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#ゲーム
創発的現象としてのゲームの二次的フレーム | 井上明人
ゲーム研究者の井上明人さんが、〈遊び〉の原理の追求から〈ゲーム〉という概念の本質を問う「中心をもたない、現象としてのゲームについて」。前々回に引き続き、共同注意の概念を通したゲームという現象の読解です。ゲームを成立させている多層的な合理性、その定義の困難は、同時的に複数の水準の要素が発生しながら、分解して分析できない、その特異な性質にあるとします。
中心をもたない、現象としてのゲームについて
ゲーム市場の生態系とネットワーク構造の変化をどう捉えるか――Wii、DS、PSP以降の構造を考える | 井上明人
今朝のPLANETSアーカイブスは、『「ヒットする」のゲームデザイン』(オライリー・ジャパン、2009年)に掲載されたゲーム研究者・井上明人さんの論考を配信します。コンピュータゲーム市場を「高速に変則的な動きをする生態系である」と捉えたとき、どのようなメカニズムでゲームの購入が決定されるのかを、様々なモデルを例にとって考えます。
※この記事は2014年9月24日に配信された記事の再配信です。
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幸福な善人の異世界物語 | 井上明人
ゲーム研究者の井上明人さんが、〈遊び〉の原理の追求から〈ゲーム〉という概念の本質を問う「中心をもたない、現象としてのゲームについて」。今回は番外編として、ウェブ小説の新ジャンル「幸福善人系」について考察します。物語制作上不可欠とされるはずの、主人公の欠落や進行上の障害を全て排除し、ひたすらストレスフリーを徹底した作品群。その指向性の先にあるものは……?
中心をもたない、現象としてのゲームについて
叙述的共同注意のネットワーク | 井上明人
ゲーム研究者の井上明人さんが、〈遊び〉の原理の追求から〈ゲーム〉という概念の本質を問う「中心をもたない、現象としてのゲームについて」。ネット上に存在している他者との親密な関係の生成を促すシステム。ゲームは同様の媒介性を備えながら、同時に他者との衝突を本質とする面も持ち合わせています。容易には接合しえない諸要素からなるゲームの本質、その概念的な整理を試みます。
中心をもたない、現象としてのゲームに
2018年の「推し」ゲーム 三選 | 井上明人
ゲーム研究者の井上明人さんが、〈遊び〉の原理の追求から〈ゲーム〉という概念の本質を問う「中心をもたない、現象としてのゲームについて」。今回は、井上明人さんが2018年にプレーしたゲームの中から「推し」のタイトルを紹介します。。国内外・ハードを問わず、ゲーム研究者ならではの鋭い考察と、いちゲーム好きとしての愛情に溢れた視点から語ります。
中心をもたない、現象としてのゲームについて
2018年の「推
行為と、行為を思惟するシステムーー心の存在を想定する | 井上明人
ゲーム研究者の井上明人さんが、〈遊び〉の原理の追求から〈ゲーム〉という概念の本質を問う「中心をもたない、現象としてのゲームについて」。今回は、前回登場した「叙述的共同注意」の概念を掘り下げます。注意の共有自体が目的となるにらめっこの不思議や、「ガチ勢」「エンジョイ勢」の関係性を参考にしながら、これまで紹介してきた「学習説」とは相容れない「遊び」の定義について思考を深めます。
中心をもたない、現象
人工知能にとっての言葉(後編) | 三宅陽一郎
ゲームAIの開発者である三宅陽一郎さんが、日本的想像力に基づいた新しい人工知能のあり方を論じる『オートマトン・フィロソフィア――人工知能が「生命」になるとき』。人工知能と人間の間で自然な会話を行おうとするときに、大きな障壁となるのがが「フレーム問題」です。言語は人工知能に「意思」を与えうるのか。禅や華厳哲学の認識論をヒントに、その可能性を探ります。※本記事の前編はこちら
オートマトン・フィロソフ
創発的現象:諸理論の反逆 コミューニケーション、ルール、メタファー | 井上明人
ゲーム研究者の井上明人さんが、〈遊び〉の原理の追求から〈ゲーム〉という概念の本質を問う「中心をもたない、現象としてのゲームについて」。今回は、コミュニケーションについて独特の理論を展開したグレゴリー・ベイトソンの議論を、「共同注意」の概念を手がかりに、命令的/叙述的という分類から、「ゲーム」と「遊び」の差異について検討します。
※本記事に一部誤記があったため修正いたしました。著者・読者の皆様にご迷
人工知能にとっての言葉(前編) | 三宅陽一郎
ゲームAIの開発者である三宅陽一郎さんが、日本的想像力に基づいた新しい人工知能のあり方を論じる『オートマトン・フィロソフィア――人工知能が「生命」になるとき』。人間の世界認識の根幹となる「言語」を、人工知能はいかにして実装しうるか。前編では、西洋哲学における言語論の蓄積を踏まえながら、言語的な認識の構造のモデル化を試みます。
オートマトン・フィロソフィア――人工知能が「生命」になるとき
第八章
なろう小説におけるダダ漏れの欲望を考えるための2つの「切断」 | 井上明人
ゲーム研究者の井上明人さんが、〈遊び〉の原理の追求から〈ゲーム〉という概念の本質を問う「中心をもたない、現象としてのゲームについて」。今回のテーマは「なろう小説」の欲望のあり方についてです。従来のフィクションを(主人公と読者の)「主体の切断」を前提とした作品と捉えた上で、なろう小説やゲームを「利得の切断」の側面から改めて検討します。
井上明人『中心をもたない、現象としてのゲームについて』
第30
節電ゲームの連続的な学習プロセス | 井上明人
ゲーム研究者の井上明人さんが、〈遊び〉の原理の追求から〈ゲーム〉という概念の本質を問う「中心をもたない、現象としてのゲームについて」。今回は「節電ゲーム」からゲームという現象を考えます。コストダウンにも環境保護にも関心がない、電気使用量の記録更新だけを目指す「節電バカ」たち。彼らの情熱が生み出すゲーム的学習プロセスを読み解きます。
井上明人『中心をもたない、現象としてのゲームについて』
第29回
学習説はどこまで説明ができたのか | 井上明人
ゲーム研究者の井上明人さんが、〈遊び〉の原理の追求から〈ゲーム〉という概念の本質を問う「中心をもたない、現象としてのゲームについて」。ゲームの定義として最有力である「学習説」は、「ゲームという現象」を完全に説明するには至りません。中世の天動説的ともいえる学習説の合理性・説明性の高さを前提に、複数の動的システムの相互関係に基づいた、地動説的な仮説の構築を試みます。
井上明人『中心をもたない、現象と
中東とゲームの関係、中東に本当に廃課金ユーザーは多いのか? | 鷹鳥屋明
鷹鳥屋明さんの連載『中東で一番有名な日本人』。中東でもゲームは大人気の娯楽。スマホのアプリゲームに多くの人がお金と時間を投じているほか、90年代の日本の名作RPGを強く意識した国産ゲームも開発されているようです。知られざる中東のゲームカルチャーについてレポートします。
鷹鳥屋明「中東で一番有名な日本人」
第13回 中東とゲームの関係、中東に本当に廃課金ユーザーは多いのか?
今年の日本の夏も大変暑