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時代劇映画「ひとごろし」。 クールじゃない、弱虫毛虫の主演・松田優作。
村上透監督とタッグを組んで飛翔する前、松田優作が未だジーパン刑事を演じていたころ。「テレビ人気に肖って」主演した映画が存在する。
「あばよダチ公」「ひとごろし」「暴力教室」「龍馬暗殺」の4つだ。
後期の作品のようなドライでクールな感じはないけれど、どの作品にも優作らしさが見事に刻印されている。
今回は、このうち一番マイナーと思われる「ひとごろし」を紹介しよう。
原作は時代小説家・山本周五郎。
その早すぎる死で今や伝説的存在となったスター、松田優作が「太陽にほえろ!」の"ジーパン刑事"で注目を集めて以後の本格的な時代劇映画の主演作。松田優作の若々しくも激しく、かつユーモアな魅力が横溢する。対する武芸者には国際スターにして"霊界の広告塔"の丹波哲郎。さらに高橋洋子、五十嵐淳子の初々しい演技も魅力的だ。
スタッフ
監督: 大洲斉
脚本: 中村努
撮影: 牧浦地志
美術: 西岡善信
照明: 美間博
録音: 渡部芳丈
音楽: 渡辺宙明
原作: 山本周五郎
キャスト
双子六兵衛 松田優作
およう 高橋洋子
かね 五十嵐淳子
宗方喜兵衛 桑山正一
加納平兵衛 岸田森
仁藤昴軒 丹波哲郎
角川映画 公式サイトから引用
藩主によって見い出された剣豪・昂軒(演:丹波哲郎)は指南役の身分にあきたらず立身出世を目論む。家老の子息が馬に暴走され、そこを救った昂軒が、いよいよ野望を遂げようとした矢先、昂軒をよく思わない若い侍たちが夜半に闇討ちを仕掛ける。
その現場に割って入った、昂軒反対派の筆頭たる若手重役(演:岸田森)を、昂軒は一刀両断にしてしまう。
なんといっても存在感抜群の剣豪・丹波哲郎である。かつての主演作「三匹の侍」彷彿とさせる、槍の名人。いつも偉そうで、厳つく強気のサムライだ。
昂軒の兇状旅一本だけでも面白い作品ができそうだが・・・
残念ながら、主役は丹波ではない。
主役の松田優作は、後のイメージとは正反対の(そして主役にはおよそ相応しくない)卑怯で弱虫なサムライ。
どう卑怯か。それは原作冒頭で語られるところの
双子六兵衛(ふたごろくべえ)は臆病者といわれていた。これこれだからという事実はない。誰一人として、彼が臆病者だったという事実を知っている者はないが、いつとはなしに、それが家中一般の定評となり、彼自身までが自分は臆病者だと信じこむようになった。――少年のころから喧嘩や口論をしたためしがないし、危険な遊びもしたことがない。犬が嫌いで、少し大きな犬がいると道をよけて通る。乗馬はできるのに馬がこわく、二十六歳になるいまでも夜の暗がりが恐ろしい。鼠を見るととびあがり、蛇を見ると蒼くなって足がすくむ。――これらの一つ一つを挙げていっても、臆病者という概念の証明にはならない。それは感受性の問題であり、多かれ少なかれ、たいていの者が身に覚えのあることだからだ。
山本周五郎「ひとごろし」(一)冒頭から引用
そのくせ家の中では、妹・かねに対してエラソーにしてる。
優作が虫けらになりきっている。違和感持つ人もいるだろう、だが直に慣れる。
さて、前述の通り昂軒がひとごろしをして、上意討ちと相成る。
そこで誰を討手にやるか、という詮議になったが、相手が相手なのでみんな迷った。彼なら慥かだ、という者もみあたらないし、私がと名のって出る者もない。だからといって一人の相手に、人数を組んで向かうのは越前家の面目にかかわる、どうすればいいかと、はてしのない評議をしているところへ、双子六兵衛が名のって出た。人びとは嘲弄されでもしたように、そっぽを向いて相手にしなかった。六兵衛は怯えたような顔で、唇にも血のけがなく、躯は見えるほどふるえていた。よほどの決心で名のり出たのだろうが、名のり出たという事実だけで、もう恐怖にとりつかれているようすだった。
――よしたほうがいい、と一人が云った。返り討にでもなったら恥の上塗りだ。
山本周五郎「ひとごろし」(一)冒頭から引用
太字の部分、松田優作はどもりの様に口に言葉を含みながら、買ってでる。
