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「関係人口」戦略のゴールは地域共同体の「復旧」ではなくポジティブな解体(アップデート)

今日は楽天大学ラボで、「地方と復興」というテーマで話す番組の司会をしてきた。詳細は来月公開される番組の方を見てきてほしいのだけど、今日は司会をしながら(司会なので、あまり積極的には話さなかった)、そこで僕が考えたことをまとめてみたいと思う。

僕の地方に対してのスタンスは一貫している。まず前提として僕は青森県出身で、(その後いろいろな地方を転々として)30歳近くまで東京に出てこなかったガチの地方出身者で、特に両親はともに東北の中山間部の出身だ(親戚の大半は、青森県と山形県にいる)。14年前の東日本大震災のとき、被災地にはそれなりに足を運んでいるが、そのとき一番印象に残っているのは、石巻で乗ったタクシーの運転手さんがこの街は「津波が来る前から壊滅していた」とまるで社会学者のようなことを述べていたことだ。それはいわゆる「シャッター商店街」の問題を指していたのだけど、この震災についてはこれにいわゆる「原発ムラ」の実質的なモノカルチャー経済と政治的不自由の問題が大きく加わることになる(石巻の隣町女川の「キラキラした復興」と女川原発の存在との関係、そして現地の実質的な政治的不自由を考えればよい)。

つまりここで本来必要だったのは「復旧」(もとに戻す)ではなく「復興」(作り直す)だったはずなのだが、この10年余りの東北の場合圧倒的に前者の力が強く、数少ない後者の遺産をどう持続、発展させていくのか……というフェイズにある(能登については、その「復旧」のすら国力低下により後手に回っている)。このあたりについては、ぜひ来月公開の動画を見てほしい。

その上で、僕の基本姿勢は明白で、ある程度地方を「畳む」しかないというものだ。もちろん、これは能登地震のときににわかに囁かれたような「切り捨て(棄民政策)」を支持するものでは(もちろん)ない。

不必要な「箱物」を誘致して「カネを落とす」という半世紀前のやり方は焼け石に水的な方法でしかない上に、その土地の自然や文化に対して敬意を欠いたものになるケースも後を絶たない。そもそも明治以降日本人が4倍の増えているわけなのだが、今日の経済構造では、戦後期のような人口を大都市以外が養うことは「不可能」であり、土地の自然や文化にとっても「望ましくない」ことを、僕は認めるべきだと思う。

上記の記事で議論したように本当に「そこ」で暮らすべき人は「そこ」でなくては生きていけない人たちと、その土地の自然や文化を守り、育てる人たちで、実質的に都市生活者と変わらない生活をしている人たちは中核都市に移住するべきだと僕は考える。そしてその土地に残る人たちにはフルスペックのインフラを提供できない代わりに、行政が個別に支援する……(たとえば何かあったら採算度外視でドクターヘリを飛ばす)というやり方しかないと思っているのだ。

これくらい思い切った土地との付き合い方の発想転換がない限り、問題の根本にアプローチすることはできず、焼け石に水的な予算消化が反復されるだけだと言うのが僕の考えだ。

ここで重要になるのが「関係人口」という考え方だ。これはそのキラキラした外見とは裏腹にかなりシビアな現状認識に基づいた戦略で、その背景には「移住」という戦略(人口の再配分)を断念するという巨大な諦念が(表立っては言いづらいだろうが)ある。

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僕はもはやFacebookやTwitterは意見を表明する場所としては相応しくないと考えています。日々考えていることを、半分だけ閉じたこうした場所で発信していけたらと思っています。

宇野常寛がこっそりはじめたひとりマガジン。社会時評と文化批評、あと個人的に日々のことを綴ったエッセイを書いていきます。いま書いている本の草…

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