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今、振り返る19世紀からの思想の歩み(5) 「パンとサーカス」の果て?
教育界は社会の縮図、と言われる。そこで、「だから?」と問うてみよう。解説はいずれも、「社会」の一部でその状況を映す、ということに止まりそうだ。しかし実は、そうではない。現代の「社会」は、日本社会に止まらないのだ。だから、国際的な広い歴史的視野を伴ったものでないと話は始まらない。
国力の比較、チカラ関係と前回書いた。教育界もこの伝で行くものかどうか。教育は違いますよ、と誰しも思うだろう。そう思いたいんだが、ぼくたちは、偏差値の比較で、1つ違うだけで優劣の判断をしがちではないか。チカラ関係では東京大学を筆頭に、何人合格したとか、理Ⅲに何人とか、現役では?とかで優劣を計りがちだろう。極端に信じ込まなくても、これらの正当性はほぼ保証されている、と疑うことはしない。
こうした認識を不動にする体制は、評論家や解説者や雑誌などメディアに大きなウェイトが掛かってくる。ここでは無論、それを言って彼らを批判して済むとは思っていないのだが、しかし取りあえず、今はそう言っておこう。それらを見聞きした人たちは、フーンそうなのかと、「新しい」情報を得て満足する。この状況を変えることはできないし、苦情は言い難い。言えば一つの不満に過ぎなくなってしまうし、そう見られる恐れがある。
偏差値や序列で表されたものを、一般の人達に序列を意識するなと言っても無理というものだ。それはそうなるしかない、というものなんだと思う。
だが、偏差値や序列の元、試験内容や方法、教育のことを問わないですむんだろうか。ここには「玄人」や「素人」の区別はない。すべての人が学校や試験や合・不合を経験しているのである。どうもここから問題にしなくてはならないはずである。とは言え、すでに目の前の体制は、動かしがたい。
辛抱強く、振り返ってもらいたい。まず試験内容のことだ。これが教育に与えるインパクトは、「鶏が先か、卵が先か」的なものになってくるのだが、試験内容や方法が変われば、依然、教育が変わらないなんていうようなことにはならないし、ドロップアウトした子たちの真なる能力が引き出せるかもしれない。
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その前に抑えておきたいことがある。遅れた意識だけを取り出して国民に押し付け、まるで文明から取り残されたとでもいうように「文明開化」を叫んでいた、幕藩体制から抜けたわが国の歴史のことである。(もっとも、藤田東湖や水戸の第9代藩主徳川斉昭のような先見がある。)
識字、文盲(非識字者)を一例に上げるなら(他にも、食事や芸術、いくらでも数え上げられる)、世界で最も進歩した国であったことは間違いないのに、なんである。何が「文明開化」なものか。今でも疑いなくそう教えているのだろうか。ラテン語発祥のキウィタス(civitas)は、ローマ時代には、字義通りに都市化や都市生活のことであった。言うまでもなく、文化を含めた大きな概念(言葉)である。最近では、経済的・物質的文化を指すように思われるが、そうなった経緯については一言申し上げる余地がある。しかし、これまたここでは、取り合えずスルーするしかない。(ちなみに、文化はカルチャーとされるけれど、これは崇拝というような意味にもなるようだが、耕す〈cult、culutura〉から来ている。ちょっと意味深でしょ?)
