陰謀論を用いた情報戦が常態化するリスクについて
先日、音喜多駿との対談を収録した。話題は兵庫県知事選挙、先の衆院選、メディアと民主主義の関係、これからの市民運動やシンクタンクの在り方……など多岐に渡ったのだけど、その翌日に音喜多さんのXの投稿を観て、少し「あれっ」と思ってしまった。
たしかに、彼は収録時に斎藤元彦に同情的な立場ーー「そもそも」の問題を煽ったマスコミが一番悪いーーという立場で話していた。しかし僕の考えは仮にそうだとしてもそのカウンターとして立花孝志が今回行ったような陰謀論の流布などの行為は、倫理的に一発アウト(マスコミがいくらダメでも、それに陰謀論の流布で対抗してしまうのでは、まったくマスコミを批判する権利はない)だし、その先に待っているのはお互いにデマを流し合う情報戦の泥沼で、結局行き着く先は立場にかかわらず悪徳広告代理店的な業者(というかプラットフォーム)以外全員が「損」をする(そして、民主主義は機能しなくなる……)という「不幸な未来」だということだ。
この分析については、別に斎藤支持/不支持と関係なく評価できるはずで、音喜多さんもここについては大枠で同意してもらった上でいろいろ議論していた……つもりだったのだけれど、この投稿を見ると、斎藤元彦派の支持したストーリーを陰謀論(検証が不十分な情報)とすることそのものに疑問がある、という立場のようにも読めるのだ。
そして僕はこのときすぐにハッとした。これこそがSNSの煽る「分断」なのだ。
反左翼色の強い自分の支持者に向けて書くと音喜多さんもどうしても表現が強くなってしまうのかもしれないし、対面の会話では合意点を探ろうとしながら話しているのに対し、書き言葉では立ち位置をより鮮明にしようという(無)意識が働いているのかもしれない。だからここで、ウッカリ「ロクに検証されていない情報=陰謀論を「アリ」にしてしまうのか」と彼を「詰める」という行動に直情的に出ないようにしよう、と僕は思ったのだ。それは、なあなあで流すいうことではなくて、このまま突っ込むとお互いの支持者に対してアピールするインセンティブが高い状況下での泥仕合になる(過激化する)、ということが見えた瞬間に、どうすれば建設的な対話ができるのかを考えはじめる方向に切り替えたのだ。
年末恒例の渋谷ヒカリエのイベントでは、このスタンスから、しっかり、たっぷり議論の続きができたらと思う。
とにかく、大事なのは決して「黙らない」ことだ。なあなあで流して、空気を読み(糸井重里的に)「黙る」というのは、もっとも愚かな行為だ。しかし、ここで相対的にリベラルな(まあ、ガチの左派は少ないだろうけれど)僕の読者に音喜多駿を極悪に演出して攻撃する……という選択肢は絶対に取ってはいけないと感じたのだ。
僕と彼とでは、社会保障改革や労働関係、軍事外交関係ではかなり近い立場にあるが、万博(笑)や天皇制への評価など、決定的に対立するところも少なくない(やはり、相対的には彼より僕のほうが左派寄りなのだと思う)。しかしその違いを踏まえた上で、ちゃんとお互いリスペクトを持って議論するという姿勢が、今の時代だからこそ大事だと思う。これは優等生的なポジションを取りたいというのではなくて、単に「こうしないと(プラットフォームの運営者以外)全員損をするルートに入るから」だ。これは絶対に忘れないで欲しい。
ちなみに、僕はこのSNSポピュリズムに対する緩和策のなかで、割と有効だと思うのが「人ではなく政策を選ぶ」だ。
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u-note(宇野常寛の個人的なノートブック)
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