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「テレビっぽさ」と戦後日本

今日はテレビについて書きたい。フジテレビの会見を昨晩少し観て、久しぶりにテレビについて考えたことがあるので、それを書くつもりだ。本題ではないので、先に僕の見解だけ書いておくと昨晩の会見については明らかに「トカゲのシッポ切り+朝まで会見で同情を買って幕引き」というのがフジテレビの狙いで、この程度のことを理解していない記者が多すぎると感じた。

僕は、日枝久以下の管理職は全員辞任し、外部に買収されて「フジテレビ」の社名をなくしてしまうことがもっともよい落とし所だと思う。そうすることではじめて、いわゆる「JTC」的で「テレビ的」な「体質」を一層しながら、かつ長期的にはこれまで積み上げてきた制作のノウハウをドブに捨てず、かつ海外市場やインターネット市場に「開く」ことで、活かしていくシナリオができると思う。

さて、その上で僕が今日考えてみたいのはあの「ギョーカイ」に巣食うどうしようもない「体質」のことだ。僕の考えでは、中居正広の事件というか彼のような人物が(すでに本人が認めている範囲でも、かなりの加害があったことは明白だろう)野放しになっていたのは、あの「ギョーカイ」の「体質」のようなものが原因だからだ。

フジテレビが80年代に「面白くなければテレビじゃない」をキャッチフレーズに快進撃を始めたことは、広く知られている。今日の芸能界ムラがあり、そのムラの人間関係をベースにした「いじり」があり、その「内輪」的な文脈を共有することで視聴者が自分もその「イケている」仲間なのだと錯覚する……このやり口(僕は微塵も面白いと思ったことはないけれど)こそがここでいう「テレビっぽさ」の本質だ。

これは僕が加藤典洋『敗戦後論』的な歴史認識問題へのアプローチに賛成しきれない理由でもある。彼はメッセージの内容と同様に「語り口」を重視することで、イデオロギーに依存した思考停止を回避しようとする。

これはトップダウンの動員から人間を自由にするためには有効な手法だ。しかし、日本的なボトムアップの「空気」に対してはどうだろうか。むしろこの「語り口」「ノリ」こそが、人間を思考停止にして、外敵や共同体の周辺にいる弱い人たちを踏みにじってマジョリティの自分たちが安心して気持ちよくなる回路を醸成するのではないか。(糸井重里のXでの発言が、「ああなって」しまうのも同じメカニズムだ。)

要するに、ここで差別や歴史認識と言った人間の尊厳にかかわるような問題を「語り口」でマジョリティの動員に成功したほうが勝つ、というゲームにしてしまうのは、まさに「みんな楽しんでいるんだから、空気読めよ」と飲み会でいじられている人間が抵抗の声を上げると周囲から指弾される昭和の日本社会を拡張してしまう道だと僕は思うのだ。

僕は立教大学で10年以上メディア論の授業を担当してきたが、そこでよくバブル期のフジテレビのバラエティの動画を見せていた。それは芸人が女子アナを「いじる」動画で、今見るとただのハラスメント以外の何物でもなく、いじられたアナウンサーの女性は泣きそうになっているのだがスタジオの芸人たちは(そしてそれを観ている視聴者も)ゲラゲラ笑っているのだ。この「体質」こそが、問題の本質なのだ。

要するに、「イケている」俺たちの「強さ」を示すために、立場の弱い人間をいじめて、そしてその場にいる人々はゲラゲラと笑って自分たちもその「強い」「多数派の」側にいると確信して、気持ちよくなる。それがテレビ的な「面白さ」の核にあるものなのだ。バラエティ番組や、ワイドショーでは特にその傾向が強い。何度か書いているが、僕がワイドショーのレギュラーをやっていたときに、毎週のようにスタッフと喧嘩していたのは、彼らが創るVTRのかなりの割合がこういった「いじめ」的なものだったからだ。失敗した人間や、目立ちすぎた人間を袋叩きにして、スタジオのコメンテーターと視聴者のSNSアカウントで袋叩きにして、嘲笑い、自分たちは「まとも」で「強い」「多数派」だと感じていい気分になるのだ。そしてそれを生放送中に指摘すると「加藤さんがまとめようとしているのに余計なことを言うな」「不愉快だ」と僕が「炎上」するのだ。

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僕はもはやFacebookやTwitterは意見を表明する場所としては相応しくないと考えています。日々考えていることを、半分だけ閉じたこうした場所で発信していけたらと思っています。

宇野常寛がこっそりはじめたひとりマガジン。社会時評と文化批評、あと個人的に日々のことを綴ったエッセイを書いていきます。いま書いている本の草…

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