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86歳母がようやく退職してくれました。

カナダ生活11年目のWakeiです。

今年86歳の母がようやく晴れてパートを退職しました。
それは62歳で始めた2度目の就職、パートでした。

62歳で求職活動をした母

母は60歳の定年退職まで、上場企業で働いていました。
定年後、1年間は失業保険をもらいながら、旅行に行ったり、気ままに過ごしていました。ところが、やはりお金の余裕が欲しかったのと時間を持て余し、「家にじっとしていたくない」ということで仕事探しを始めたのです。

自分で新聞の折り込み広告で何軒か電話して、食品会社の工場のラインに採用されたときに母がすごく喜んでいたのを覚えています。

当時は私たち家族は

「そんなお母さんみたいな定年した人を雇ってくれるところあるの?」 

と思っていたので、
母が嬉々として採用の報告をしてきたときには驚きました。
以来、24年間、86歳になる今年春までパートとして働いてきたのです。

母の仕事はきつかった

その24年間の数年は、深夜11時頃から朝方までの夜勤でした。
定年退職をしていた父が車で送り迎えをしていました。

やがて母はベテランの最年長のパート従業員になっていきます。

若い人でもシフトを減らされたり、解雇されてきた中で、母は手先が器用で、仕事の要領がよく、作業がきれいと評判で、しかも控えめななので、
86歳で退職を本人から言い出すまで、会社からシフトを減らされたり、辞めてほしい、と言われたことはありません。

でも母の話を聞いていると母が担当している工程は、暑い環境の中で重いものを持上げることも含み、単純作業のようで長時間に渡って繰り返す作業としては、腰や背中に負担がかかる、誰もが嫌がる仕事だったのです。

そんな仕事を高齢で小柄な母がやっているのを見て、楽だろうと思った人が代わってやると、数時間で根を上げたり、不良品が大量に出てしまい、結局その工程は母に戻ってくるのです。

母が作業のしんどさを負けず嫌いで頑張ってきたことを私たち家族は知っていたし、いつか腰を痛める、倒れたら大変、と心配していました。
母にも「もっと仕事を減らすか、辞めるかして欲しい」とずっと言っていたのです。

そして遂に父が体調を悪くし施設に入ることになり、車の送り迎えができなくなりました。その時、私たちは「母はきっと仕事を辞めるだろう」と思っていました。

ところが母は「仕事のシフトをお昼に変えてもらって、自転車で20分かけて職場に自分で行けるから仕事を続ける」と言うのです。
この母のガッツには私たちもびっくりしました。

母はそこまでしても働き続けることにこだわったのです。

仕事は楽しみ

母にとって、「高年齢でも若い人と同様、またはそれ以上に頑張れている」ことが自信であり、励みだったのです。

職場では「早くてきれいに作業ができてすごいね」とか「とても80代には思えない」とか「かわいい」とか「がんばるね」と、本当にびっくりされたり、感心されたり、褒められ、とても嬉しそうでした。

自分で稼いで収入を得ているといことも充実感があったと思います。
おかげで孫達にも時には援助できることは誇らしかったでしょう。
どれだけ自分がやれるか挑戦してみたい気持ちもあったでしょう。

一方、仕事を辞めたら、家でどう過ごしたらいいんだろう、体力も衰えて、
ボケないだろうか、という不安
も大きかったと思います。

最低賃金で働くシニア労働者

私たち家族は母が仕事を続けたい、という気持ちはよくわかります。
本人の自信や運動、社交にもなるし、ボケ防止にもなるでしょう。

ですが、母のような高年齢労働者への会社側の対応には疑問を感じます。
母に対しては会社は「無理しないで働けるなら働いてほしい」というスタンツでしたが、そこにはもう少し楽な作業に母の配置を変える、という配慮は全くありませんでした。

作業の安全面から考えても高年齢の母にキツイ仕事を配置して、24年間もの間、謝礼程度のボーナスもなしで最低賃金で働かせていたことには憤りすら感じます。

この会社はこの24年間の間にパートを減らし、派遣労働者を多く使うようになり、母も外国人の派遣労働者と一緒に働くようになりました。彼らの時給はベテランパートの最低賃金よりもずっといいのです。
母は「人の入替わりの多い派遣の人と働くと、こっちの負担が多くなってシンドイだけ」とよくこぼしていました。

