「日曜日、(銀行強盗)以外にやることなんて、あるかい?」"The Thomas Crown Affair"(1968)
70年代前夜、スティーブ・マックイーンが「ブリット」以降のマッチョな役に転じる前夜、さわやかで飄々としたキャラクターを持ち味とした実質最後の作品「華麗なる賭け」(原題: "The Thomas Crown Affair", 1968年、ノーマン・ジュイソン監督)より。
1999年のピアース・ブロスナン主演の無味無臭なリメイク「トーマス・クラン・アフェア」と違って、本作は、いま見てもめちゃくちゃオシャレでカッコイイ映画だ。
監督は、日本ではマイナー、カナダにおいては自国映画産業を盛り立てた功労者:ノーマン・ジュイソン。それはともかく、編集にハル・アシュビー、セカンド監督にウォルター・ヒルの名前があるのを見れば、通なら驚くだろう、そして「完成度の高い映画になる」所以がわかるだろう。トドメとばかりに、音楽はヌーヴェルヴァーグで御なじみ、ミシェル・ルグラン。
何がカッコいいかって、とりあえずスプリット・スクリーンの使い方が絶妙ということだけは、あらかじめ伝えておこう。
あらすじは、億万長者「にも拘らず」盗みに情熱を燃やし20万ドルの銀行強盗に成功したトーマス・クラウン(演:スティーブ・マックイーン)。それを調査しにきたビッキー・アンダース(演:フェイ・ダナウェイ)とのロマンス。
そもそもトーマスは、銀行強盗を実行する、というよりも赤の他人に実行させるが、それは決してカネが欲しいからではなく、ポロやグライダーやサンドバギーのような余暇のスポーツと同列な次元でそれを行う大した奴。
いまの我が国であったら「上級国民」と叩かれるであろうこの男、果たして我々一般市民の目線に立った、正義マンで自信家の辣腕保険捜査官ビッキー(フェイ・ダナウェイ)が、マウントをとるべく…もとい、真相を突き止めるべく、躍起になる。まずは陽動作戦織り込んだチェスにトーマスを誘い込み、みごとに勝利する。
勝利によって彼に対する優位を保った…と思いきや、トーマスは全く悔しがるそぶりもなく、平然として別のゲームをしようと言って彼女を抱き寄せるのだ。これが、完全無欠の大富豪という存在。
ともあれ、ビッキーは、懸命な努力の末、トーマスを訴えるには十分な証拠をそろえることに成功。
と彼女は、何かが為される根底には何らかの目的が必ずあるはずだと推し量るタイプ。だから、トーマスの動機が気になってしょうがない。
だが、しこたまカネを持っていながら何故銀行強盗など働いたか、とビッキーがトーマスに尋ねても要領を得ない。けしてトーマスがはぐらかそうとしているわけではなく、そもそもトーマスに目的など存在はせず、率直に言えば「ヒマだから」「面白そうだから」トライするのである。
倫理観をはるか遠くにぶん投げた真理に対する、サンディの詰問とトーマスの飄々としたアンサーより、以下引用。
そしてラストシーンはマックイーンだからと言えば当然:飛行機の中で一人微笑するトーマス・クラウンと、逮捕しようと警察官とともに墓地で、淡い恋心と共に彼の出現を待ち、しかし彼からの手紙を受取って出し抜かれたと悟り泣き崩れるビッキー。気持ちにおいても高度においても天と地が見事に分かれた対照的なラストで、映画は終わるのだ。
結論。金持ちが好き勝手をしているところが描かれているにも関わらずオーディエンスには爽快感すら与えるところがこの映画の凄いところだ。
どうしてもトーマスのやっていることが気に食わない(言っちゃ悪いが「心に余裕がない」)人は、あるいは、フェイ・ダナウェイの方に感情移入してしまう人は、マックイーンが自身のペルソナ通り、鮮やかな黄色のデューンバギー(Meyers Manx Dune Buggy)でビーチを疾走するシーン、大富豪らしく日常的にロールス・ロイス シルヴァー・クラウド IIを運転するシーン、あるいはフェイ・ダナウェイがフェラーリ 275 GTS(Ferrari 275 GTS)のハンドルを握る、車、車、車が登場するシーンだけでも、心ときめかせてみよう。