「根っこの部分」で語り合いたい#67
こんにちは。わくわくらすです。
生きていると「この人とは合わないな」と思う人が一定数存在すると思います。もちろん私にもいます。この合わない人と適切な距離をとれる関係であればいいのですが、同じクラスメイトだったり、仕事で近しい上司や同僚だったりしたら、なかなか難しいものだと思います。
こういった合わない人とどう接するかといったノウハウ本はちまたにあふれています。私も合わない人との関係に悩んだ時に10冊ほど読みましたが、自分が納得する答えはありませんでした。
私は教員をやっていたころ、どうしても合わない同僚がいました。どんな部分が合わなかったのかというと、生徒指導の仕方や教師としての在り方が私にとっては受け入れがたいものでした。というのは建前で本音は人として尊敬できる部分があまりなかったからです。
でも教員を辞めて、ふとした時に「どうしてあの人は教員になったんだろう」と思いました。
そういえば、あの人とは必要最低限の会話だけで、そういったパーソナルな部分を話したことがありませんでした。もしかしたらあの人にも何か自分の軸や信念のようなものがあり、それに従って働いていただけなのかもと思ったときに「自分と変わらないのかもしれないな」と感じました。今となっては聞く機会もないと思います。
ある本にこんなことが書かれていました。
「方法レベルで対立はあっても、根っこの部分の理解はあった方が良い」
教育に関する本に書いてあった一文です。教育の世界では教育論、指導論での対立は日常茶飯事です。そんな中で方法に対立はあっても、「なぜ教師を目指したのか」「どんな子どもに育ってほしいのか」「教師として子どもに何を伝えたいか」といった教育を志した根っこの部分については対話をした方が良いとありました。
あなたは同じ職場の人に「どうしてこの職に就こうと思ったのですか」と聞いたことはありますか?よほど関係の良い人でもなかなか聞くことはないと思います。合わない人ならなおさらです。そういえば私は一度も聞いたことがありません。
仕事のやり方や接し方といった部分では合わなくても、もしかしたら根っこの部分では通ずるものがあるかもしれない。そんなこと思いました。
お読みいただきありがとうございました。
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