パートは派遣のように急に切られることはなくても、シフトを減らされるのではないかという不安があり、会社に強く意見することができません。母のような60代以上のパートになると新しい職場探しが難しいので「雇ってもらえるだけで有難い」「辞めたら後は行くところはない」と思うので低賃金、悪労働条件でも甘んじて我慢してしまいます。

さすがに母は、辞める時に溜まった有休を消化して辞めましたが、パートの中では消化しない人がほとんどです。

高年齢パートであっても仕事ができれば、低賃金でも辞めない、会社にとって都合のいい労働者です。そうした低賃金労働者の存在が、職場を奪い、賃金が上がらない原因にもつながります。

いよいよ退職

86歳にして母はようやく退職を決意してくれました。
その一番の理由は腰の痛みです。
痛み止めを飲んで続けていた仕事でしたが、もしこのまま続けて腰が悪化したら歩けなくなるかもしれない、という恐怖でした。

以前からずっと私たち家族は

「腰を悪くする。歩けなくなったらどうするの。
会社は個人の体調がどうなっても責任はとらないよ。自分はつらいし、
家族が困るだけ。無理をしないで仕事を減らすか、辞めるかしてほしい。」

と言い続けていました。
母のように年齢が高いと加齢とも労災とも言い難いし、パートと言う立場も難しいでしょう、仕事で健康を害したら、身体の壊し損になります。

とは言っても、母は自分で実感しないとわからないタイプなので

「自分で納得いくようにやったらいい。あとで困っても知らないからね」

と言って時期を待つことにしていました。

そして今年のお正月休暇とコロナの休業が開けて
仕事に戻ってから、母の腰の調子が急に悪化したことと
コロナ感染の心配から、長年ズルズルしていた退職の決意を
遂に固めてくれました。

退職を決めて有休消化も明け、いよいよ最後の日、
職場の仲間や上司、事務所の社員に挨拶もかねて、
せっせとあれやこれやと準備したミニギフトとお菓子を綺麗に
ラッピングして、会社へ配りに行ったのにもびっくりしました。

「そんだけ安い賃金でボーナスもなく86歳まで24年間も働いて、
お母さんが記念品をもらうならわかるけど、なんでお母さんがみんなに
プレゼントを配るの?逆じゃないの?同僚や会社から何かもらった?」

と言うと

「いやぁ、何も。一部の人からカードもらったけど。
だって24年間もお世話になったし・・・」

気持ちもわからないでもないけど、お人好し、というか。
まあ、いいけど。

自分でスッキリとけじめをつけるためにもお礼のギフトを持って挨拶に行くって、母にとっては大切で楽しいことなんでしょうね。

86歳からの人生

仕事を辞めて母の生活はのんびりとしたものになったはずですが、
家にいたらいたで、しなければならないと思うことが山積み。
かといってなかなか進まない生活に若干苛立っているようです。
その気持ち、よくわかります。私もそうですから。

母の場合は、体が以前のようにテキパキと動くわけではないですから、
なおさらでしょう。
でもなにも焦ることもないので気ままにやればいいんです。

母には何か好きなことを見つけたり、軽い散歩でも自転車でも家事でも
体を動かすようにしてほしいし、人との交流も適度にしてほしいですが、
どうでしょう。やっぱり腰の痛みがネックのようですね。
上手く見つかるといいなぁ、と思っています。

母には
「来年、またカナダに来て。だから体調を整えて、体力をつけてね。」
と言っています。そんなことも母の生活の目標になればいいと思ってます。

仕事を辞めて日々の緊張感がなくなって穏やかになった母の顔ですが、
老いの不安も抱えているようなので、ちょっと心配です。

老い方や人生の終わり方って本当に人さまざまで、それこそ個性的です。
母には、この先もなんとなく幸せと感じられる老い方をしてほしいし、
「ああ、楽しかった。」と言って人生の終わりの瞬間を迎えてほしい。

さて、私は来年62歳。母が再就職をした年です。
これから24年間働いたのかぁ、と考えると人生まだまだいろいろできそうな気がします。

母は86歳にして第3の人生が始まりました。
そして私は61歳にして母の第2の人生のスタート地点に立ったところです。

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