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1989年銀獅子賞受賞作「千利休 本覚坊異聞」。 宴のあと、鎮魂のものがたり。

快挙だ。

日本の監督がベネチア国際映画祭で監督賞を受賞するのは2003年に北野武監督が映画「座頭市」で受賞して以来、17年ぶりとなります。

その14年前に銀獅子賞を獲得した作品があることは、今ではやや忘れられている感がある。熊井啓監督「千利休 本覺坊遺文」だ。

ジャパン・アズ・ナンバーワンだった80年台末、金は腐るほどあった、日本企業はメセナに精を出していた:「贅を尽くした」映画を作る環境にあった。
だから1989年、利休没後400年を記念して、ふたつの「利休」映画がほぼ同時期に公開された。そのうちの一方が、本作だ。

原作は井上靖。 「松岡正剛の千夜千冊」もご覧あれ。

「宴のあと」:利休が死んで27年経った_秀吉はおろか家康も死に、戦国の世もすっかり遠くなった時代を背景にする。
利休の最後の弟子:本覺坊が、暗室で師匠の死を弔うところから物語は始まる。本覺坊は夢に見る、師匠と自分の間に横たわる三途の川を。

千利休が太閤秀吉の命で自刃してから27年後、愛弟子・本覺坊は、師の死の理由を解明することに情熱を傾ける織田有楽斎の許を訪れる。そして、利休の晩年山崎の妙喜庵で催された真夜中の茶会について話す。本覺坊は有楽斎に請われるまま、死にいたるまでの利休の行動を語り始めるのだが……。

キャスト
本覺坊 奥田瑛二 
千利休 三船敏郎 
織田有楽斎 萬屋錦之介 
古田織部 加藤剛 
太閤秀吉 芦田伸介 
山上宗二 上條恒彦 
東陽坊  内藤武敏 
古渓   東野英治郎
スタッフ
監督  熊井啓 
原作  井上靖

角川映画 公式サイトから引用  

武人としての千利休、我を通す。


千利休の肖像画を眺めると 、上背のある頑丈な体格に確固とした眼光をたたえていて 、武士以上に気骨のある人だったのではという思いがめぐる 。
程よく枯れたニッポンのサムライ、三船敏郎が演じてかっちりハマる人物だ。

出番こそ少なく、言葉数も少ないが、彼の出番の一つひとつ、強い印象を残す。
戦場に赴き命を捨てる武将たちの為に、煎れる茶。
そして、茶室に入った太閤秀吉を射抜く(有楽斎曰く「死を賜せる」)茶。
利休の煎れる茶、それは騒々しい世の中に、山中の風情のような空間と時間を出現させるものだ。世の中がどうであろうと、彼がやることは茶を立てるだけ。
敏郎のドスの効いた低い声の一本調子、ここでは「自らの道理を通す、茶の精神を貫く」武人のことばとして、機能している。

そして、普段淡々として、言葉数が少ないからこそ、秀吉から死を賜った折、静かに噴出する感情が、強い印象を残す。
秀吉との最後の茶、シナリオ12ページに渡る長台詞を一息で語るシーンだ。
最初は秀吉に対する痛烈な反語から始まる、しかしこれこそ紛れもない利休の本心だったのだろう。

上様からはたくさんのものをいただいてまいりました。茶人としての今の地位も、立場も、侘び茶へのご援助も、そして最後に死を賜りました。これが一番大きい頂き物でした。死を賜ったおかげで宗易は、侘び茶というものが如何なるものか、初めて分かったような気がしております。その上追放のお達しを受けた時から、長年、侘びすき、侘びすきと言ってまいりましたが、やはり、てなりや身振りがございました。
(ここから語気が強まる)
それが突然、死というものが自分にやってきた時、それに真っ向から立ち向かった時、もうそこには何のてらいも身振りもございませんでした。侘び、というものは何と申しますか、死の骨のようなものになりました。

秀吉はこれを理解できない。「ムキになりおって」と繰り返すばかり。

途端、翻る。その喉笛にグサリと突き刺す、利休が秀吉を糾弾する言葉。何を怒ったのか?是非聴いてほしい。
この台詞に利休の茶室に対する考え方、最後まで我を通して生きようとする意志が、脈々と流れている。

上様をお入れするためでなく、宗易自身が座るために作った席。
茶人、宗易の砦でございました。一兵一卒とてなく、ただひとり立てこもって世俗と戦う砦だったのでございます。


武人としての織田有楽斎、死人を想う。


本作の実質的な主役は、この人だと思う。出番も台詞も、多い。

冒頭、本覺坊は有楽斎の元に出かける、彼を出迎えるのは曇りのない、透き通った眼差しだ。茶の手前は流麗、優しく本覺坊をもてなす。

そんな彼も、武人としての強烈な内面を見せる。 死を淡々と語るのだ。 
たとえば、前述の茶のシーンで茶杓を見つめて、こうぼそりと呟く。

これはまさしく、古田織部の作だ。強い茶杓だろう。やはり、腹を切るだけのものはある。千利休切腹。山上宗次切腹。古田織部も切腹。これも言われぬ茶湯者になるには、切腹しなければならんのか。

