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はじめに【あいさつと自己紹介】

はじめまして。ぼくは沖縄で小説家として生活をしている湧上アシャ(ワクガミアシャ)というものです。ほかには詩やコラムを書いたり、ラジオのパーソナリティをしたり、時々ライブでDJやラップをしたりしています。ぼくは創作集団TUFF CONNECTIONの共同代表で、YOU TUBEではフティーマ団 いすのき支部として。またEXPEL KALTALというクルーにも所属しています。ぼくは、沖縄県は宜野湾市普天間に生まれました。毎回“オキナワ”をテーマに、作品作りや、アプローチをしています。

 この島は複雑です。文化、生活からスピリチュアル、都市伝説まで、幅広く話題にのぼるうえに、政治的にも注目を集める島です。このnoteでは“オキナワ”を書くということ、また沖縄で書くということにおいて気を付けなければならないことや、覚えていていてほしいことをまとめていきます。そのために、まずはじめにぼくが“オキナワ”をどうとらえているか、潜在的な意識の深堀りのために思っていることを書きます。前振りみたいなものなので、ぼくの意見や論を探りたいひとはほかの記事から読んでくれてもかまいません。
 これはただ、ぼくという存在を知るうえで、こういう性質を持っている、と理解してほしいための文章です。

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 あなたは”オキナワ“ときくと、何を想像するだろうか。

 青い空。青い海。やさしいひとびとに、豊かな自然。歌。
 そう答えるひともいるだろう。
 米軍基地。戦争。
 そんなネガティブなイメージも抱えているかもしれない。

 かつて琉球王国と呼ばれた豊かな海洋国家は、この近代にはいってめまぐるしい変化の渦をだいている。ここに毎年やってくる、台風の暴力的なまでの雨風のような時流だ。

 この島は、【守礼の邦】を冠する通り、礼をもって外からの旅人を迎え入れる。それが沖縄の演芸の根幹かもしれない。独自の発展(あるいは展開か)をした歌や踊り。それらは国境線や言葉、宗教や人種を越えて今、世界に羽ばたこうとしている。古典民謡からラップ、組踊からブレイクダンスまで、この島をとり巻くカルチャーは幅広い。それはある種、沖縄が大国に支配を受けて展開してきたという歴史と重なる。歴史の話は次にしよう。そういった側面がこの島をある意味でレベル(反逆)的な精神を持たせ、困難を平和な手段で解決していこうという気構えさえ見せるのである。

 この島には大いなる土壌に育まれた島野菜や、海洋産物。そしてうまい酒。美しいひとびと。先ほど紹介したエンターテイメント的な要素がある。それらを求めて、ひとはこの島を訪れる。足りないものも多いこの島で、充足を知る住民たちは額に汗し働き、日々を守り満たし、つつましく生活している。

 しかし、多くを欲さない、つい我慢をしてしまう、「仕方ないさ」が口癖になり、この島をとり巻く事情を複雑にしているのかもしれない。沖縄は耐えてきた。先祖の血は忘れてはならない。それはのちの子どもたちのためだ。血は先祖からの授かりものだが、恵みは子どもたちからの贈り物だから。

 沖縄とは切っても切り離せないもの、それは政治だ。内外の問題は様々あり、日本、あるいはアメリカの植民地であり、琉球であったころの権威は失墜しているかに思える。しかし、だからこそ瀬長亀次郎から玉城デニーまで“反骨”の政治家がいるのかもしれない。湧上の一門であり政治家だった湧上聾人(ワクガミロウジン)については、追記の記事を挙げることにする。

 “オキナワ”を語るうえでかかせないもの、それは悲しいかな基地問題かもしれない。しかし、一口に基地問題といっても、様々な要因が重なり問題となっているわけで、一筋縄ではいかない。軍用地主。裏金。汚職。基地外基地。おもいやり予算。沖縄ヤクザ。チャイニーズ・マフィア。アメリカン・ギャングスタ。
 しかし、ぼくらはこの島で育ち、普天間の街に育まれた。小学校のグラウンドのそばには基地のフェンスがあり、野球ボールでも入ってしまったらとりにすらいけない。金がない小学生には辛かったが、隣人である米兵の子どもたちや、ドルや円を求めて島にやってきた南シナ海からの移民の子どもたちは自然と教室にいた。子どもというのは不思議なもので、肌の色、目の色、髪の色、言葉の違い。そんなものはたいしたことではなく、同じ“オキナワ”に暮らす友人だった。
 ぼくは大学時代の多くを京都で過ごしたが、CH-63がCV-22に変わったところで沖縄はなにも変わらない美ら島(チュラシマ)だ。ぼくら戦後に生まれた世代は、基地のない美ら島を知らない。カーニバルがあれば楽しいし、フリーマーケットがあれば円をドルに換えて、日本では買えないスニーカーを、サイズも合わないのに買って履き、かっこつける。中学のころかじりついて米軍放送の6チャンネルでグラミーを観て、海賊版のミックスCDをディグる。アメリカナイズされていると感じるひともいるかもしれないだろう。しかし、これがこの島の“普通”なのだ。
 憎むべきは、悪意であり、アメリカ人ではない。そんなことみんなわかっている。アメリカ人の中にも確かにくそ野郎はいる。だが、そいつらがすべてじゃない。多くはとても穏やかなひとたちなのだ。彼らが戦争をイメージして、人殺しの訓練をしなくてはいけない、社会が、いわゆる【バビロン・システム】が悪いだけだ。

