なぜ「デジタル」ネイチャーが「マタギ」につながるのか――『マタギドライヴ』の旅 #2
さて、今日は前回に続き、『マタギドライヴ』のための阿仁(打当)への取材を振り返りたいと思う。
僕たちはまず古い友人である秋田公立大学の石倉敏明さんに、マタギの発祥の地である阿仁への取材を考えているのだと相談した。
僕たちがこの時点で危惧していたのは、東京の情報産業やメディアの関係者が、ロマンチックな外部を求めて秋田の中山間地域の文化を見物に来る……といった図式に嵌まらないことだ。僕はもう何年も、この『マタギドライヴ』というプロジェクトにかかわっているので、落合君がひとりの表現者として、マタギというモチーフに惹かれていることを知っている。しかしNewsPicksやNEWS ZEROでしか彼を知らない人は、これを意外に思うだろう。
そもそも落合君はそのキャリアの中で何度も国外(具体的にはアメリカ)に活動拠点を移す機会があったはずで、そしてそれを「選ばなかった」人間だ。その理由はいろいろあるのだろうけれど、僕から見ればその一つは彼がこの列島を足場にものを表現することに惹かれていたからだ。
実際に彼のこの数年のアーティストとしての表現活動の足場の一つが飛騨であり、そして個人的に彼の口から雑談の中でもっとも多く発せられた固有名詞は柳田國男と柳宗悦だ。柳はものは「つくる」のではなく「生まれる」べきだと述べていた。これは民藝運動が官製の「美術」という制度への異議申し立てであったことに起因する。つまり作家がその自己「表現」として「つくる」美術には獲得できない力が、暮らしの必然の中から「生じて」くると考えた。要するに、アーティストとしての落合陽一は生成AIが前提化する社会を見据えて、この「生じる」という回路の再評価を考えているのだ。
しかし、こうした落合陽一の側面を強く認識しているのは彼の言動を熱心にフォローしている人か、僕のように表現者としての彼と仕事をしている人間だけだろう。この取材も、ボタンをかけ違えば、東京の情報産業のプレイヤーが地方の山村を興味本位で荒らしにきたように誤解されてしまう。僕も中川さんも、石倉さんもそのことを危惧した。プロジェクトはかかわっている全員が幸福にならないといけない。僕はそう考えた。
石倉さんはそこで、一人の元教え子を紹介してくれた。それが前回に少しだけ触れた永沢碧衣さんだ。
彼女の出身は秋田県南部の横手市で、地元の猟友会に所属しながらそこからマタギの伝統の残る阿仁にも通い、山に入る生活をしている。そしてその体験をモチーフに絵を描いているのだという。僕は石倉さんからその名前を聞いて、インターネット上に公開されている彼女の絵の画像をいくつか見た。不思議な、良い意味で居心地の悪さのようなものを感じさせる絵だと思った。人を寄せ付けない崇高なものと、惹きつける美しいものが同居したその世界は、おそらく彼女が山々の中で感じているものなのだろうと想像した。
永沢さんは、僕たちの相談に快く応じてくれ、問題意識も共有してくれた。そして何回かの打ち合わせのなかで僕たちの取材対象は3つある阿仁の集落のうち、打当に決めた。
理由はいくつかあるのだけれど、最大の理由は、その集落では永沢さんをはじめとして余所の土地からやってきた若い世代たちが盛んに活動していたからだ。それがなぜなのかは、本人たちも明確には分からないという。しかし、そこ(打当)には、なぜか永沢さんの同世代ーーほぼ同い年のーー若者たちが4人も同時期に集まり、マタギ文化にコミットしていた。僕は思った。その土地には、あるいは土地に根ざした人の暮らしには、若者たちをこのタイミングで呼び込む必然がある。そこに落合陽一という表現者を連れていくだけでも、価値はあるのではないか。そう思ったのだ。
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u-note(宇野常寛の個人的なノートブック)
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