彼はなおも、死に考えを巡らせる。 武将たちのこと、利休のこと。

城内では明日をも知れぬ武将どもを相手に、山上宗二は茶を立て、箱根では利休殿が、山中攻めの武将のために茶を立て、茶を喫しては死んでいく…敵も味方も。利休殿はたくさんの武人の死に立ち会って、どのくらいの武人が、利休殿の立てた茶を飲んで合戦に向かったことか…そして、討死したことか。

あれだけ沢山の武人の死に立ち合ったならば、義理にも、畳の上では死ねんだろう…そうじゃないか?
茶室を禅を極める場所じゃない、死を極める場所にした。

彼は喝破する、

ワシは腹を切らん。腹を切らなくても、茶人だよ。

そして、ははは と腹の底から嗤うのだ。 そのあとで「死んだ奴らを羨ましい」と思っているかのような沈痛の表情を浮かべる。

死に想いを馳せる。 戦乱の時代を生きた武人らしい、鎮魂の思いがある。

そして彼も、病患いのために死ぬ運命にあるのだ。

演じた萬屋錦之介は「柳生一族の陰謀」「赤穂城断絶」において文語体の台詞で魅せたひと。本作でも、彼の引き出しの広さが垣間見える。


武人ではない本覺坊、武人のこころに近づいていく。


有楽斎と利休が濃い武人肌だからこそ、淡々と枯れた、それでいて若々しい奥田瑛二:本覺坊が光る。彼は、俗世を離れ山奥の庵で、静かに日々を送っている。師匠の霊を弔い続ける日々だ。

本覺坊は、死んだ利休や茶人たちのことを話す人々の話に耳を傾け、寄り添う。利休の死を引きずっている有楽斎や戦国の茶を懐かしむ東陽坊。本覺坊がじっと耳を傾けるからこそ、それぞれの語りが淀みなく溢れていく。
本覺坊は我々観客と同じ視線に立っている。

彼は有楽斎の言葉を通して、過去の武人たちの逸話を聞く。
秀吉を前にした茶湯で理非曲直の発言を行い、それを理由に秀吉の追手に囲まれ、これに囚われるのを良しとせず腹を掻っ捌いた、山上宗二
小田原攻めの陣の中で茶を立てた古田織部(本覺坊評す「厳しい茶の湯」)。
利休、織部、宗二が居合わせた、「死」と一文字だけ書かれた掛け軸が掛けられた、有楽斎のいう「異常な山崎の茶室」
どのカットも揺さぶられるが、それを本覺坊は静かに見つめる。

なぜなら、本覺坊は戦争を知らないからだ。戦争を知らない人間が余計な言葉を挟むなど言語道断。有楽斎もそれを知っているから、茶人であり武人であった宗二・織部・利休らの心持ちを、優しく、解きほぐしていく。


本覺坊が有楽斎よりも理解していると言えるのは、師匠のことだけ。天下人に対して堂々と異議申し立てる武人・利休の姿を、その最後の茶で目の当たりにさせられたのだ。
存在が大きかったからこそ、喪失も大きい:ときに本覺坊は夢にお師匠を見る。言葉を交わし、茶を共にする。

いったい、何があったのでございます。

彼が見る幻の利休に「言えというのか。」(これも「男は黙って…」の三船の素質が光る。)と窘められて

申し訳ありません、お許しくださいませ。

と、すぐ引き下がる。それでも、なぜ利休が死ななくてはならなかったのか、知リたくてしょうがない。静かな言葉の中に、狂おしさが現れる。

そう、本作は、本覺坊が利休の死を受け入れるまでの、心の機微を描いた物語。
有楽斎の言葉を通して、本覺坊が「武人とななんぞや?」を知り、「利休がなぜ死を選んだのか」その心持ちを理解していく。そして前述の「最後の茶」を夢に見る=真相にたどり着く、のだ。


総じて、寂びの効いた作風だが、その中に死者への弔い、鎮魂というものが浮かび上がる。あたかもそれは、戦争を知らない子どもたちに、生き残った人々が戦争を伝える様な心地。
だからこそ最後、有楽斎=利休が切腹して果てる(二つの時代の切り返し)シーンが重要な意味を持つ。
飄々と生きていた有楽斎が「俺も共に逝くぞ」と覚悟の眼差しを浮かべる、この異様な光景を、しかし本覺坊は静かに受け入れる眼差しが、じつに興味深い。


なお、もうひとつの利休映画:勅使河原宏監督「利休」では、三国連太郎が利休をを、山崎努が秀吉を演じる。利休を演じる役者は同じく骨太だが、秀吉は遥かにエキセントリックでクレイジーで出ずっぱりだ。
端的にいえばこれは「宴の前」の物語。 宴の後と見比べるのも一興だろう。

 


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