ふわりとにぎる
昨日の午後から、ずっと肌寒く感じる。
遅めの昼ごはんを食べて、短めの文章を投稿して、もう一本ずっと後まわしにしているテーマを書きはじめて、気分が重たくなって、すぐに投げ出して、泊まりのサポーター(ヘルパーさん)がやってきて、お昼の若者と三人で談笑のような引継ぎをして、おかずだけの晩ごはんをすませて、YouTubeで十年前の高校ラグビーの決勝をぼんやり眺めて、寝る前のトイレ(オシッコ)を出しきって、四苦八苦しながら壁際に寝返りをうたせてもらって、灯りを消すようにお願いをして、昨日が昨日になって通りすぎていった。
こんなふうにダラダラと書きたくなるほど、どんよりした一日だった。
ときどきつぶやいているように、どうしても自分自身の体験や想いをまとめておきたいテーマがいくつかあって、本心を語るにはちょっとした覚悟が必要だから、安易に言葉を連ねたくはない。
ただ、体調がよくて、集中力が保てる一日に安心して入力を頼めるサポーターが当たるかというと、それは運にまかせるしかない。
せっかく、昨日もエースが登板する日だったけれど、くやしいことに「どんより」したままだった。
最近の心の「曇り空」には、爽やかなはずの秋が深くリンクしている。
幼いころから、ぼくは「秋」が好きではなかった。
まずイメージ的に書けば、秋は質感をもった寂しさが横たわっている気がしてならない。
街路樹が色づいたり、たくさんのツバメが連れだって空を飛んでいたりすると、その先に訪れる寒さに気持ちがすくんでしまう。
真剣に、寒さへ突き進む毎日はかなわない。
ぼくの体には、冬将軍の到来よりも木枯らし一号のほうが堪える。
作業所へ顔を出すくらいなら、スーパーへ買い出しに行くくらいなら、公園で風に吹かれるぐらいなら、一週間ほど前まではTシャツと短パンで平気だった。
今日の空気だと、明日からトレーナーを着なければならない。
もう半月もしないうちに、靴下を二枚重ねで履かなければならない。
十一月に入ると上着も必要になってくるし、手袋やネックウォーマーや身につけるものがどんどん厚くなっていく。
ふつうの人と違って、チャッチャと着替えられるわけではない。
寒くなると硬直もキツクなるし、それなりの時間を要さなければならなくなる。
さらに、厚着になると、意思とは無関係な動きを抑えるための車いすのベルトに腕を通しにくくなってしまう。
Tシャツと短パンで過ごせる季節だと、慣れているサポーターでまちへ出る準備に二十分あれば完了できる。
それが真冬になると、十五分はプラスしなければならなくなる。
家へ帰ってからも同じようなものだから、時間のロスは大きい。
秋真っ只中の毎日のややこしさもあって、衣服の調整よりも横になっているときに「何を掛けるか、掛けないか」がほんとうに面倒くさい。
たったいま、ぼくはブリーフとTシャツにタオルケットをお腹まで掛けている。
文章を書いていて、入力するサポーターに言葉をハッキリと伝えようとすると、汗ばみそうになる。
かといって、タオルケットを取ってしまうと、なんとなく肌寒い。
眠りに着いても、暑くなったり、寒くなったりでサポーターを呼ぶことも多くなる。
「う~ん…」
冬はぼくの苦手な寒さによって、白菜や大根といった野菜に甘みが加わる。
食通のサポーターと鍋をつついて、談笑するひとときは楽しめなくなってしまった。
それでも、冬だから旨くなる食材や献立は、丹波の夜空の星のようにとまではいかなくても、簡単に両手の指ぐらいは挙げられる。
枕もとの白い壁を見つめながら、集中力を高めようとしても、ぼくにとって秋に旨くなる食材はサンマしか思いあたらなかった。
柿は熟したスプーンで食べるようなものが好きだし、なすびといっても夏と秋の違いはよくわからない。
そういえば、クリスマスやお正月のほんわかした思い出も残っているし、梅や水仙が咲きはじめると、春が実感できる。
慣れない人が介助すると、とたんに硬直が頂点に達してしまうぼくだから、入院するような状況は絶対に避けたい。
ぼくは、人一倍の寒がりだ。
「換気かぁ…」と、気が重くなる。
それでも、絶対に、絶対に、絶対に、入院だけは避けたい。
これこそ、本音中の本音に違いない。
最後に、力が入ってしまった。
けれど、ダラダラした始まりから、どこかで気がついたら、右手を軽く握っていた。
掌にむかって折られた親指に、柔らかな力が伝わっていた。
心地よかった。
それにしても、やっぱり秋は好きになれない。