自己啓発から冷笑へ
さて、今日は感覚的な話をしたい。しかしたぶん、大事なことだと思う。本当に体感的なもので申し訳ないのだけれど、2010年代に箕輪厚介という固有名詞に象徴される、若手ベンチャー企業家による自己啓発本によって踊らされた世代が40歳近くになり、いわゆる「中年の危機」を迎えた結果(箕輪さんやその周辺の人々が慎重に政治的なものと距離を置いているのとは対称的に)言葉の最悪な意味において「政治化」しはじめているように思うのだ。それも、よりにもよって……というか、まあ、今日のSNS言論状況を考えれば当然そうなるわけなのだけれど、後出しジャンケン的に失敗した方、弱い方を批判して「オレ、現実分かっていますから」と自分を強い、賢い側だとアピールする「冷笑系」に流れる傾向が強い。いや、本当に彼(男性に目立つ)が「強く」「賢い」のなら、とっくに起業とかを「成功」させて何者かになっているはずなのだけれど……という意地悪なツッコミはさておき、みなさんのタイムラインにもそういう人がいないか、探してみるといいと思う。
つまり、2010年代をビジネス芸人系自己啓発にハマってすごした30代(特に男性)が、世界を変えられなかった自分を誤魔化すためにリベラル偽善批判でガス抜きする冷笑おじさんになっている……というわけだ。これは正直って、つらい。そこまでして、SNSでイキって「強い」自己像を維持したがっているのが、本当につらい。しかし彼らの「そうならざるを得なかった」環境を度外視して、ただ批判しても不毛なので、ここでは「そもそも」のレベルから考えてみたい。
まず、最初に緩和しないといけないのは、SNS上のパフォーマンスで自分を強く、賢く見せたいという欲望だ。
人間、多かれ少なかれこういった欲望は抱いてしまうものだと思うけれど、このタイプの人は、「SNS上でイキる」という行為の「コスパ」が良すぎて中毒になっているのが問題だ。それが自己啓発本とかにハマって「圧倒的成長を感じる」とかつぶやいているうちはまあ、無害だったのだけど、「政治」に目覚めて陰謀論の拡散とかに手を染めるようになると社会へのダメージが大きい。イキり系のキャラ以外で、納得してもらう精神的な成長のようなものが要するにここでは必要なわけで、そのための「ソーシャルな」取り組みにどのようなものがあるのか……というのを最近良く考える。
彼らが「冷笑」を選ぶのは、前述したようにおそらくそのコストパフォーマンスの良さにある。不利で弱い側が、失敗するのを待ち、「やっぱりこいつらはダメだった」と後出しでバカにするのは、他のどの立場よりもその人の能力を問わず可能な「イキり」かただからだ。
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u-note(宇野常寛の個人的なノートブック)
宇野常寛がこっそりはじめたひとりマガジン。社会時評と文化批評、あと個人的に日々のことを綴ったエッセイを書いていきます。いま書いている本の草…
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