妹にこのことを告げる。 「ああ、ついにカンニングしたか。」(by のび太に100点満点のテストを見せつけられたドラえもんの率直な反応)といった反応。
昂軒を追いかける六兵衛。隙を見つけて斬ろうという魂胆。
ヘタクソな尾行は、あっさりバレる。
「その顔には見覚えがある」と昂軒は編笠の一端をあげ、ひややかな、刺すような眼で、じっと六兵衛を睨にらんだ、「――うん、慥かに覚えのある顔だ、きさま討手だろう、おれのこの首が欲しいのだろう」
六兵衛は逆上した。全身の血が頭へのぼって、殆んど失神しそうになった。
「ひとごろし」六兵衛はわれ知らず、かなきり声で悲鳴をあげた、「誰か来て下さい、ひとごろしです、ひとごろし」
そして夢中で走りだし、走りながら同じことを叫び続けた。どのくらい走ったろうか、息が苦しくなり、足もふらふらと力が抜けてきたので、もう大丈夫だろうと振り返ってみた。白く乾いた道がまっすぐに延びてい、右手に青く海か湖の水面が見えた。道の左右は稲田で、あまり広くない街道の両側には松並木が続き、よく見ると、道の上には往来する旅人や、馬を曳ひいた百姓などが、みんな立停って、吃驚びっくりしたようにこっちを見ていた。――十町ほど先で道が曲っているので、おそらくまだそっちにいるのだろう、仁藤昂軒の姿は見あたらなかった。
山本周五郎「ひとごろし」(二)から引用
太字で示した所、文字通り、勇作が疾走する。
さて、六兵衛はどうしたものか、と途方に暮れる。臆病な自分が憎くなる。ふと、街道を行く二人組の旅人の噂話が耳に入る。誰某が誰某を殺したという一方の話、ひどく怯えるもう一方の話。
「そうだ、世間を味方にすれば良い。」
即ち、昂軒の前で「ひとごろし」と叫んでやるのだ。深い事情を知らない土地の者は、この浪人者を恐れる。自尊心の強い、人に良い格好を見せたい昂軒には、たまったものじゃないだろう。やつを精神的に打ちのめしてやるのだ。
六兵衛は我が意を得る。
さあ、勝負だ。
稲田にはさまれた道の右側に、小高くまるい塚のようなものがあり、そこだけひと固まりに松林が陽蔭をつくってい、その陽蔭に小さな掛け茶屋があった。あの茶店へはいるなと、六兵衛は思った。昂軒はその茶店へはいり、笠をぬぎ旅嚢を置いて腰掛けに掛けて汗をぬぐった。六兵衛はそれを見さだめてから、十間ほどこっちで立停り、大きな声で叫びたてた。
「ひとごろし」と彼は叫んだ、「その男はひとごろしだぞ、越前福井で人を斬り殺して逃げて来たんだ、いつまた人を殺すかわからない、危ないぞ」
六兵衛は三度も続けて同じことを叫んだ。小説としてはここが厄介なことになる。その叫びを聞いて昂軒が立ちあがるのと同時に、茶店の裏から腰の曲った老婆と、四十がらみの女房がとびだし、小高くまるい塚のような、円丘のほうへ逃げてゆくのが見えた。
「黙れ」と昂軒が喚き返した、「おれにはおれの意趣があって加納を斬った、おれは逃げも隠れもしない、北国街道をとって江戸へゆくと云い残した、討手のかかるのは承知のうえだ、きさまが討手ならかかって来い、勝負だ」
六兵衛はあとじさりながらどなった、「そううまくはいかない、勝負だなんて、斬りあいをすればそっちが勝つにきまっているさ、私は私のやりかたでやる、この、ひとごろし」
山本周五郎「ひとごろし」(三)冒頭から引用
六兵衛=松田優作の屈折した執念(それは「どもり」で暗示されていた)が、「ひとごろし」という言葉となって、噴出する。
「ひとごろし」この言葉の前には、丹波の至極ごもっともな言い分も、霞むばかり。
このあとの展開はくどくど書かない。 昂軒と六兵衛の根比べだ。
六兵衛は昂軒のあとを何処までもどこまでも追いかけて、隙を見つけては「ひとごろし」となじる。他方、昂軒は六兵衛を合法的に斬る(=果たし合いを行う)名分を探す。
一見すると昂軒に不利だが、六兵衛も又いつ斬られるか、神経衰弱ぎりぎりの勝負。じりじりとした82分間から、目が離せない。結末は、お楽しみに。
テレビドラマ一本槍の監督の起用から鑑みても、予算はおそらく二時間ものテレビ時代劇と同レベル:その乏しい予算の中で製作の映像京都(市川崑や勝新太郎の時代劇で知られた)は奮闘している。西岡善信手掛けた美術に注目あれ。
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