つかこうへい、志穂美悦子、井筒和幸、みな不完全燃焼。映画「二代目はクリスチャン」。
70年代、すべてはブルース・リーから日本を席巻したカンフー映画ブーム。わが国でも千葉真一や倉田保昭などを主演に和製功夫:カラテ映画が量産された。アクション男優の始まり。
同時期に活躍したアクション女優に志穂美悦子が存在する。
千葉真一率いるジャパンアクションクラブの門を叩いた彼女は、人造人間キカイダーのビジンダー役をはじめ、数多くのアクション映画・テレビ番組で主役を張る。
そんな彼女も80年代に引退したのもあって、主戦場はまだアクション映画が未成熟だった70年代に集中。有り余る才能を十分に発揮するアクション映画に恵まれた、とはいいがたい。
そんな志穂美悦子が1985年、ファンにとっては10年ぶりにスクリーンの主役としてよみがえった映画「二代目はクリスチャン」。
原作・脚本は「蒲田行進曲」で世間でも一躍ときの人となった新進気鋭の劇作家:つかこうへい。製作は80年代邦画にブームを巻き起こした角川映画。監督は「晴れ、ときどき殺人」でメガホンをとった新進気鋭の井筒和幸、と話題性は十分。
つか自身が学生時代浴びるほど見て感銘を受けた、男どもをバッサバッサ斬って捨てる藤純子ら女侠客ものを、現代を舞台に再現したという原作。
志穂美悦子が修道女に身をやつし華麗な蹴り技で悪い男たちをきりきり舞いにするアクション映画を期待して、映画館の暗がりに足を運んだ男性映画ファンたち。果たしてその顛末は?
そもそも井筒監督の持ち味は、昭和・関西の中坊の物語「岸和田少年愚連隊」や「パッチギ!」ほか、役者に実際の鉄パイプを持たせるなどリアリティを大事にするところから始まる、明るく激しく激しい活劇にあると言って良い。暴力的ながら実にあっけらかんとした物語、例えていうなら「はだしのゲン」的な作品がマッチしている。70年代と90年代という暗い時代にサンドイッチされた80年代だからこそ世に出てきた作家と言って良いのだ。
本作の次にメガホンをとった作品「犬死にせしもの」では実録やくざ映画、とくに「私設銀座警察」をコミカルに瀬戸内海を舞台に再現することに成功している。
本作において井筒監督の持ち味は、はっきりいってマイナスに働いたと言って良い。すなわち、井筒監督は岩城滉一、柄本明、蟹江敬三、室田日出男、
山村聡、北大路欣也ら、いかついオッサンたちにフィルムを割いてしまっている。ここに、利権だのやくざの陰湿なしきたりだの、ねちねちとじめじめとした起伏の乏しい物語が続く。渡世知らずのシスターは、画面の奥で窮屈そうにするほかない。そもそも井筒監督自体、ラブコメの金字塔「みゆき」を下品に撮ってしまうなど、アイドル映画をあまり理解していない人物だ。
つかこうへいの演出を再現できているか?という点も断じてノーだ。「芝居はF1レースだ」とつか自身が称した捲し立てる洪水のような台詞の応酬に、クライマックスに待ち受ける「ハレ」を象徴するような派手なパフォーマンスこそ、つかこうへいの「異様な」芝居の骨頂。本作において、前者はかっちりとしたカット割りで折り目正しく片づけられ、後者は敵を倒せばそれで唐突にEND。つかの意匠が現れた深作欣二の「蒲田行進曲」と比較しても、演出がソツなくまとまっており、井筒監督が作品をうまく消化しきれていないのが、顕著である。
つかこうへいにも責任がある。
試行錯誤の末「幕末純情伝」「銀ちゃんが逝く」「飛竜伝」など90年代以降のつかこうへいを意匠となった「強い女性が、情けない男どもを踏みつけて、世界を転覆させる」も、本作の段階ではまだプロトタイプと言って良い。すなわち、身内は一方的に踏みにじられるだけ。最後殴り込みの段になっても、手下たちは大体身内の舎弟たちが出張って片づけ、シスターは、悪い親分ひとりを斬って、おしまい。
受けた被害と晴らした恨みのつり合いが取れない、任侠映画のテンプレの悪いところばかりをなぞっていて、これでは盛り上がりようがないのだ。
「女必殺拳」で髪を振り乱しながら超高速のスピードで赤ヌンチャクを振り回す功夫着姿が絵になったのと同じく、実写でありながら一歩間違えればコスプレになってしまう修道服に着られてる感じがしないのは、流石、志穂美悦子。だが立場が立場ゆえ、70年代の出演作でサービス旺盛だった画面狭しと飛び跳ねるアクションは頑として見せず、耐える、説く、シスターらしい演技で勝負。
娯楽に乏しい40年前の客なら、我慢に我慢を重ねるシスターの姿に敬意を抱き、最後の長ドスの一振りでケジメを付けるシスターの姿に「カッコいい!」と、素直にシビれることができただろう。
しかし「ギルティギア」のブリジット、「サクラ大戦3」のエリカ、「月姫」のシエルら、御託を並べながら画面狭しと暴れまわる二次元のシスターが世に溢れかえり日常的に触れている現代人には、これだけで満足、というのは酷である。
機関銃でも持って殴りこんでもらわなきゃおつりが来ない。啖呵を切って、もっと暴れまわってほしかったのだ!
結論。つかこうへいも志穂美悦子も井筒和幸監督も、すべて並外れた才能が不完全燃焼に終わった、角川映画の佳作。修道服にスリットが入っていれば少し違った結果になったかもしれない、が。
仮に90年代に同じトリオで本作が撮られたならば:バブル崩壊後の時勢ながら何故か明るく、おもろ哀しく笑える異色作となり、最後の殴り込みはさぞドラマチックに演出されただろうな、志穂美悦子が躍動しただろうな、と思わさざるを得ないのだ。