診断は『解決』ではなく『始まり』だったはなし
どうもこんばんわ\( ᐛ )/
今から約5年前、36歳の冬の始まりにADHDの診断を受けました
ほっとしたのも束の間…間髪入れずやってきたのは、すんげぇボリュームの『どうすんのこれ!』っていう不安
今回はその時のお話
診断結果を何度も何度も読み返し
『…ここからどうすればいいんだ?』となり、まず地域の保健センターへ(なんで?)
『発達障害の診断を受けました。どうすればいいですか?』
相手ポカーン( ・д・)です 笑
ここでは手帳取れたり手続き出来ますよー、生活の困りごとは障害者支援センターがありますからそちらにどーぞーってとても優しく丁寧に教えてくれた(ありがてぇ)
ここで【障害者支援センター】なるものの存在を知る
知ったなら!行かなくちゃ!!
(だからなんで)
この時酷い鬱期で、診断のために受診した病院の医者はなかなかパンチの効いた方で『お母さんと上手くいくようになる薬も仕事に行けるようになる薬もありません!!!』と言われて小さく絶望していた(希死念慮はなかった)のでとにかく誰かに『大丈夫だよ』って言ってもらいたかったんだと思う
希死念慮はなかったけど消滅願望のようなものはあって『なにも出来ないでじっとしてるこの時間も辛いし明日が来るのも辛いからシュポッと消えてしまいたい』と鬱に転じると常々思っていたしなんなら今でも思うことがある
そんなギリギリで呼吸してた私が支援センターで言われたことは
困ったら何時でも来てください
相談に乗ります
うわーもう困ってるんだけどなーめっちゃくちゃ困ってるんだけどなーだった
でも何に困ってるのか頭の中はごちゃごちゃ(脳多動)してて説明ができないし、家事の手助けで来てくれることも可能だったけどとても人間の棲家とは思えないあの部屋に人様を呼ぶなんて…って思って後にした
(それを片付けるための支援なのにね)
結局どこ行っても解決しないので(当たり前)本屋で書籍を買い漁り、Twitterで #ADHDライフハック で調べまくり、とにかく自分が何に困っているのか…をまず知ることにした
程なくして紹介状を手に訪ねた、家から最寄りのADHD治療をしてるクリニックは、自分に合ってるのかどうか…正直分からなかった
というのもメンタルクリニックに通うのも初めてなので問診で【何をどこまで喋ればいいのか】がよく分からず、聞かれたことに答えるだけで何も自分から発しなかった(なんでや)
最強の察してちゃんである
だるーーー(꒪д꒪ )
ちなみにこの時点での私の病名は
発達障害と鬱病
なので処方はアトモキセチンと鬱の薬
鬱だと思ったら双極だったの典型だけどそれが分かるのはまだ先の話
幸いだったのは私に【薬を決められた通りに服用する】というスキルが身についていなかったこと
この頃はまだ診断を『甘え』だと思っているところがあって病気を言い訳にしてるだけなんじゃないか…と思っている節があった
なので病院行って薬をもらってるだけの人だった
結局、そこの病院にお世話になったのは5ヶ月
2ヶ月目で大人の発達障害を専門で見てる先生を見つけて3ヶ月先の予約をもぎ取り、その間お薬ATMとして通わせて頂いた
ちゃんと飲んでないけど…(ごめんなさい)
シートで貰って何種類もあって朝昼晩と寝る前…難しいんです(;;)
サプリケースみたいなやつは詰めるのが…難しいんです!!(;;)
ざっと書いて診断から半年…鬱抜けも出来ず、変えたばかりの仕事も休みがちになり、これといって変化は無い
部屋は日に日に荒廃し、あの頃どうやって子供を育てていたのか…よく思い出せない
この後、今もお世話になってる先生のところに行くんだけど、その話はまた後日
またねー\( ᐛ )/