【鑑賞記録】映像で観る無名塾劇世界「いのちぼうにふろう物語」
2022年に無名塾が能登演劇堂で行ったロングラン公演「いのちぼうにふろう物語」☟観に行きたかった(本音)!
かわいそうでかわいい人間たち-無名塾「いのちぼうにふろう物語」観劇レポ|安川摩吏紗
「いのちぼうにふろう物語」は、山本周五郎の『深川安楽亭』をベースに、隆巴さんが脚本、演出。一言でいえば、無法者たちが若者の純愛にほだされ、命を棒に振ろう、と生死を賭して若者の力になろうとする物語。
1995年に誕生した能登演劇堂における、無名塾のロングラン公演の模様、つまり1997年の本作初演の模様を、2016年に仲代講堂でビデオ鑑賞している。講堂三方には仲代達矢主演の演劇公演のポスターが貼り巡らされている中、唯一存在した映画ポスターが銀幕デビュー作「火の鳥」であったことを記録しておこう。
(2016年当時ソフト化されていない「幻の作品」だったが、この度プライムビデオで配信されたのは、嬉しい話。)
当時の記録が手元にあるので、ここ(note)に書き起こしておきたいと思う。
舞台美術について。
舞台の上手に安楽亭のセットが。下手に地蔵が並んでいる。花道は安楽亭とそれを囲む堀で隔たれた外界とを結ぶ「橋」として見立てられている。安楽亭の部分は360度回転する仕組みとなっていて、これで安楽亭の屋外・屋内を切り替えられるようになっている。
傍目には「公権力とがっぷり4つに組み合う、密貿易を行う悪党の根城」。無法者たちが弱弱しく息をひそめるのではなく、堂々と自身の存在を主張しているような、強い印象を与えてくれた。
その他、一時的に舞台は吉原に移るのだが、こちらは往年のATG映画を思わせる簡素なセット。ここは「見立て」が心地よかった。
能登演劇堂は、舞台奥の大扉が開くと、そこには能登の雄大な自然が広がっており、舞台と一体となる世界的にも珍しい舞台機構が特徴。
2022年はその魅力を存分に用いた、ラストの(無法者たちが若い男女を逃がすための)大立ち回りがあった様だが、1997年の初演においては(ビデオを見る限り)これが不完全燃焼。正直、ここの大立ち回りを期待していただけに、残念なところはあった。あるいは、実際の能登演劇堂での鑑賞において外と内の空気が繋がるのを体感できない、これこそがビデオ上演の限界と言うべきなのだろうか。
演技と台詞について。
仲代達矢の妻にして盟友:隆巴(宮崎恭子)が1996年に逝去、結果としてその追悼公演となった1997年の初演。亡き人を思ってか、心なしか、無名塾の面々演じる無法者たちの台詞、力が入っていたように思う。
安楽亭主人の飼っている「野獣」たちは完全な悪党ではない。それが透けてみえる優しい台詞を書き起こす。
この話は、そんな傷だらけの子供たち、無法者たちが、初めて人様の役に立とうとして、親(=安楽亭の主人)の言うことを聞かず行動を起こす、そしてはかなく消える物語なのだ。
無法者のひとり、定七は落ちたスズメを鳥かごで飼うのだが、それが「いつの間にか」死んでいる。これは意気揚々と出かけて行った無法者たちが儚くひとり、またひとりと殺されていく見事な前振りとなっている。
仲代達矢が初演で演じたのは(のちの再演と同じく)安楽亭主人の幾造。最後は当時65歳の彼も、安楽亭というトリデで「乱」を思わせる狂奔の大立ち回り。
先に死んでいったそんな愛する子供たち(=無法者たち)への贖罪の意図も込められているかのような、任侠映画的な、苦痛をかみしめて斬って張る殺陣だった。
トークショーの中身について。
参加者は無名塾OB・OG交えた以下4名。仲代達矢はこの面々の中ですっかりおじいしちゃんになっていた。ワザとやっているのか分からないぼけを交えた語りがたまらなくいとおしかった!
仲代達矢(幾造)
渡邊梓(幾造の娘、おみつ役)
長森雅人(定七役)
高田(下の名前は失念:お磯役)
当時、特に隆巴の功績を偲んでの語りが続いた。
当時無名塾の若手が軒並み連続テレビドラマに抜擢されたこと。
隆巴の演出は繊細で、同じ脚本で100回の公演を行って、やっとその取りできるということ。
本ビデオにおいては、隆巴の描いた絵コンテを元に舞台の撮影を行ったこと。
同脚本を用いた1971年の映画版においては、「小林正樹監督が私の才能を引き出してくれた」(by 仲代達矢)
最後に。
ともすれば現代社会の中で忘れがちな、自分より弱い者に対する「忠」や「勇気」というものを奮い起こさせてくれる、いまや日本から消えつつある類の作品。
私が本劇の中で一番好きなセリフを書き起こしておく。