてほしいものですが、
組織や社会に対して最適化した個人のムーブメントは、回り回って個人への還元を最大化させることもあるのです。
これが、私が「マネジメントされるスキル」を重要視する理由です。
すべてがすべて鵜呑みにしてほしいわけではありませんが、中間管理職の皆さん、あるいは若い上司をもつ新人の皆さんが、少しでも組織を良くしていくことを願ってやみません。
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