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バレンタインデーの悲しい返信

2月14日は皆さん、お馴染みのバレンタインデーですよね。ちなみに英語ではvalentine's dayで、valentineの最後にSが付きますよ。
さて皆さんはチョコレートを誰かに渡しましたか?

カナダでは女性、男性問わず、恋人やパートナー、お世話になっている人にチョコレートに限らず、カードを送ったりプレゼントしますよ。

バレンタインデーの悲しい返信

私もクリスマスにE-cardで素敵なクリスマスカードをもらっていた友人のエルダにアニメーション付きのバレンタインデーE-card を送りました。

エルダはいつもは返信が早いのですが、今回は翌々日に返信が来ました。メールを読むとそのメールはエルダの長男のアレックスからのものでした。

アレックスによるとエルダは5日前に突然亡くなったというものでした。
享年76歳。

私は言葉を失いました。

エルダはコロナが始まった頃から、体調があまり良くなかったのは確かで、余計な外出はしなくなり、会ってお茶をすることもなくなりました。

ですが、海沿いの高台の自宅から見える、イルカの群れやクジラ、岸壁の決まった木に訪れる白頭鷲、素晴らしい海の夕焼け、ファミリーイベントで孫たちと楽しそうにしている様子も最近までFacebookに投稿していたので、元気にやっていると思っていました。


エルダとの出会い

エルダとの出会いは5年前です。

現在でもそうですが、当時は私の英語力はまだまだ十分ではありませんでした。と言ってもアルバイトも始めていたので、英会話クラスに通う時間も経済的余裕もありませんでした。

そんなときに知ったのが、地域の学習支援センターが行っていたボランティア・チューター制度でした。週1回1時間程度のボランティアで英語やPCの家庭教師をしてくるというものです。
ボランティアをしてくれるのは大概リタイヤ年代で、支援を受けるのは非英語圏からの来た大人の移民や学習支援を受けたいカナディアンです。

チューターのマッチングの希望で

「英語で日本の文化を将来的に紹介したいので、それを理解してくれるチューターがいい」

と私がコーディネーターに伝えたところ

「あなたにぴったりの人がいる」

と紹介されたのがエルダでした。

エルダは出版業界で長年編集をしていた女性でした。
大柄でドイツ系らしいさっぱりした雰囲気に優しそうな笑顔が印象的でした。

      ↑エルダからもらった誕生日プレゼントの本

エルダと二人三脚

エルダには英語だけでなく、個人的な愚痴も聞いてもらったり、いろいろと助けてもらい、インスピレーションも受けました。

私が教会の150人ぐらいの人たちの前で、最初で最後のソロで短い祈りのフレーズを歌うと決まってからは、エルダに発音を聞いてもらって、直してもらったり、励ましてもらい、なんとか無事に終わることができました。

お茶や着物のイベントの際は、必ずエルダに説明の文章をチェックしてもらい、説明を聞いて話し合って修正しました。
エルダは文章のプロですから、どれだけ安心できたか。

そして去年2022年9月には、2021年5月のキンドルのお茶のフォトダイアリー「抹茶楽生記」に続き、日本語版のページと写真を増やした、海外の人にもよりわかりやすい英語版「My Days with Matcha」を出版することができました。

    ↑エルダのおかげでできました               

エルダは日本語のキンドル出版の時にもまるで身内のことのようにとても喜んでくれました。

そして「次は英語バージョンを作るのが目標だから協力してほしい」
と伝えるといつもの穏やかな笑顔で嬉しそうに「OK」と言ってくれました。

それから1年経ったもの、コロナ自粛が解禁されると同時にアルバイトを始めるなど慌ただしくなり、英語版は一向に手付かずでした。

そんな中、これ以上伸ばせないということで一年発起して取組んでできたのが、「My Days with Matcha」、すでに9月でした。

英語リーダー向けの英語バージョンの作成にはエルダの協力は不可欠です。
英語バージョンは基本の文章は私が書いているとはいえ、全面的にエルダのチェックによって洗練されたことは言うまでもありません。

体調が良くないということで「今回は時間が掛かると思うけどちゃんとチェックするからね。」というメッセージにも関わらず、週明けには校正された原稿が返ってきました。

そんなエルダの思いに早く応えたいという気持ちで一杯で私も短期集中で仕上げました。

エルダが校正してくれた「おわりに(Postscript)」は基本が私の文章とは思えないほど知的に編集されています。

Elda がバレンタインデーにプレゼントしてくれたジュエリーケース (右)
"My Days with Matcha" より 

お葬式はなくても


故人の遺志でお葬式のセレモニーはしないということです。

ですが、エルダの名前のついた木を植樹する献金やエルダのメモリアルブックを作成・購入するための献金と言った香典にあたるものと、メッセージ、思い出のエピソード、写真やビデオのシェアが、家族によってフェイスブックを通じて、エルダの友人達に呼びかけられています。

私も植樹に参加するつもりですし、思い出と写真もシェアしようと思っています。

こんな故人の送り方もあるんですね。

       ↑エルダからもらったサプライズな抹茶

私にとってのエルダのお葬式

そして今日はエルダの訃報を知って初めてのミサ。
今日は私にとってエルダを送るミサ、Funeral mass のつもりです。

心を込めて歌んだけど時々、感情がこみ上げてきます。
正直なところ何がそんなに悲しいのか、わかりません。

長年会わない友達と亡くなって会えない友達、一体何が違うんだろう?
と思うのになぜこんなに止めどもなく悲しいんだろう。

ミサの最後の曲は私の好きな歌なのに歌詞を見るとまた込み上げてきて、泣けてきて歌えなくなりました。 ↓

   悲しいことや大変なことや苦しいことがまわりにあって、
   嵐が私の心を吹き飛ばし掻き乱そうとしても
   (神の)岩にしがみついている限り、(大丈夫)
   心の底から響いて聞こえてくるもの(音楽)があるのよ
 (それを感じて)どうして歌わずにいられる?(だから私は歌うの)
                  という感じで解釈してます。

ミサの後、クワイヤーのメンバーにハグしてもらったら、号泣。
身近な大好きな人を亡くすことがこんなに悲しいということを改めて知りました。それとも私の年齢のせい、音楽のせい?

エルダは小学校に読み聞かせに行ったり、移民の私たちのチューターをしたり、シリア難民のためのウォーキングチャレンジのファンドレイジングに参加したり、自分のできることを無理のないところでボランティアしていました。

そんな彼女の生き様は私のこれからの生き方のヒントを残していってくれました。
そしてなんと言ってもエルダと私の共同作業で本という形で残せたことが私にとっては本当に宝物です。いつまでも繋がってる気がします。

それを思うとまた泣けそうです。

Thank you so much for giving me all the fun we had together!

iPadで描いたElda 


ここまで長い文章にお付き合いいただき、ありがとうございました。



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