「人々は我々を殺人者と呼ぶだろう。」「戦争は殺しだ!それだけだ。」"Micael Collins"(1996)
アイルランドは霧と優しい緑なす丘の国。バイオリンや古謡のひびきにさんざめく丘、イェーツやオファオレンが逍遥して誌を読み、音楽を作った丘のある国。ダブリンは親しみやすい酒場が溢れ、そこでは平和を愛する温和な人々が泥炭の火に頬をほてらしスタウトの酔いを楽しみながらジョイスやオケーシーの作品に浸り切る国。
そんな英国人の呑気なイメージの傍らで、1849年の大飢饉の時草を食べ口を緑色に染めて死んでいった人々や、1916年の独立戦争でイギリス軍のために絞首刑にされたり銃殺されたりした人々の亡骸と涙が、一切の優しさを許さず、その大地を埋め尽くした。アイルランドは数百年にわたりイギリスによって簒奪されていた国だった。(決して美化するわけではないが、少なくとも計画的な飢饉は起こしていない点で)日本による台湾あるいは朝鮮統治がまだマシなほうだった、と思えるくらいに。
アイルランドは、1919年に、英国からの独立戦争を遂に起こす。 鎮圧に行き詰った英国は、1921年に、北アイルランドの六州を除外したイギリス帝国内の自治領「アイルランド自由国」(Irish Free State)を提案し、翌年、その条約が批准された。 しかし、六州を残した「アイルランド自由国」を巡って、条約賛成派と反対派との内戦が勃発した。
この嵐の時代を駆け抜けた、のちに「IRA」として知られる「アイルランド義勇軍」の創設者コリンズの激しくも短い生涯を描く大作「マイケル・コリンズ」(原題:"Micael Collins")より。
あらすじはこうだ:
1916年、イギリスからの独立を目指すアイルランド義勇軍は蜂起したが鎮圧された。ここから教訓を得た青年革命家コリンズは巧みなテロ活動による市街ゲリラ戦を展開、イギリスを苦しめる。ついにアイルランドの一応の独立は実現するが、コリンズの結んだ妥協的和平を嫌ったデ・ヴァレラら元同志たちはコリンズと内戦に突入、コリンズは苦悩のうちに31年の短い生涯を終えるのだった…。
冷酷なゲリラ作戦家として彼を描きながら、一方で平和を愛し冗談を好み恋にも熱を上げる普通の青年:コリンズ。その冷酷さは、サッカーのプロリーグの試合の場に日中堂々装甲車を乱入させるシークエンスに現れている。あっけにとられる観客と選手は、しかし何事もなかったかのように試合を続けるも、突如としてストライカーの胸元に装甲車は機関銃を打ちこむ。無差別テロのはじまり。なんの主張もなく撃ち始めるのが、恐ろしい景色。
マイケル・コリンズ演じる例によって暑苦しいリーアム・ニーソンに対し、コリンズと対立したデ・ヴァレラ演じるわれらがアラン・リックマンは眼鏡をかけて七三分け。リーアム・ニーソンに全く引けを取らない、冷徹な革命家を演じる。闇堕ちしたスネイプ先生、といった淡々とした感じがポイント高し。
この二人の対話から引用。冷徹なデ・ヴァレラとアジるコリンズの見事な対比。
長く続いた内戦のち、1949年4月にアイルランドは、北の六州をイギリスに残したままイギリス連邦から離脱し、「アイルランド共和国」(Republic of Ireland)を設立させる。しかし、北アイルランド問題はその後も尾を引き、北アイルランドの英国への残留を主張する右派民兵組織・アルスター義勇軍(Ulster Volunteer Force - UVF)がテロ行為を行う一方で、反英武装組織であるアイルランド共和国軍(Irish Republican Army - IRA)も北部六州の奪還を試みるべく過激な運動を展開していき、IRAが無期限停戦宣言をしたのは、1994年になっての事だった。
「危険な」「貧しい」「テロリストの」国としてのレッテルを張られたまま、アイルランドの苦難は、20世紀じゅう続く。本映画を経た21世紀を迎えるまで。