思い出踏みにじるナチどもに復讐を。フランス映画「追想」(1975)
第二次世界大戦中の1944年、医師であるジュリアンは、田舎に疎開させていた妻クララと娘フロランスをドイツ兵たちに惨殺されてしまう。ジュリアンは憎きドイツ兵たちに復讐するべく立ち上がり、古いショットガン1つでドイツ兵たちを殺害していく。
以上、設定は愛するものを殺された復讐という「狼よさらば」「コフィー」同様、70年代はやりのヴィジランテ映画の系譜なのだが、そこはフランス映画。一ひねり加えているのだ。
男は、妻娘を、先祖代々受け継いできた故郷の城塞へと疎開させた。自分は、後から向かう、愛している、そう挨拶を交わして。
その妻娘は、ドイツ兵の悪戯に殺されてしまった。それも、娘は撃たれ、妻は焼かれるという残酷な形で。すぐさま男は城塞と向かう。無念と後悔と呪詛に急かされて。
城塞には、そのままドイツ兵たちが居座っていた。多勢に無勢。それでも男は、「やつらを高く吊るしてやる」そう誓う。平和と愛が世界を救うものと信じている、そうとしか見えない温厚な人間が復讐する他ない事態に追い込まれる。それが何よりも哀しい。
男が身を隠しつつ、マジックミラー越しに、ドアの隙間越しに、今やドイツ兵たちが呑んだくれている城塞の小部屋を覗き込む時、今はもう戻らない「楽しかった時代の思い出」をも見つめている。
妻と最初に出会ったパーティ、娘が生まれた時、家族三人で海水浴に行った時、謝肉祭を親戚一同で楽しんだ時…。
楽しかった日々は最早決して戻ることはない。やつらを殺したところで死んだ妻娘は戻ることはない。
それでも、やらなくては前に進めないのだ。
ストーリーの進行が時に断ち切られるほど、何度も何度も記憶がフラッシュバックされる。それを側から見る我々は「またかよ…」とうんざりする。だが、男にとってはかけがえのない思い出に違いない。
倉庫から酒瓶を持ち出して、城の居間で馬鹿騒ぎをし、余興に映写機を持ち出し、男の妻の海水浴時のフィルムに嬌声をあげる、勝手にふるまうSSどもとの、見事な対比だ。
仕事人さながら、城塞の仕掛けと殺しのテクニックを使い、1匹1匹ドイツ兵どもを潰していく。
そして最後、全ての命令を下した司令官を、マジックミラー越しに念入りに焼き殺す。
司令官は怯える。焼かれて、のたうつ。もがく。そして、じきに動かなくなる。それでも彼は火炎放射器を止めようとしない。灰になるまで。
復讐が終わっても、彼に残るのは、男だけだ。
森の中の一本道、木漏れ日の中、妻と娘と3人で並んで自転車で駆けていく思い出がよみがえる。
今日はひとり:歩いて、元居る住まいへと戻っていく。耐えしのび、歩いていくしか、無いのだろう。あまりにも暗いラストだ。
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