 “オキナワ”はこれから激動の時代を迎える。それは首里城の焼失で絶望の淵に落とされ、そこからなんとしても立ち上がらなくてはならなくなった沖縄県人、いやうちなーんちゅにとって、そして沖縄を愛してくれているどこの国のどんなひとにとっても、大きなきっかけになったその悲しみがバネになり、新しい“オキナワ”をつくりあげていく。またしても“反骨”や“反逆”といった精神が新たな種を育てていくちからに変わるだろう。ぼくはそう信じて止まない。

 しかし、「やってやる!!」という気持ちに水を差すように、2020年コロナのパンデミックにより、多くの挑戦が、計画がとん挫した。これは大きな痛手だ。新種のウイルスにより、多くのひとが死に、我慢していた欲望が染み出た。これは落ちにくいシミである。国同士の、あるいは人間同士の信頼すら破壊したコロナのパンデミック。12月30日現在、ワクチンの接種がはじまり、沈静化となるか、というところだが油断はならない。
 だが、そう悲観ばかりするものでもなさそうだ。それはさきほど記述した“充足を知る”につながり、人間性に深みのあるひとびとが、SNSを中心としたネットワークでの活動で出てきた。(SNSのいい点、悪い点には別の記事で触れようと思うが、ここではあえていい点に絞り、文章を続けさせてもらう)ひとびとがいわゆる三密をさけて生活したり、自己を表現したりと、新たな試みがなされ、一部では成功していることも踏まえれば、たった一歩かもしれないがそれは大きな前進である。人間は成長する。成長しないものは消えていくだけだ。

 さて、ここまで“オキナワ”を語らせてもらったが、美しい面ばかり紹介してもしょうがない。ぼくは沖縄を愛している。だから今の沖縄に言いたいことも山ほどある。まず、被害者意識と加害行動の不一致だ。「海を守れ!」「沖縄は植民地か!」と叫ぶひとの中に、足元のゴミを拾わない、もしくは海にゴミを不法に投棄しているような輩もいる。自分で自分のケツもふけない野郎がなに言ったって信頼感などない。これはぼくの反省でもある。意識的にゴミを捨てたことはないが、吸い殻を下水に投げていたぼくは、自分のケツに火をつけることになってしまった。これを読んでいるあなたにそうなってほしくはない。そして愛する沖縄にもそう思っている。だから言う。沖縄は自立すべきだ。これは沖縄独立論ではない。独立して国家になるのではなく、アメリカと日本という頑固な親から離れ、自立するのだ。血縁関係を切るのではなく、自ら立ってこその“邦”だ。いいかげん、おんぶにだっこはやめないか。そんなことしなくても、生きていくちからは沖縄には確実にあるのだから。ぼくはそう思う。

 

1、はじめに 終

                                         

 さて、どうでしたでしょうか。ここに書いたのはぼくの思うところであって、真実ではありません。ぼくは真実には関わりたくないので。
 こんなぼくですが、これから不定期にnoteを更新していきたいと思います。よければ読んでいただければ。よろしくお願いいたします。
 

 そして、書籍ではぼくの本職でもある小説家としての一面が見れます。沖縄県内書店では沖縄県三本コーナーにて。内地のかたは全国の本屋さんで取り寄せが可能で、ネットでもお買い上げいただけます。【湧上アシャ】で検索してください。

処女作「風の棲む丘」

第二弾「ブルー・ノート・スケッチ」人気作

第三弾「ぼくたちが自由を知るときは」最新作


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FMぎのわん79.7 『GINON LAB』毎週土曜日16時半~17時
                 
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Asha Wakugami
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