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イタリア映画「越境者」

イタリアの南北格差とは、経済、社会、文化的な要因によって引き起こされ、南部イタリア(メッリダノ、カラブリア、シチリアなど)と北部イタリア(ミラノ、トリノ、ヴェネツィアなど)の間の大きな経済的、教育的、発展の不平等のこと。かのヴィスコンティ監督が「若者のすべて」で、成功を夢見てミラノにやって来たイタリア南部の貧しい家族と都会での残酷な現実を描写したのは、あまりにも有名だ。

『越境者』(1950年、ピエトロ・ジェルミ監督)は、「若者のすべて」と同様に、南イタリアから北イタリアへの移住を試みる一家を描いたものがたり。ただしこちらは、第二次世界大戦後の混乱したイタリアであるだけに、さらにハードモードだ。それまで働き口だった炭鉱が閉鎖され、家長アントニオら大一家は貧困に迫られ、北部を目指すが、そこは移動の制限があって当然の時代。途中の大都市で足止めされて、あわや強制送還を受けそうになる一幕すらある。

おそらく取材に基づくであろう、様々なエピソードが盛り込まれるのだが、中でも印象的なのは、一家含むシチリアの移住希望者一団が大地主に「人手が欲しい、働いてくれ」と誘われる一幕だろう。
南部の人間を見る、北部の農民…いや牛や馬の目ですら厳しいなかで、それでも稼ぎはよく、真夏の良い雰囲気でほくほくと仕事をするアントニオ一家。
そんなある日、農園からの帰り道、一本道の真ん中で、自転車で走ってきた警官と、大群衆の諍いが起こっているのを目にする。興味本位でうっかり近づいたのがいけなかった、大群衆から放たれたアントニオの幼い娘が投石で頭を打ち、警官隊の発砲に巻き込まれる、流血の騒動に一帯は化す。
種明かしは:地元の雇われ農民たちが集まる組合が待遇改善をもくろみストを敢行していて、人手に困った大地主はシチリアからの一家をこれ幸いと雇った、組合員はこれを「スト破り」と受け取って抗議を起こした、という貧困が生み出す本当に救いのない構図。
暴動は大地主の邸宅まで近づく。大地主は農場を捨てて逃亡する羽目となる。 ぶっきらぼうだが、雇った人間への仁義はあるようで、シチリアの一団を近場の駅までトラックで安全に運んでやる。
南部より豊かな北部とはいえ、貧しいのは同じ。だから「来なければよかったのに…」の農場主の言葉が重い。

仕事探しの旅の挙句、炭鉱仕事以上の適職がないことに気づいた一家は、フランスにある硫黄の炭鉱目指して、冬の山を越えることにする。
途中でアントニオの妻が捨てた元鞘が現れ、今鞘(=アントニオ)と元鞘がシチリア式ナイフの決闘をする、余計な一幕を経過して、吹雪は容赦なく一家に襲い掛かる。
最後列に這う這うの体で付いてきたアントニオの父カルメロが吹雪の中道を逸れてしまい、一家が叫んで探すも虚しく、捨てて先に進むシーンが痛い。老いた父は、愛犬と共に息たえる。

犠牲者を振り返らず、奇跡的に山越えに成功する一家。いかにも昔の映画を感じさせる大芝居なモノローグのもと、これでハッピーエンド…かと思ったら。フランスの山岳警備隊に捕捉される。
睨み合い。
しかし一家が抱えていた赤子の眼差しが、警備隊の心を溶かし、彼らは見逃して、スキーで山奥へと去っていく。無言の礼を交わして、アントニオは炭鉱へ向かう旅路に戻っていく、これで映画は終わりだ。

いま見ると山田洋次の「家族」を思わせる一作。 ほんとうにそれだけだが、山田洋次の作品の根底には、生まれた土地のために社会の不平等に縛られる人々がいるのだなあ、と感じさせるに相応しい一作、それが「越境者」だろう。


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