「ムジナの庭」と事物のコレクティフ(『庭の話』 #4)
昨年末から僕が『群像』誌で連載している『庭の話』を、数ヶ月遅れで掲載しています。今回載せるのは第4回目です。3万字ある初回と2回目はいま購読をはじめると全部読めるように設定し直しておいたので、これを機会に購読をよろしくお願いします。
こちらは前回(第3回)です。
1.「社会の多自然ガーデニング」を目指して
前回はジル・クレマンの「動いている庭」とエマ・マリスの「多自然ガーデニング」という二つの概念を紹介した。これらはそれぞれ作庭と環境保護についての思想的なコンセプトを表す言葉なのだが、これらを抽象化することは人間と人間外の事物(この場合は自然環境)との関係について、大きな示唆を与えてくれる。常に動き続け、複雑化を続ける人間外の事物の生態系に触れることの価値を、クレマンもマリスも疑わない。しかし、そのためには人間がこれらの事物の生態系に介入することの必要性を彼らは主張する。自然物の変化のサイクルはときに人間の一生には長すぎ、人間の認知には短すぎる。そのために、その生態系の変化のもたらす多様さを人間が受け止めるために、人間の介入(作庭)が必要なのだ。
そして、この連載ではこの現代的な自然観の延長に社会の設計を考えたい(社会の多自然ガーデニング)。今日の情報社会においてはSNSのプラットフォームの提供する相互評価のゲームが支配的になることで、そのゲームのプレイヤーである人間たちはボトムアップの全体主義を形成し、多様性を自ら放棄している(実空間でのコミュニケーションも大きくその影響を受けている)。人間は、人間間の相互評価のゲーム(承認の交換のゲーム)を内破するために、人間間の事物とのコミュニケーションを強化する必要がある。それが「プラットフォームから、庭へ」という本連載のキャッチフレーズに込められた意図だ。そして、そのための知恵を、人間外の事物とのコミュニケーションの専門家である庭師たちに学びに出掛けたのが前回の議論だと思えば良い。
そこで、今回は社会の多自然ガーデニングの手がかりとして、とある施設について論じたい。そこは、どちらかといえば人間間のコミュニケーションの水準で活動している施設であり、この連載の提唱する社会の多自然ガーデニングそのものの実践例ではない。しかし、そのユニークな取り組みを知ったことが、「プラットフォームから、庭へ」という発想の素になったことは疑いようがない。東京の小金井にある、その名も「ムジナの庭」という施設がそれだ。
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u-note(宇野常寛の個人的なノートブック)
宇野常寛がこっそりはじめたひとりマガジン。社会時評と文化批評、あと個人的に日々のことを綴ったエッセイを書いていきます。いま書いている本の草…
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