早すぎた、女の子のためのえいが。 「午前中の時間割り」
今見ると、びっくりするほど瑞々しい、同時代でいえば「ひなぎく」に該当するような、女の子ムービーなのだ。逆に言えば、政治に揺れる、女のコどころかスケバン万歳、ウーマンリブ(笑)な時代の70年代初頭の日本で受け入れられる余地は、まるでなかった。
下村は、死んだ草子が残したフィルムを、掛けてあった保険金を利用して一本に繋ごうとする。
遠くのものを撮ったフィルム。自分自身のはだかを写したフィルム。見知らぬ男が写っている、少し気まずくなるフィルム。身近なものを撮った、驚きに満ちたフィルム。
編集を続ける中で、草子の足跡が徐々に明らかになる。どのように行く先々で長い夏休みを過ごしたのか、そしてどうして旅先で見知らぬ男に体を預けたのか、等。
草子がフィルムに残した記録は笑顔に溢れている。それは、見知らぬ世界をカメラで切り取りたい、という望みに託されたもの。
いや、それは
と証言される様に、どこか道化じみている。
じっさい草子は、男に体を預けた後、チャップリンに扮してみせるのだその鼻の下に線を引いた顔のまま、小高い山の上に登ってって、そのまま、ふっと飛び降りて、いなくなる。 カメラはその一部始終を目撃していた。
本作は、8ミリで撮られたカラフルな「記録」の像と、8ミリのように敢えてぼやけた像を結んで撮影されたモノクロな「現在=草子の謎を追う」像とを、意図的に混在させて編集させている。
8ミリによる、日光に透かしたビー玉の像、ぐるぐる回る覆いを被せた白熱灯の像は、少女が感性の赴くまま切り取った映像であり、だからこそ、その一部始終は実にときめいていて、その終わりは、実に、空しい。
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