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外国のことは殆んど何も知らずに、後れを取ったのは軍備であり、欧米の産業に比してのことである。言うまでもないことだが、欧米に追いつき追い越せとばかり急(せ)いた政治のこと、不平等条約を解消することなど、先人の目指したことを頭から否定することなどできない。しかし何もかも捨てるように(典型的には廃仏毀釈だネ)、国民の一体化、そして欧米に追い付くチカラが強調され、まさしくそれを頭から注入・導入した。
教育の時代が新しく起こったのである。まぁ、近代の義務教育と言ったら、欧州なら19世紀末頃だし、米国全土なら19世紀はまだ十分でなく、日本人があの難しそうな漢字の文字が読めることに驚いたのは、戦後すぐの米国教育使節団が調査した、奥深い地域のお百姓の老婆だったり、(義父に聞いたことだが)東京駅近くで数人の米兵に道を聞かれ、街頭の英語地図を指したら、読めないから聞いたと言ったりする。日本全土に国家の教育が行きわたろうとした時期がそう後れを取ったというわけではない。
問題は、国民の一体化自覚と意識であり、国家の必要とする知識を備えた人材、その中でも優秀な者の道を用意することである。競争させれば、一心不乱にいそしむ者たちが生まれ、優秀な成果(成績)を上げる者が出てくる。学校教育史を少し調べれば、こうした事例には事欠かない。しかし、だ。教育の自由というか、そうした海外の思想(代表的にはルソーとかペスタロッチとかetc.)を受け入れる素地もあって、私立学校をふくめ、優れた教育実践も行われている。
10回以上も映像化された戦後の名作『二十四の瞳』(坪井栄作)をご存知だろうか。あの中で、検閲が厳しくなって教師の心が国家に縛られる状況が描かれている。小豆島という、中央から遠く離れた地域でもこれだ。まだの人は、白黒映画だが、少なくとも高峰秀子さんが大石先生になった第一弾を是非見てほしい。
要するに、良心的で誠実な教師の活動は、どれほど子たちから好かれていても、天皇制軍国主義という日本の特異な体制が仕上がるにつれて、弾圧され、国民が「一体」になって戦争の道を敷く軍や政治にまとめ上げられるのである。
詩人ユウェナリス(西暦60年 - 130年)の、すなわち古代ローマの明言、「パンとサーカス(ラテン語: panem et circenses)」の結果かも知れないが、それすら奪われていくのである。何故、この国の国民が、戦後の今ほどアホらしくなったのか。縷々述べていくから、そんなこと知ってるよ、と言って欲しいものだが・・・。
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和久内明(長野芳明=グランパ・アキ)に連絡してみようと思われたら、電話は、090-9342-7562(担当:ながの)、メールhias@tokyo-hias.com です。ご連絡ください。
【大事な附記】
今年(2023年、令和5年)は、病気(肺炎と気管支炎)で、ほとんど、生きるか死ぬかの体験をしました。まだまだ、前のようには行かないのですが、病中ベッドに張り付きながら思ったものです。23年間行ってきた9月11日の会〈9.11メモリアル〉を実行する力が無くなったのではないかと。新たな展開をするしかないと覚悟を決め、幸い準備してきたのですから、本年を舞台形式の最後にするということです。当日は、車の送迎で、何とか会場に着いたものの、座って動かないのが精一杯。しかし、です。最後にふさわしく、同時多発テロの犠牲者、戦争と平和という、今日につながる問題に、一流の腕と思考力、想像力を駆使する方々の熱演で、素晴らしい舞台空間となりました。ご来場の皆さまは無論のこと、感謝しきりです。ぜひ、下に掲げるユーチューブをご覧になって欲しいと思います!!
1) 黙とう 22回を数えて、「戦争と平和」を改めて問う
和久内明 https://www.youtube.com/watch?v=esDn8Rn3I3I
2) 「無伴奏バイオリンソナタ」(第3番 1,3,4楽章 バッハ)
田澤明子 https://www.youtube.com/watch?v=iNxt05HqAIQ
3) 琵琶演奏 「風の宴~琵琶独奏の為の」(2002年)
塩高和之 https://www.youtube.com/watch?v=Jfe-9ZKQrWI
4) 「二つの月」(作曲・塩高和之)
塩高和之、田澤明子、津村禮次郎
https://www.youtube.com/watch?v=SJwonmmiqSE
5) 「良寛」第2部
津村禮次郎、塩高和之、中村明日香
https://www.youtube.com/watch?v=_e_3nHxrw8k
6) ギター、イラン打楽器、能舞のコラボレーション
「鎮魂、紛争犠牲者に捧げる」 山口亮志、蔡怜雄、津村禮次郎
https://www.youtube.com/watch?v=hrShTsizMHc
以上、和久内明
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