今、振り返る19世紀からの思想の歩み(1)
大人の生活に「理想」から離れるものがあったとしても、少年・少女時代に自分の望みが持てなくては、教育立国はおぼつかない。だからと言っては何だが、愛国教育に熱心な国々があるし、かつての日本にもその時代があった。
上から注入されるのではなく、自らつかもうとする情熱は誰にも与えられている、と考えることができる。実際にはそう簡単な話ではないところが泣き所だが、よーく考えて見なければならないところである。
大半の人が御存知ない時代になったが、自民・社会の2大政党が対立を極めた時代があった。少なくとも1960年代中盤くらいまでであろうか。いささか乱暴に聞こえるだろうが、見るところ、自由を代表するアメリカそしてイギリス、フランスなどと、平等を掲げるソ連、中華人民共和国の対立が頭の中に思い浮かぶのである。歴史観としては、社会主義が必然と主張するマルクス主義の唯物史観(史的唯物論)を巡ってのものと言えなくもない。
社会主義が資本主義にとって代わるという見方は、一定の人びとをとらえたし、それを言う知識人も少なくなかった。それが今日をとらえる歴史観とはもう言えないだろうが、問題は「理想(理念)」である。
矛盾に満ちた人間社会の現実、典型的には300万以上の人びとが亡くなり、自分の知る人々の中に、戦争で亡くなった人が一人もいないなんてありえない、というような時代(言うまでもなくクラーイ時代である)を体験した身には、どこかそれを否定する人間や社会、国家があると信じることほど、自分を励ます考えは無いに違いない。
実際、粉骨砕身、その思いで、欧米社会の自由が一部の富者のものだと反発した政治の流れがあった、と言えるのである。共産党一党支配の言論風圧や粛清を知る人達からは、反共が叫ばれ、両者の対立こそが将来を決すると思われた。(そういう見方を今日でもする人たちがあると思うが。)
だが、もう時代遅れなのである。現実は、そんなものではない。改まって考え直す人々が増えることしか、未来は見えてこない、とぼくは思う。
それは遅くとも19世紀の後半からであった。優れた思想的格闘が、19世紀半ばには予想されなかったことを前に、激しく考究された。しかし残念ながら、それらはメインになることができなかっのである。
1917年のロシア革命、スターリン時代、ナチスの台頭をめぐる問題が世界の話題を持ち切り、この大きな動きに建設的・思想的議論は、かき消されてしまった。大西洋を隔て、歴史が始まって間もない米国は、その混乱の中、米国ならではの歩み方を進めていくのだったが。
それぞれ詳しい研究や著書があるから、教訓が沢山見出せるだろう。その教訓を今あらためてとらえることが大変重要なのである。誰かのレッテルで、あの人の説は取るに足りないとか、反動的だとか信じやすいのは傾向としてある。第一、比較的公平だと自分で思っていたぼくが、結構他人の説に従って間に合わせていたことを認めざるを得ないのである。
ひるがえって、若かりしぼくらの時代(60年代~70年代)には、カール・マルクス、あるいはマルクス主義を抜きに社会や人間を語ることができなかった面がある。サルトルもメルロポンティも、その後のポストモダンも、このマルクス主義に対する何らかの認識がないわけには行かなかったのである。(もっとも、その辺を知らずに「ポストモダン」を言う学生、人たちがいたにはいたが。)
哲学分野になるが、マルクス理解には、ヘーゲルというドイツの哲学者に始まる「疎外論」が不可欠と、大いに論をわかせた時代がある。ぼくがここで思うのは、それよりも、1800年代半ばの議論から、普仏戦争・パリコンミューンのことなど、熱心に議論する学者たちがいるのに、プロシャの鉄血宰相ビスマルク後の時代、晩年のマルクスや盟友エンゲルスのことをあまり問題にしないでどうして済んだかということである。
実際の実際はそうではなかった。実際は、新しい時代の展開を前に、共産党宣言や資本論で知られる彼らも、現実の変化が自分たちの予想とはかなり隔たったことに面食らうところがあったであろう。共産党宣言(1848年)から40年経って、資本主義が、そのまんまであるわけがない。少なくとも19世紀半ばのイギリス資本主義を高度に発達したものと見なし、やがて資本主義の本質的矛盾が働く階級に広く明らかになり、窮乏の底に陥れられた大多数は資本主義を捨てて、社会主義を選ぶ見込みだったのである。しかし時間が経ってみると、資本主義の変化、進展はその見通しを「裏切った」。
その点、ロシアのイリイッチ・レーニンらは「帝国主義」という資本主義の発展段階を出張し(鉄道敷設の意義、欧州先進国によるアフリカの植民地分割が完了、ビスマルクに始まったドイツ帝国=第2帝国は1918年まで続いた)、戦争を革命に転化する道を見出した。
だが、この問題について論じようというのではない。このレーニンの説の前に、例えば、エンゲルスが現実の変化をどうとらえようとしていたかである。暴力革命が基本だが、それから自由(liberty)が獲得され、社会主義の素晴らしい時代が始まると、相変わらずそう思っていたなら、今日の時点ではハッキリ言えるだろう。つまり、彼らの理論の発展性のなさ、教条的なかたくなさや、貧しさ、要するに「バカ=アホ」と見なされる単純な革命主義に陥ったというわけである。
だが少なくとも多くの左派系がお手本にし、従おうとしたのは、ロシアであった。先進を行き、厳しい現実の変化や社会、科学技術の発展を目にしながら、取り組んだ研究者や実践家へのまなざし、格闘ではなかった。彼らに対する仕方は、ソ連の学者たち、政治家たちの目を通して判断され、評価された。このあたりのことには、特に注意を払う必要があると思う。
むろん日本にもソ連を批判し、反対する潮流があった。だからと言って、彼らが眞理に忠実な、まっとうな議論を展開した方というと、そう簡単ではない。反共産主義というレッテルが有効なのである。
よく名の知れる人をざっと上げても、たくさん上がるだろう。もちろん一色ではない。自由主義の立場を守る人もある。しかしながら、いつしか軍部中心の皇国史観につかって、大政翼賛会に入るのが生きる道となっていく。むろんマルクスを標榜する人だけではなく、それをおかしいと見る日本人があったし、彼らは、宗教家をも含むけれども、非常な苦しみに直面して生きなければならなかった。言うまでもなく、獄中で最期を迎えた人々が多くいる。
続きを、この次に回さねばならないが、折角だから、是非読み続けて欲しい。ぼくとしては、残り時間を考えなければならないから(笑)、一石投じるしかないのである。
和久内明(長野芳明=グランパ・アキ)に連絡してみようと思われたら、電話は、090-9342-7562(担当:ながの)、メールhias@tokyo-hias.com です。ご連絡ください