
ルーツ
昨日、念願のパソコンを操作するための手のひらスイッチをはじめとした主な部品が揃った。
お昼のサポーター(ヘルパー)のネット関係に詳しいKくんに設定を頼む予定で、急いで購入することになった。
ところが、手順通りに進めてもうまく作動しなかった。
Kくんの見立てでは、ぼくが使っているタブレットの差しこみ側の不具合か、変換アダプターが不良品なのか、それ以外は考えられないらしかった。
ぼくは、ミミズのフンにも足りないちいさな賭けに出ることにした。
Kくんに財布の数枚しかない千円札を預けて、駅前の電気店へ走ってもらった。
ベッドの上で、タブレット側の不具合ではないことを祈りながら。
しばらくして、Kくんが戻ってきた。
さっそく、取り換えてみると、作動スタートを報せる機械音が鳴った。
これで五百円足らずの出費ですんだ。
当然のことながら、取り寄せた変換アダプターは指定ゴミ袋の中へ放りこまれることになった。
ぼくは設定の仕上げに集中する彼の背中を眺めながら、いつかコンビニで出くわした情景を思い出していた。
そのとき、ぼくは店の奥にある飲み物のコーナーへ向かって進んでいた。
スナック菓子とカップラーメンの並んだ通路を直角に曲がると、飲み物の棚の前へ出る。
内輪差で商品にかすることもなく、予定通り飲み物を選んで店員にレジまで持って行ってもらうつもりだった。
ぼくの目の前には、バイトらしい若い店員が商品の入れ替えをしていた。
棚のまん前に陣取っていたので、ほしい飲み物があるかどうかもわからなかった。
一メートルぐらいまで車いすが近づいても、一~二度こちらに目をやっただけで、彼は無表情に自分の与えられた仕事をこなしていた。
疲れた表情ではなかった。慣れない手つきでもなかった。
ただ、彼に表情の起伏はなかった。
腹が立ったわけではなかった。苛立ったわけでもなかった。
普段、雨宿りなどで親切にしてもらっている店だったので、方向転換して違う通路から惣菜コーナーで商品を選んで、いつものようにおカネの支払いと背もたれの手すりに袋をかけるところまでお願いして、ぼくは帰路に着いた。
幼いころ、ぼくは店の帳場に寝かされて、お客さんとやり取りするおふくろの背中を見ながら育った。
選挙好きで、女好きの祖父の尻ぬぐいをさせられる羽目になったおやじは、家をあけて遊び呆ける毎日だったようだ。
本家の養子は、かなわなかったのだろう。
店を守る、家を守るおふくろと、バイトの若者を同じ土俵に上がらせるのは見当違いな話かもしれない。
結局、無理を通して命をすり減らしてしまったひとりと、おそらく小遣いのためにコンビニに立つひとりとは、どちらが幸せで、どちらが不幸かなどと秤にかけるのは難しいだろう。
ただ、働いて得たおカネの行方は別にして、一日の何時間かを割くことに対して、もっと想いを重ねてほしいと感じた。
「不良品」として一度も使われないで、ゴミ袋の中に入ってしまった変換アダプターは、どんな一人ひとりが携わる工程で捨てられる運命を背負うことになったのだろうか。
どこの国で生産されたのだろうか。
どんな人の指示によって、どんな人が関わって形になったのだろうか。
五センチ足らずの変換アダプターにも、原材料の部分まで遡ると、多くの人が携わり、その背景にはさまざまな暮らしぶりがひしめき合う。
画一化と多様性の共存はあるのだろうか。
もう自分の足もとを守るしかないのだろうか。
不良品の向こう側を視野に入れる力を持ちたい。