「私タランティーノ大好き!」「即興だから、ダメ!」バキュン!_"Cecil B. the Cinema Wars"(2000)
“地上でもっとも破廉恥な人間”の座を巡り、考えられる限りの変態行為を繰り返すディバインと、マーブル夫妻の戦い:1972年の「ピンク・フラミンゴ」で一躍名をあげた“悪趣味の帝王”こと、ジョン・ウォーターズが、今度は公開当時のハリウッドに中指おったてた快作「セシル・B・シネマウォーズ」(2000年)より。
ポリティカル・コレクトネス叫ぶ人々はもちろん、それに異議申し立てる人々も、この作品を肯定できるか?観客の良識(笑)や表現の自由(笑笑)を徹底的に揺さぶってくる映画だ。
どんな映画かと言えば。
映画の国:アメリカの街並みを彩る映画館の入り口のカット・カット・カットに続いて、どこかで聞いたことがある名作の劇伴のサンプリングで「おッ!?」と思わせてから、物語は一気に下世話な方向へと向かう。
鼻持ちならない大女優:ハニーがリチャード・ニクソン夫人(パット・ニクソン)の泊まった一室から外に出る。仮にもファーストレディの品位を貶めるような下品な発言が矢継ぎ早に飛び出す、かっ飛ばす。
ハニーを迎えての試写会。心臓病で人工呼吸器に繋がれている少年を迎えてのチャリティーの目的も果たしている。だが、この初年、根っこはマセガキで、せっかくのプレミアステージでもブータレ、進行を務める中年女性の司会者を隙あらば蹴飛ばす、クソガキ。司会者のにこにこ顔は徐々にマジな顔へと変わっていき、最後にはキレて少年相手に「後で容赦せん」と言い放つ。
ハニーがステージに上がったところで、まさかの直接行動で誘拐するスプロケット・ホールズと愉快な仲間たち。彼らが投擲した火炎瓶のせいで舞台の上が大火事に。最初苦しがるが人工呼吸器のネジを開けてすぐに立ち直る少年と、呼吸困難になった挙句黒人ボディーガードに人工呼吸させられる女性司会者。見事な対比。
かくして司会者はお亡くなりになり、スプロケット・ホールズは誘拐の罪に加えて殺人容疑で追われる羽目となる…。
さて、スプロケット・ホールズのリーダーにして、彼自身が敬愛し名を付けているモデル同様の独裁者セシル・Bは、ハニーを誘拐して早々
と一見もっともらしい、しかし本質は「無理やり××するところから愛が生まれるさ」的なことをのたまうクズ野郎。
ふだんは自堕落にヤクをキめfxxkに溺れるこの一味、しかし、セシルが映画のネタを思いつくや否や映画製作の小隊へと早変わり。「映画のための禁欲!」と仲間同士の営みを禁じ、ベッドを使わず映画セットの上で寝ることを強い、なおかつ己の裁量で起床を強いる映画監督…というよりかは、ゲリラ戦士である。
なにせ、メリーランド映画協会(フィルムコミッション)が愚かにも、スプロケット・ホールズに対して挑発をビデオレターで行った報復措置として、映画協会のお偉方が集まる会場を、銃を持って襲撃するのだから。
議事堂を襲撃した2020年大統領選後のデモ隊真っ青の狂犬ぶりを発揮する正真正銘のテロリストたち。銃撃戦の中、1人の革命戦士が射殺されるも、残された仲間たちはアクションB級映画を上映中の薄汚れた映画館の中に紛れ込み、共感者たち、つまり彼らと同類の映画ファンたちに匿われて追跡をかわす。残された仲間たちは「映画への信仰」のため、それぞれの腕に焼印を押す(ハニー含む)。
全編こんなノリです。ギャングたちの愛車1997 Chevrolet Luminaも、特殊工作車両に見えてくる不思議。
つまりは、「いまの映画は詰まらん!」と一見もっともなことをいう映画ギャングたちが、しかし肝心かなめの自分たちの映画作りは遅々として進められず、他方で彼らを糾弾する世間様に対しては口よりも先に手が出て、世間様にひたすら迷惑をかけ続ける…というマジともギャグともつかない代物なのだ。これに喝さいを挙げるか、批判したくなるかは、貴方次第。ちなみに自分は、好きなほうです。
業界人…というよりは人間としてマトモな感覚を持っているハニーがツッコミ役。それはそれとして、セシル一味の超超低予算映画撮影現場でも一切手を抜かず、体当たり演技で狂ってみせるのが、さすがハリウッドの大女優だ。
とはいえ、彼らの映画愛は歪んてはいてもホンモノには違いない。半ばヒッピー当然のスプロケット・ホールズに対して、同じ映画作りに携わる立場からか、それともストックホルム症候群なのか、次第に共感を覚えていくハニー。他方で警察の包囲網が狭まる中でも、行き当たりばったりの行動を続けるスプロケット・ホールズの運命はといえば…。
この映画を通じて学べること。
20世紀末すでに、路上のゲリラ撮影や役者の即興といったハリウッドを一度よみがえらせたヌーヴェルヴァーグ的な撮影手法が、高度にシステム化・国際協業されたハリウッドにおいて、もはや時代遅れ・通用しないものになってしまった、ということ(21世紀には、他国もこれに追随するようになる、日本含む)。
「表現の自由」にこだわるがどこか思考がずれている、逆ギレしては他人に(言葉の)暴力をふるうことをも辞さない、X(旧Twitter)上に溢れている歪んだ愛の自己矛盾野郎たちが、昔から存在したということ。
2000年すでに過去の人になりつつあったジョン・ウォーターズが、飛ぶ鳥を落とす勢いのクエンティン・タランティーノに対して、同じ根っこから生じている!という仲間意識と半ばする、「何であいつは受けるんだ!」という複雑な感情を抱いていた、だろうということ。
以下、ギャング一味が映画館を襲撃、売店の女のコにハンズアップさせながら「好きな映画は何?」とセシルが問いかけた後の台詞から引用。